アマドが結婚した理由は、三年前にある②
◆
あの日は多分、外の気温より、異能力の暴走を繰り返す俺の身体の方が熱かった。未熟な体は熱で意識朦朧としていて、別に外に出るつもりなんてなかったのに、気づいたら人気のない焼き跡のトリド大聖堂の前にたどり着いていた。
もう死ぬんだろうなって、ゆらめく陽炎の町を見ていたら、女が走ってきた。
ハシバミ色の前髪は汗で額に貼り付いていた。観光客なんだろう。暑い日に、昼間っから日向を歩いているバカ。だけどもっとバカなのは、俺が誰だかわかってなくて、『大丈夫!?』と声を掛けてきたことだ。
地面に倒れていた俺は、無い力を振り絞って、その場から逃げようとして、また倒れかけたところを、すんでのところで女が腕を掴んだ。
『あ、あぶなーい』
女の呑気な声が、苦しんでいる自分をバカにしているかのようで、久しぶりに触った人の手の、びっしょりとした汗が気持ち悪くて、俺は思いっきり力を込めて振り払った。触るな、と言うには喉が痛くて、声も出なかった。
振り払った時、キラリ、と真夏の日差しに鈍く光る火の粉か見えた。目を凝らすと、女の手に火がついていた。
女が顔をしかめた。ざまあみろ、俺に勝手に触れたからだ。これでこの女もさっさと逃げるだろう。
そう思ったのに、女は火を消すと、ためらいなく火傷していない左手を俺の額にあてた。
『動かないで。今、熱を逃がすから』予想外のことをされて、暴れようとした俺を、硬い声で女が制した。
『身体がこんなに熱くなるってことは、異能力の暴走ね。休める場所があればいいけど、私土地勘ないしな……』
一人で勝手にしゃべり続ける女の手は、冷たくてすべすべしていて、なんだかどんどん眠くなってきた。
『あ、眠いなら眠って。体力を回復させなきゃ』女のその声を最後に、俺は意識を手放した。
目を覚ますと、知らない宿屋のベッドの上だった。ずっとスッキリしなかった頭が冴えて、痛みも感じない。熱もない。久しぶりに、自分の体が楽だと感じた。
起きると、宿屋の女主人が、女にこっぴどく怒っていた。こんな日に昼間から歩くな、本当に死ぬところだぞ。話を聞くと、どうやら弟を振り回して熱中症にしたダメ姉だと思われているらしい。
いやあの、と頭を下げていた女は、俺が起きたことに気づいて、パッと顔を上げた。
『もう起きたの? 体調はどう?』
女が額を触ろうとしたので、あまり強くない力で叩き落とした。
『勝手に触んなショタコン』
ババアというにはあまりに童顔だったのでやめておいた。女が絶句する。
『しょ、……確かに君に同意なく額に触ったけど、応急処置と体調の確認として理解して欲しいなあ!?』
『知るか。助けて欲しいなんて言ってねぇ』
『まー! 声にもならない高熱で倒れてたくせにー!』
見てよこの火傷ー! と巻き付けられた包帯を見せびらかしてくる。
『火傷にもめげずに冷やしてあげた恩人に対して、なんちゅー態度! 悲しくて泣いちゃうぞ!?』
『知るかうるせえキモイ!!』
ソプラノの声が、ガンガン頭に響く。なんだこの女。
そこで、さっきまで威勢のよかった女主人が、恐る恐る入ってきた。
『え、ひょっとして、あなたはディアス家の……?』
『……そうだけど』
今気づいたのか。女主人は、サッと顔を青ざめる。
あからさまな恐怖の態度に、俺はベッドから飛び上がって、そのまま宿屋を出た。
『あ、ちょっと』女の声が聴こえたが、無視した。
