最終話 悪役令嬢を目指す物語



「あれ? 違うてた? じゃあ、他の人のやろうか……」

 うっかり見惚れていたのを否定と捉えられてしまったのか、首を傾げるロディに慌てて「ううん!」と手を伸ばした。

「わたしのよ。取ってくれてありがとう」

 久しぶりに直接会う想い人に、心の中のドキドキを悟られまいと必死に平静を装いながら笑みを返す。

「ええよ。たまたま風に飛ばされてきたのを取っただけやから。……って、もしかして貴族の方?」

 それまで同じ平民と思っていたのか、後ろからエクレアを追いかけてきた従者のムネチカを見て、ロディはあわあわと挙動を変えた。

「すんません! 貴族の方とは知らず、馴れ馴れしい態度を取ってしまって……。よく考えたら僕みたいな平民よりも貴族の方の方が多いのに……」

「いえ、別に気にしてないから……」

「あっ! それにこんな土まみれの手でリボンを掴んでしもうた! 弁償した方がええんやろか……」

「ほ、ほんと気にしなくていいから……」

 ロディってこんなに腰が低い方だったかしら? と疑問に思いつつもリボンを受け取る。



 ──ていうか、わたしがエルって気付いていないみたいね。なんだかホッとしたような、ちょっぴり残念なような……。



 実はエルが侯爵家の令嬢だったと知れたら、過去の事まで謝罪してきそうなので、気付かれない方が断然マシではあるけれども。

「ほんま、すんませんでした……。貴族の方の代物ってわかってたら、もっと気を付けてたのに……」

「何度も言っているけれど、気にする必要なんて全然ないわよ。むしろ感謝しているくらいなんだから」

「ほ、ほんまですか?」

「ええ。それと貴族だからってそこまで腰を低くする必要もないわよ。他の人はわからないけれど、わたしは別に気にしないから」

「いや、そういうわけにも。昔から親にも貴族の方と接する時はきちんと身分を弁えなさいって言われとるんで……」



 ──そっか。昔、わたしといた時はたまたま貴族と会わなかっただけで、本来はこういう態度を取るのが自然になっているのね……。



 それが決して越えられない壁を見せつけられたようで、なんだか少し物悲しい。

「お嬢様。よければそのリボン、私が預かっておきましょうか? 一応従者として、汚れたリボンをいつまでも持たせるわけにもいかないので」

 と、それまで静かにエクレアの背後に立っていたムネチカが手を伸ばしてきた。

 一応ってなんじゃいと心中で突っ込みつつ、「そうね」と後ろにいるムネチカに手渡そうとして、エクレアはハッと閃いた。

「ムネチカ、ちょっと顔貸して」

「トイチでいいのなら」

「利子付けんな! いいから貸しなさい!」

 ロディに聞こえないよう小声でやり取りしつつ、エクレアはムネチカに顔を寄せた。

「あんた、ちょっといい感じに盛り上げなさいよ」

「わたしとロディとの会話に合いの手を入れるとか、なんかそういう感じのやつよ!」

「えぇ〜? 七面倒くせぇ〜」

「文句言うんじゃない! あんた、仮にもわたしの従者でしょ?」

「しょうがないですねぇ」

 と、渋々ながらも承諾してくれたムネチカに「頼んだわよ!」と念押ししたあと、エクレアはロディと向き直った。

「ごめんなさい。待たせたわね」

「いえ。けど急にどうされたんです?」

「なんでもないわ。ちょっとした事ですから」

 それよりも、とエクレアはロディの横にある花壇を見やる。

「あなたは、ここで何をしていたの?」

「ああ、雑草を取ってたんです。僕、園芸部に入っとるんですけど、ここの野晒し状態だった花壇を使わせてもらえる事になって」

「へえ。いいわね。それで何を植え」「ラッセーラーラッセーラー!」

 勢いよく後ろを振り返った。

 そこには何事もなかったかのようにスンと澄ました顔をしたムネチカがいた。

 無言で睨み付けつつ、コホンと空気を変えるようにわざとらしく咳払いしたあと、エクレアは再度ロディの方を向いた。

「で、何を植える予定なのかしら?」

「特にこれというのは。でも色々な花を植えられらええなと思うとります」

「色々な花かあ。どんな花が咲くのか、とても楽しみね」

「ありがとうございます。たぶん来月くらいには何かしらの花が見れると思います」

「そっかー。ら」「ッセーラーラッセーラー! ラッセーラッセーラッセーラー!!」

 瞬時に会話を切り上げた。

 そして荒々しくムネチカに近付いて、強引に胸倉を掴んだ。

「おいムネチカてめぇこのやろう」

「あらあらあらお嬢様。言葉遣いがお下品でございますよ?」

「やかましゃあ! 一体誰のせいだと思ってんのよ! だいたい、今の歌みたいなやつはなんなの!?」

「私の国で古くからある民謡ですが。おかげで盛り上がったでしょう?」

「どこが!? 盛り上がるどころか違和感盛り沢山になってるわよ!」

