アマドが結婚した理由は、三年前にある③

 目を覚ますと、ボロボロの建物の中庭パティオにいた。

 枯れた噴水。ここは、以前は美しい青の陶器タイルがはめられていたのだろう。壁や床にはヒビが割れて、日陰を求めて草木が伸びていた。壁にかけられていた空っぽの鉢には、きれいな花が咲いていたのだろう。

 ここはどこだ。イルと歩いていたはずなのに、突然意識を失って……。

 記憶をたどろうとした途端、崩れかけた壁の影に紛れて、誰かが立っているのに気づいた。

 黒い布を被った女が、そこに立っていた。


『どうして、死んでないの?』


 女の声はイルと違って低く、しわがれていた。

 こいつが俺を攫ったんだろう。


『わたしの息子は、世界のために死んだのに。誰かを傷つけたり、迷惑をかける前に死ぬしか無かったのに。なんで、あなたは死んでいないの?』


 貴族だから? と、女が尋ねる。


『私たちは、焼けるような日差しの中農園で働いて、ほんの僅かな賃金で飢えと渇きを耐え凌ぐしかなくて、どこへ行っても厄介者扱いなのに……』


 爪の割れた手が、俺の首に伸びる。

 俺、今死ぬんだろうか。異能力とか関係なく、こうやって直接殺意を持って。

 ……なんか、もう、それでもいいかな。勝手に力が抜けて、諦めて目を閉じる。

 暴走の熱とあの声を思い出すと、怯えるのも、あらがうのも、疲れた。なんで自分が、ああもあがいていたのかもわからない。

 それにこの女の言い分からして、この女の息子も、俺と同じ変なやつらに捕まって、そして「世界のために」死んでしまったんだろう。似た境遇なのに生きている俺を殺したいと思えるほど、この人は息子を愛していたんだ。

 ――その息子が、うらやましいな。

 そう思った時だった。


『やめなさい!』


 ソプラノの声が、暗闇を切り裂くように響いた。俺は驚いて、目を開く。

 そこには、中庭パティオの壁を飛び越えてきたイルが、月を背景にして飛んでる姿があった。


 着地したイルが、すぐに女を取り押さえる。そのまま、流れるように女を床に組み伏せた。

 首元にさわる。ぞっとした。さっきまでは殺されてもいいか、って思っていたのに、急に死ぬのが怖くなった。


『いや! 離して! 離して!!』

『少年、無事!? 意識ある!?』


 イルが暴れる女を押さえ込みながら聞いてきた。俺は頷く。


『首を絞められるリミットは五秒、けど後遺症も出るから早めに病院に……』

『いい、大丈夫だ! その人、首絞めてねぇし!』


 そうなんだ。女は首に手を回しただけで、結局力を込められなかった。震えていたし。

 なんでわざわざ俺が目を覚ました時に殺そうとしたのかわからなかったけど。多分、女は俺を殺すのを迷っていた。

 女がイルの下で泣いていた。すすり泣くような、火のついたように泣く赤ん坊のような泣き方だ。

 俺は、大人が泣くのを初めて見た。

 イルが困った顔をする。


『あー……どうしよう。通信機も忘れたから、通報することできないし』

『……俺一応、通信機持ってんだけど』

『それ先にいいなさいよ』


 君を連れ回す前に親御さんに連絡してたよ、とイル。それが嫌だから黙ってたんだよ。そもそも親じゃなくて執事ヴィルヘルムに連絡が行くだろうし。

 イヤリング型の通信機に電源を入れると、『坊っちゃま!』と初老の男の声が耳をつんざくように飛んできた。頑固で叱責ばかりするジジイの、顔を真っ赤にした姿が目に浮かぶ。


『うるせえ。説教は……』

『今すぐそちらから離れてください!』


 勝手に外出したことを怒られるかと思ったが、違うらしい。叱責ではなく切羽詰まった声で、ヴィルヘルムが言った。


『そちらに、爆発物が――――!』


 その言葉を聞いたとたん、イルが間髪入れず俺の身体を抱えて走る。同時に、俺が座っていたベンチが、爆発する。

 倒れていた女は、そのまま爆発に巻き込まれた。イルは俺を抱きしめて、障害物だらけの地面を転がる。

 崩れた壁の破片とぶつかったのか、起き上がったイルの額には、血が流れていた。


『い、イル!』


 膝から血を流すことは度々あっても、人の頭から血を流すのを見るのは初めてだった。爆発で巻き上がった炎で、より鮮明に血の色が赤く見える。


『だ、大丈夫大丈夫! それより君、この炎を制御できたりしない?』

『せ、制御?』


 俺は発火することはできても、すでにある炎を制御したことなんてない。っていうか、そんなことできるのか?