日差しを照り返すために塗られた白い漆喰の建物は、昼は日陰が出来るように、できるだけ密集して建てられる。似たような道が多くて、迷うやつも多い。……俺も、飛び出したのはいいものの、すぐに迷子になってしまった。
『……おい』
『何かな?』
『何でついてきてんだよ!』
噛み付く俺に、女は頬をかく。
『こんな暑い日に、子ども一人放置は、大人としていかんでしょ』
『キモイ! ショタコンの上ストーカーかよ!』
『違うわ! 私のタイプは寡黙で行動派で言葉にする時はちゃんと言葉にする渋イケ優しい礼儀正しいダンディ、または自分を強くもって克己心旺盛な男を侍らす世話好きの華やかな美女だし! あ、でも好きになったらその人がタイプかも』
『お前の好みなんて聞いてねぇんだよ!!』
『で、君、おうちの人は?』
異能力の暴走が起きたら親御さんとかかりつけの異能医に相談でしょ、と女が言う。
『知らねえよ。いつものことだし、一人でやり過ごしてる』
『いつも……?』
『さっきの態度、見ただろ。俺の異能力の暴走で、この街のやつらみんな怯えてる。かかりつけ医なんていねぇよ』
そう言うと、女は眉をひそめた。
『それにしては、ずいぶん回路が開かれてるみたいだけど……』
『は? 回路?』
『うん。異能力者にはね、それを外に発動させる回路があるの。この回路が少ないと、異能力が強い子は暴走した時、体の内側で暴走して、最悪死にいたることがある』
初めて聞く話だった。
『あんた、詳しいのか?』
『違うよ。かかりつけの異能医がいるなら、必ず受ける説明。まあ他人の回路をみんなが見れるわけじゃないけど、私は異能力者の暴走を抑える仕事をしてたから、それ用の訓練をね』
『……の、わりには、さっき火傷してたじゃん』
俺がそう言うと、あはは、と女は笑った。
『ちょっとね。異能力使うの、迷っちゃった』
『迷った?』
『……人を助けることに、迷う必要なんてないのにね』
それ以上は説明するつもりがないのか、女は黙った。
『……おい』
『なに?』
『異能力について、もう少し教えろ』
俺がそう言うと、女はにっこり笑った。
『じゃあ、暑くない場所に案内してよ。美味しいお酒が飲めるお店がいいな。おごるからさ』
『……あんた、未成年だろ』
『は? 二十三ですけど?』
『は!? その顔で!?』
『本当に失礼極まりない少年だな、君! 他人の外見のことは口にしちゃダメだぞ覚えておけ! ……あ、名前なんて言うの?』
『教えねえ』
『はー、じゃあ少年で。私のことは、イルって呼んで』
『呼ばねえ』
『くっ……。お酒を飲ませないバーなんて……』
『バーじゃなくてバルな。仕方ねえだろ。身元証明書持ってないなら』
『うっかりしちゃったんだよなあー。勢いで船を出ちゃったしー』
あ、この料理美味しいー、と、シーフードフレッドから海老をむしゃむしゃ食べる。手元にはオレンジジュースが注がれたグラスがあった。
『そう言えば、バルってなに?』
『は? そんなことも知らねえのかよ』
『いやー、火の国は、北の方しか行ったことないんだよね。トリドは初めて』
『ああ、北の方ならまだ気候が穏やかだから、バルはないかもな。アンタらの言うとこの、バーとかカフェとか食堂とか、全部兼ねた店だよ。見りゃわかるだろ』
『あー、火の国って、暑いからほとんどのお店は夜から始めるんだっけ』
『……アンタのとこは違うの』
『そーねー。この時期だと、そもそも夜が来ないから』
は? 夜が来ない?
