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「もう。遅いよー」


 少し遅れて待ち合わせ場所についた私に、梨々花が駆け寄ってくるなり不満を漏らす。口では文句を言っているが、顔にはいつもの幸せそうな笑顔を浮かべながら、すぐに私の腕に抱きついてくる。


「ごめんごめん。ちょっと仕事が長引いてさ」

「えー、いっつもそんなことばっか言ってるじゃん。今日の映画代は幸隆の奢りだからね!」

「……」


 私と二人でいるとき、梨々花は私のことを私ではない名で呼ぶ。

 もうとっくに慣れたつもりだけれど、そう呼ばれるたびに心が握りつぶされるような気持ちで思考が止まりそうになる。安堵と落胆。ああ、今日も梨々花は私の名前を呼んではくれないのだ。


「幸隆?」

 梨々花が上目遣いで私の顔を覗き込んでくるから、私はわざとらしく肩をすくめる。

「……仕様がないなあ。その代わりポップコーンは自分で買いなよ?」

「やった! ほら、早く行こ。上映時間に遅れちゃうよ」


 私の腕を引いて歩き出す梨々花に内心が気づかれないように祈りながら、私は努めて優しい微笑みを作った。


 梨々花は壊れている。

 あるいは、醒めない夢をずっと見ているのかもしれないとも思う。

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