 民謡そのものは場を盛り上げるものなのだろうが、完全に使いどころを間違えているとしか言いようがない。



「あはっ」



 と。

 依然としてムネチカに掴みかかりながら憤慨していると、ふとした拍子に漏れ出てしまったような笑声が背中から聞こえてきた。

 振り返ると、そこには可笑しそうに破顔しているロディがいた。さっきまで堅い表情だったのは嘘のように。

「あ。なんかすんません。いきなりわろうてしもうて……」

「う、ううん。こっちこそ恥ずかしい姿を見せてしまったわね……」

「恥ずかしい、ですか? 僕にはすごく仲良さそうに見えましたけど」

「「仲良いかあ〜?」」

 意図せずムネチカとハモってしまった。非常に不本意ながら。

「あははっ。やっぱ、めっちゃ仲良いやないですか」

「そ、そうかしら……」

 思わず頬を掻くエクレア。

 なんか想定とは違ってしまったが、ロディの笑顔が見られたわけだし、まあ結果オーライという事にしとおこう。

「ま、まあ、ある意味仲が良いとも言えるかもしれないわね。ほんと、ある意味でだけれど」

「ええ事やと思いますよ。ていうか正直驚きました。主人と従者の関係って、もっと厳格なものかと思うてたんで」

「わ、わたしとこいつは特殊なケースだから! 絶対参考にしたらダメよ!?」

 はい、とまた可笑しそうに口許を綻ばせるロディ。なんか完全に変な日と思われてしまった感がある反応だった。

「くうっ。わたしの清廉なイメージが音を立てて崩れていく感じがするわ……」

「いやでも、おかげで親しみやすくなったって言いますか、前より話しやすくはなりましたよ? なんか昔の幼馴染を思い出すっていうか」

 その言葉にエクレアは「えっ」と目を丸くした。



 ──もしかしてまだ覚えていてくれているの? 私が『エル』だった時の事を……。



 体の奥から湧き上がってくる喜びに、その場で飛び跳ねたくなる気分を抑えつつ、エクレアはおずおずと訊ねる。

「……その幼馴染って、どんな子だったの?」

「明るい子でしたよ。たまたま町中で会った女の子なんですけど、いつも元気いっぱいで、表情もコロコロと変わる子で……」

「その子が、わたしに似てるの?」

「表情がコロコロ変わるところはよぉ似てますね。あの子も笑ったり怒ったりと、ほんま百面相って感じでした」

「そう……」

 嬉しい。

 ちゃんと覚えていてくれた。『エル』の事を。幼い頃によく一緒に遊んでいた時の事を。

 それが言葉にならないくらい嬉しかった。

「まあ、今はその幼馴染と全然会えてないんですけどね。突然その子と会えんようになってもうて、それ以来ずっと離れ離れって感じです」

 そっか、とエクレアは苦笑混じりに相槌を打った。

 会えなくなったしまったのは、エクレアがお嬢様学校の初等部に入って、そこから出入りできないくらい缶詰状態にされたからだ。

 などと釈明したかったが、ぐっと拳を握ってなんとか堪えた。

 今ここですべてを明かしたら、何もかもが終わってしまう。

 ロディは優しいから、きっとエクレアがやろうとしている事を知れば必ず止めてくる。それどころか王族との婚約なんてステキじゃないかと祝福してくれるに違いない。

 けど、それではダメなのだ。



 ロディと一緒になれない未来なんて考えられないから。

 ロディだけが、エクレアにとっての希望だから。



 ゆえに、今は言えない。

 言うわけにはいかない。

 すごく胸は苦しいけれど。

「そう……。とても大事な幼馴染だったのね……」

「はい。またどこかで会えたらと思うてはいるんですけどね。そのための準備もしてるんで」

「準備? それってどんな……?」

「大した事やあらへんのですけど、花を植えたいと思うとるんです。僕がいた町の秘密の場所に」

 秘密の場所という言葉に、エクレアは幼少期にロディと花畑を見に行った時の事を思い出した。

「そこ、昔は花でいっぱいやったんですけど、数年前に起きた盗賊団と警備団との衝突で焼け野原になってしもうて……」

「焼け野原……」

 ショックだった。あの時ロディと見た花畑が、すでに無くなってしまっていたなんて……。

「今もその影響のせいなんか、雑草すら生えんようになってしもうたんです。でも僕の力なら……僕が持つ土魔法の力なら、なんとかなるんやないかと思うて」

「土魔法……。あなた、土魔法が使えるの?」

「はい。言うても大した事はできへんのですけど。できる事と言えば、土の量を増やしたりとか土中にある植物をほんのちょっとだけ成長させたりとか、その程度なんやけども」

「それでも十分すごいじゃない。土魔法って言えば、たいていは土で壁を作ったり土嚢で攻撃したりとかなのに」

「すごいかどうかはわからんけど、珍しいとはよぉ言われてました。だから平民でも魔法さえ使えれば入れる学園があるって聞いて、ここに入学したんです。自分の土魔法を極めたくて」