俺の表情を読み取ったのか、『こっちの人は理解できないよね』とイルは笑った。
『白夜って言ってね、夏は真夜中になっても薄明るいの。私のいるとこは氷の国の中でも南の方にあるから、割と暗めだけど、もっともっと北の方は夕方と夜の境が分かんないって聞いたなー』
そこからは、イルの話になっていた。
氷の国のこと。家族のこと。仕事のこと。人間関係のこと。趣味のこと。
しょっちゅう話が脱線して、よく喋んな、と思ったけど、よく考えたら質問していたのは俺だった。
異能力のことを聞くつもりだったのに、俺が知りたかったのは異能力じゃなくて、イルのことだった。
満足するまで食べて、腹も落ち着いた頃、『そろそろ船に戻らないとだし、家まで送るよ』とイルが言った。
バルを出ると、白い街がオレンジ色の夕日に少し染っていた。とは言え、まだまだ街は暑い。
イルは歩きながら、うーん、と背伸びをした。
『ふう! お腹いっぱい。あのお店、美味しかったねー』
『よく食べれるよな……』
特に砂糖をまぶした揚げ物ばっかり食べてた。この女、とんでもない甘党だ。見ていて吐きそうだった。
『逆に私は、なんでもサルサソースつける君にビックリしたよ……。辛さっていうのは痛覚で、その刺激を和らげるために脳内麻薬が出てくるんだから、あまり子どもの時からとらないほうがいいんだぞ』
『うぜえ。子どもじゃねえ』
『さっき私のことショタコン呼ばわりしよってからに……でもま、好きなものはいつでも食べたいよね。私もいつでも甘い物食べたい』
『成人病になんぞ』
『うん、まあ、そうね……』
ふい、と目をそらすイル。何か心当たりがあるんだろうか。
一度会話が切れると、黙って俺たちは歩いていた。気まずくは無い。居心地のよい沈黙だった。
『潮の匂いがするね』
イルが独りごちる。そういえばさっき、イルのいた場所は塩分濃度が高いから、匂いの元になるプランクトンがいないのだと言っていた。海と言えばこの匂いで育った俺にとっては、イルの国はまるで異世界だ。
なのに、こうして歩くと、なんだか昔からの知り合いみたいだ。今日初めて会ったのに、どうかしてる。だけど生まれて初めて、肩の力が抜けた。
イルはほどよく離れた距離にいる。俺の歩幅に合わせてゆっくり歩いているのか、俺より少しだけ後ろにいた。包帯の巻かれた手が、身体の動きに合わせて揺れていた。イルの痛みが、自分の事のように入ってくる。バカだ。傷つけたのは俺なのに。
『……ごめん』
『ん?』聞こえなかったのか、イルがこちらを見て首を傾げた。『何か言った?』
恐れもなく、媚びを売ってるわけでもなく、心を預けるような表情だった。
その顔を見て、俺は全身が熱くなった。
なんだこれ。心臓が耳元にあるみたいにうるさい。異能力の暴走じゃない。わかるのはものすごく恥ずかしくて、なぜかとても幸せだと思ったことだ。
『~なんでもないっ!』
『なんで急に怒るんだ……』
自分の感情が意味わからないほど爆発して、すごく何かを蹴飛ばしたい気持ちになったけど、これ以上イルの前で乱暴なことをするのはダメだと思った。多分、嫌われると思ったからだと思う。俺は今まで人に好かれたことがなかったのに、なんでかイルにはすでに好かれている自信があった。
だから、これっきり会えなくなるのは嫌だったから、イルに言おうとしたのだ。
『あ、あしたも、』
会えるか。
そう言おうとして、後ろから誰かの声がした。
【死ぬこと以外無価値な命なのに、人に好かれるなんて思ってるの?】
ピタリ、と、勝手に足が止まる。
【無価値なお前が、死ぬ事でようやく価値のある人間になれるのに】
【幸せになれる資格があると思ってる?】
【まさかまだ、生きたいなんて思ってる?】
うるさい。
これは幻聴だ。五歳までずっと、呪いのように「教育」された言葉を、思い出してるだけだ。
いつもこうだった。幸せだと思った瞬間、声が責めてくる。幸せになるなと、早く死ねと言ってくる。
うるさい。うるさい。うるさいうるさい!
『うるせぇ!』
叫ぶと幻聴は消えて、木陰で休んでいた鳩が飛び立っていった。
ハアハア、と息が荒くなる。
俺が立ち止まったことに気づかなかったのだろう。少しだけ後ろにいたイルは前にいて、目を丸くして振り向いていた。少年? と驚きと戸惑いをにじませた声で、こちらに向かってくる。
急にイルが怖くなった。
違う。イルに、自分のことを知られるのが怖くなった。この女は、これ以上そばにいたら、ズカズカと入ってきて、俺自身が隠していたことを暴き出すから。
やめろ。来るな。
そう言いたいのに、声にならない。代わりに俺は、さっき辿った道に向かって走り出そうとした。
イルが血相を変えて叫んだ。
『ダメだ少年、私から離れるな!
誰かが私たちの跡をつけている!』
イルの言葉に、驚いた俺が振り返る。
何かハーブのような匂いがして、俺は突然、眠りについた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます