再会したイルマタルは、アマドの手を握る。

 靴とカツラを空に投げて、私は傾斜を駆け上がる。

 木の枝がしなるムチのようにぶつかって、あちこち血が滲んだり、スカートの裾がやぶれた気がするけど、気にしない。山火事は時間との勝負だ。

 山火事の原因は三つある。一つは発火のもと、もう一つは強風、最後は枯葉などの可燃性の高いもの。今は夜だから、海からの風が吹くことは無い。街の人が避難する前に、消火できるかもしれない。

 だけどすぐそばのオリーブ畑は、どれぐらい無事なんだろう。土地の被害を思うと、私は胸が痛かった。



 ■


 ――熱帯化が進む世界。海から吹く強風による摩擦によって、あるいはあまりに強すぎる太陽光によって、山火事が生まれる。

 特に火の国では、強い熱風による山火事が頻繁に起きていて、その度に森林環境が破壊され、大気が汚染され、弱者にしわ寄せが来ていた。限界になった彼らは密航し、海賊となって少しでも豊かな土地から略奪する。結果、治安が悪化し、人為的に起きた火災により荒れた土地が増える。悪循環だ。

 火の国と氷の国の戦争の発端も、この悪循環が大きな原因だ。氷の国はたくさんの森林財源を持っているから、強い財政力を持っている。やがて氷の国は、労働力など火の国から搾取する形になっていった。

 けれど、そこは領土が世界一広い火の国。氷の国よりずっと、兵士の数も多かった。軍事力も同等。いや、火の異能力者がいるぶん、氷の国より強かったかもしれない。嫌われ者の海賊すら取り込んで、火の国と氷の国はぶつかりあった。

 その結果、荒廃する土地が増え、これから未来を担って行く若者の命が格段と減った。――特に若い異能力者の数は、三分の一まで減ったと言われる。

 異能力者の結婚・妊娠が推奨されるのは、他国の異能力者の管理と、減った数を補おうとする政府の思惑がある。

 この世界は、異能力者がいなければ立ち行かないほど、詰んでいた。



 ■



 現場にたどり着くと、落ち葉が振り積もった地面が燃えていた。地表火だ。燃焼時間はさほど長くないけど、ここは傾斜だから、風が吹かなくとも早く広がる可能性がある。

 今はまだ木に移っていない。消火しようと構えた時、カチリ、という音がした。

 ――え?


 一瞬、閃光が走った。

 遅れて、耳元で爆発音が響く。

 身体が宙に浮かび、全身に強い痛みが駆け巡る。

 あ、これ、テロだ。

 カチリという音は、多分私が踏んでしまった起爆スイッチだったんだ。――なんて思う暇はない。

 煙と炎が全身を包もうとしたその時、


 誰かが弓矢のように真っ直ぐ飛んできて、私の体を強い力で抱き抱えた。


 涙で視界が滲む。

 すぐに煙を身体から吐き出して、私は自分の体を抱きかかえて走ってくれた人を見た。

「ア、マド……さん」

 喉が焼けた痛みで、声がかすれる。

 私を地面から守るように抱え込んだアマドさんは、すぐに身体を起こした。

 

「大丈夫か! 火傷は!? 負ってないな!」


 腕や足、首やお腹を触りながら、アマドさんが言う。

 声にならなかったので、私はしきりに頷いた。


「今、俺が火を抑えてるけど、爆発で風が……」


 悔しそうにアマドさんが空を見る。見ると、火の粉が高く夜空に舞い上がって、風に運ばれ街へ向かっていく。炎の手が街に向かうまで、一刻の猶予もない。

 反射的に私は、アマドさんの前に立つ。

 熱い。多分、アマドさんが私に届く熱を遮ってくれたんだ。もうすでに、服が、皮膚が、目が、髪が、焼き焦げていそう。

 だけど必死に目は見開いて、潰れた喉から必死に声を出した。


 私の呼びかけに応じて、空がキラリと光る。


 炎が街に向かう前に、巨大な氷の盾が天から降るように地に突き刺さった。

 六角形の氷晶のような形をした氷の盾は、そこから更に広がっていく。

 その氷の盾に触れると、炎は瞬く間に消えていった。

 全ての炎が消えていったのを見計らって、私は膝から崩れ落ちる。足元に冷気が流れていた。

 

「……すごいな、相変わらず」

 後ろでアマドさんが呟いた。


 声にならない、息が荒い。心臓が耳元でなっているみたいだ。

 氷の国の山火事にも何度か立ち会ったことがあるけど、遭遇したら怖いし、慣れるわけがない。別に溶けやしないけど、火傷するのは普通に怖いし、痛いのも苦しいのも死ぬのも嫌だ。

 でも。――私は残った体力を絞りきって立ち上がり、アマドさんのところへ歩く。

 そしてむんず、と彼の手を掴んだ。


「!?」


 わかりやすく動揺していたけど、今はそんなの気にする余裕はなかった。

 彼の手は私の手よりずっと大きくて厚い。覆いかぶせるようにしか出来ない。少しマメができていたけど、爪の形は綺麗だった。私よりずっと体温の高い手だ。


「アマドさん、見ての通り、私は溶けない。君の炎にも、山火事の炎にも溶けてない。

 私の異能力は、さっきの氷の盾。氷の国の神話に基づいて、『スヴェルの盾』って名付けられているの」


 スヴェルの盾。

 山も波も燃え尽くすような熱すら奪う、氷の盾。

 それは例え太陽が目の前にあったって、防いでしまうと言われるもの。

 その異能力にちなんで、私は氷の国で『盾の乙女』と呼ばれた。


「こんな異能だから、親善試合とかは選手じゃなくて選手の暴発を防ぐ裏方に回されちゃうし、山火事の消火とか、爆発系の異能力者の鎮圧には駆り出されるし――わりと厄介事に巻き込まれてるわけなんだけど、まあそんな人生も楽しいと思ってるし、」


 そこで私の言葉は途切れた。

 あー、なんて言おうとしたっけ。なんか、頭がぼーっとする。酸素が足りないのかな。

 だけど、手だけは繋がなきゃ。またいなくなっちゃう。……またってなんだ。

 ああそうだ、プチ家出した時に会った男の子。あの子、私の手を握らなかったから、お祭りで一緒にいたのに、途中ではぐれてしまったんだ。自分の異能力のせいで、私が火傷してしまったから、その後は一度も触らなくて。

 沢山探したのに、全然見つからなくて、悲しかった。無理にでも繋いでおけばと、ずっと後悔していた。


「だから、何も言わないでいなくなったり、会えなくなるのは、さみしい」


 言葉にしたとたん、すとん、と腑に落ちた。

 そうだ、私、さみしかったんだ。

 知らない土地に突然来て、知ってる人がいなくて、お客様状態のお家の隅っこにいて、唯一顔だけ知ってる夫は会いに来てくれないし。

 自分が思った以上に、さみしかったんだ。


 自分が何を望んでいるのかわかって、それを言葉にしようと思った時。

 触っていた手が急に熱くなって、ボッ! という音がした。

 ……ボッ?


 顔を上げると、アマドさんの身体からメラメラメラ~! と炎が上がっている。


 

「うわあああ――! 山火事ふたたびー!」

「グエッ!」


 私は慌てて、異能力で出した氷の盾(ミニチュア版)を彼の頭に落とした。

 潰れたカエルのような声を上げて、アマドさんは倒れる。そのまま意識を失っていた。やっばい。アマドさんの火で山火事がまた起きると思って、咄嗟のことでやっちまった。

 いやでも、思った以上にまずいかもしれない。異能力者の多くは、成人を超えたら自分たちの異能力をコントロールすることが出来るはずなのに、彼は勝手に炎が出ていた。きっと、いつもは気を張って抑えているのに、ふとした時に出てしまうんだ。

 なら、今の所仕事のなかった、私の嫁入りセカンドライフは決まった。



 彼が安心して、日々を暮らせるように。

 異能力が暴走してもすぐに鎮圧できるよう、傍にいることだ――!



 この時の私は知らない。

 彼が、「好きな人に手を握られて、思春期よろしく感情がオーバーして恋の火が出る」なんてことは、知らない。

 よって私が傍にいる時に異能力が暴走しているということも、しばらく知らないままだった。

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