 言いながら、ロディは腰を屈めてそばの花壇から土を掬い取った。

「そんで、いつか故郷の花畑を元に戻したいんです。あの子と約束したから」

 話している中に、ロディが掬い取ったから土が不意に盛り上がった。おそらく土魔法をかけたのだろう。

 そして、あらかじめその部分に種が植えてあったのか、そこから小さく芽のようなものが出てきた。

 その小さな芽をエクレアの方へと掲げながら、ロディは弾けんばかりの笑顔を向けて言った。



「いつか離れ離れになる時が来たとしても、絶対またこの花畑を一緒に見に行こうって」



 風が吹く。小さい頃、ロディと一緒に見に行った花畑の時のような優しい風が。

 そんな穏やかな風でほのかに揺れる小さな芽を見つめながら、エクレアは多幸感に包まれていた。

 ちゃんと覚えていてくれていた。

 小さい頃に交わした約束を、今もずっと。

 それどころか、その約束を果たそうとこの学園まで来て。



 ──ああもう、しゅきぃ! しゅきしゅき大しゅきよロディ……!



「おーい、ロディ。先生が探してたぞー」

 と、エクレアが胸キュンしていた最中、遠くからロディを呼ぶ男子の声が聞こえてきた。きっと同じ平民の級友とかだろう。

「なんやろ? 忘れ物でもしたんかな?」

 なんて首を傾げつつ、ロディは手にしていた土を花壇にそっと戻して、ゆっくり立ち上がった。

「じゃ、僕はこれで。また来月にでも来てみてください。きっと花が咲いてると思うんで」

「あ、待って──!」

 踵を返して去ろうとしていたロディを慌てて呼び止める。

「はい。なんですか?」

 ロディが笑顔で振り返る。昔と何も変わらない人懐っこい表情で。

 引き止めたのは、単にもっと話したかっただけ。でもわかっている。いつまでも話してはいられない。ロディに迷惑をかけてしまうから。

 だから──



「あなたの名前を……最後にあなたの名前を教えてくれない?」



 すでに知っている名を訊ねる。苦し紛れに。少しでも一緒にいたいがために。

「ああ、そういえばまだ名乗ってませんでしたね。僕はロディです。平民クラスに通ってる一年です。あなたは?」

「わたしは……」

 胸に手を添える。何年か越しにようやく自分の本名を告げられる事に感じ入りながら。



「わたしはエクレア。エクレア・ヴァーミリアン。ヴァーミリアン侯爵家の娘で、この学園の貴族クラスに通っている一年生よ」



「エクレア様ですか。良い名前ですね」

「ありがとう。あなたもステキな名前よ」

「ありがとうございます。それじゃ、またいつかどこかで!」

 そう言って。

 ロディは最後まで手を振り続けながら、やがて校舎の方へと足早に去っていった。

 そんなロディの後ろ姿を、見えなくなった今もエクレアはずっと見つめる。先ほどまでの光景を忘れず瞳に焼き付けるように。



 ──ロディ、また会いましょう。その時はわたしが『エル』だって事をなんの気負いもなく言える事を願って。



「いやー、相変わらずの好青年でしたねー」

 と、珍しく空気を読んで途中から無言に徹していたムネチカがエクレアの横に並んで声をかけてきた。

「そうね。昔と何も変わらなかったわ。久しぶりに子供の頃に戻ったみたい」

「お嬢様、終始頬が緩んでましたからねぇ」

「当たり前よ。たまたまとは言え、好きな人と数年ぶりに話せたのよ? 頬も緩むわよ。その代わり、決意は固まったけれどね」

 決意とは? と訊き返すムネチカに、エクレアは誓いを立てるように頭上高く拳を上げた。

「んなもん、ロディとの結婚に決まってるじゃない。こうなったら何がなんでも絶対クロード様との婚約を解消してみせるわ!」

 それこそどんな手を使ってでも──たとえ稀代の悪役令嬢になろうとも、必ず成し遂げてみせる。



 幼い頃に約束したあの花畑を、ロディと一緒に見るためにも!!



「上手くといいですねー。ま、二度ある事は三度あるとも言いますが」

「ちょっと! 不吉な事言わないでよ!?」

 その前にまず、このふざけた従者を先になんとかしなければならないかもと思うエクレアなのだった。


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婚約破棄されたい悪役令嬢(仮)の話 戯 一樹 @1603

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