 困惑する俺に、『オーケーわかった。イルさんがなんとかしよう』と言う。


『無理だろ!? 家だって燃えてるんだぞ!?』


 中庭パティオだけじゃなくて、廃墟となった家すら火がついていた。元々、中庭は近所のたまり場だ。沢山の家に囲まれて出来ている。おまけに防火するために塗られる漆喰が剥がれて、乾燥した落ち葉や枯れ枝もあちこちあるから、燃え広がるスピードが早い。

 爆発に巻き込まれたのか、黒布の女が炎のそばにいた。

 俺はイルを押しのけて、女の元へ走る。


『あ、ちょっと!』


 イルの制止は、炎が燃える音でかき消された。

 なにやってるんだろう、俺。家屋が燃え落ちる温度なんて1000度を超える。火の異能者だって、無事じゃすまない。

 でも、トリド大聖堂を燃やした時、一番火の中心にいたのは俺で。なら多分、他の人間より火に対する耐性は高いはずだ。



 あの時のことを思い出す。

 一年前、俺は、大聖堂にいた司教に、悪魔祓いと評して連れてこられた。火の異能力が暴走するのは、悪魔がついているからだと。嫌がる俺は暴れたけど、司祭に「ご両親の許可はとってある」と丸め込まれた。

 両親に対して強い反発も持ったけど、ひょっとしたら、「自分はまともになれるかもしれない」という思いがあって、期待した。……してしまった。

 地下室の寝台は、まるで生贄を捧げる台のようで、繋がれた機械からもの凄い熱を押し付けられた。「世界のために死んでくれ」と言う司祭の声がよく響いていた。

 司祭の顔は覚えていない。けれど、戸惑う俺を見て、楽しそうに笑っていた。

 騙されたとわかって、怯えや恐怖より怒りが混み上がってきた。こんなことはいつものことだったのに、騙された自分が情けなくて、俺をバカにするやつを排除しなくてはと思った。

 同時に聞こえるのは、頭の中で響く悪意の声。


【そんなことを思える立場なの?】

【お前が異能力を暴走させるせいで、こないだ家が燃えたじゃないか】

【今度は人を殺すんじゃないの?】

【いるだけで人を怯えさせてるんだから、今ここで死んだ方が、世界のためじゃない?】


 世界のため、世界のため。

 うるせえ。世界が俺のために何をしてくれた。ひたすら俺をコケにする他人のために、なんで死ななくちゃいけないんだ。

 死ぬべきなのは、お前たちの方だろ。世界の方が滅べ。

 そう思って、初めて自分の意思で、人を燃やした。


 それ以来、俺は本格的に街の人間から恐怖の対象として見られることになった。トリドの象徴で、一番巨大な建物である大聖堂を燃やしたんだ。恐怖でしかないだろう。今日のバルの店主だって、ずっとこっちを見ていた。いつ店が燃えるかわからなかったからだろう。

 トリド大聖堂の焼け跡から、子どもの死体が発見された。司祭が俺のような火の異能力者を殺していたことが明らかにされて、俺の行為は放火と殺人罪にはされず、正当防衛だと見なされた。けど、そんなのは関係ない。

 あのまま反抗せず、殺されていればよかったのに。そんなふうに思われていると思った。

 反抗したら悪者、殺されると受け入れられる。この女も、そんな息子を抱えて、あのトリド大聖堂に駆け込んだんだろうか。そして騙されて殺されたとわかっても、反抗すればはじき出されるから、「世界のために死んだ」と納得したのだろうか。

 他者から向けられる勝手な期待や悪意を正当化して、自分を否定しなくては生きていけない世界に、なんで俺はまだ生きてるんだろう。




 女の体は重かった。それでも、なんとか女の身体を動かす。

 けれど、女の黒布をうっかり踏んづけて、俺は地面に倒れた。火事場の馬鹿力だったのか、女の体重を背負った俺の体は少しも動かない。

 ぶわり、と炎が襲いかかってきた。

 あ、これ死ぬ。

 恐怖とか諦めとかじゃなくて、ただ事実として思った時。


 俺の足元に、もの凄い勢いで何かが落ちてきた。

 

 空気が一瞬で変わる。どこか懐かしいような、汚れたものが一切ないような、神秘的な空間。地面をつたうように皮膚をひんやりとした冷気が撫でる。それはまるで、昼間俺に触れた、イルの手のような冷たさだった。

 落ちてきたのは空のように透明な水色で、巨大なガラスの盾のようなもの。花のような形をしているそれは、炎を遮った。

 いつの間にかイルが、俺たちを庇うように手を突き出して立っている。盾と同じ色をした瞳には、赤い炎が映っていた。

 

 冷気を漂わせるガラスのようなもの。――俺はこの時、初めて氷を見た。


 氷の盾に触れた炎は、金の火の粉を撒き散らしながらも、静かに消えていく。

 完全に消火されると、宙を舞っていたイルの髪は、すとんと肩の上に落ちた。


『……少年! 無事!?』


 そう尋ねられたのは二度目だった。けど、その言葉は俺じゃなくて、黒布の女にも向けられていた。

 イルが女の体に触れる。しばらく触っていて、イルは女から離れた。

 ……わかっていた。もう、助からないってことは。

 けれどあれだけ炎の近くにいて、火傷の一つもない身体だったから、せめて残してあげたいと思った。

 もしかしたら、亡くなった息子が守ってくれたのかもしれない。

 女の死に顔は、とても穏やかだった。


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