第7話 エクレアの好きな人



「ムネチカああああああああああああああっ!!」

「いや、だから私にキレられましても」

 あれから場所は変わり、校舎麗にある庭園スペースにいた。

 緑が青々とした草木に、色鮮やかな花壇。そんな癒しに溢れた空間の中で、エクレアは今日一番の声を張って荒ぶっていた。

「なんでああなるのよ!? 毒針からクロード様を助けたのは単なる偶然だし、ムネチカを庇ったわけでもないのに、なんでか周りから必死に従者を守ろうとした立派な淑女扱いされちゃうし!」

「それだけだと美談に聞こえるから不思議ですよね。本人にそのつもりは一切ないのに」

「まったくよ! どう考えても王子の前で恥を掻かされた従者に対して、非情に手を上げる悪役令嬢っていう場面のはずなのに! それがなんでああなるの!? 嫌われようとしてるのに逆に好かれるってなに!? 喜劇なのこれ!?」

「これが喜劇だとしたら、お嬢様はコメディアンという事になっちゃいますね。どうせなら、このまま芸人を目指されてみては? お嬢様ならきっと多くの人の笑いを取る事ができますよ」

「いらんわ! わたしがほしいのはロディとの幸せな結婚生活だけよ!」

 だというのに、なんなのだこの状況は。途中までは完璧に進んでいた計画が、まるで神の見えざる手によって筋書きを変えられたかのごとく結末が望まぬ形でオチてしまう。もはや運命という操り糸に弄ばれている気しかしない。

「もおおおおおおおおおおお! クロード様の方から婚約破棄してもらう計画だったのにぃぃぃぃぃぃ! むしろ正式に求婚されちゃうってどういう事なのよぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」

「お嬢様、あんまり大声を上げると誰かに聞かれるかもしれないので、そろそろやめた方がいいですよ。今のところ、周りに私達以外の人は見かけませんけれども」

「これが叫ばずにおれるかい! ていうか逆に聞かせてやりたいくらいよ! わたしがどれだけの覚悟でこの計画を実行したのかをね!」

「そんな事したら確実にエドワード様の耳に入って、どこかの遠い町の別荘で幽閉されかねませんよ? まあそうなったら私はもっとお賃金のいい所に再就職させてもらいますけどね。給料下がりそうですし」

「あんたほんと薄情な奴ね! ちょっとは主人なるわたしの身の上を心配しなさいよ!」

「やれやれ、見くびってもらっては困りますよ。お嬢様の命と自分の命のどっちを選ぶかと訊かれたら、迷いなく『金!!』と答える女ですよ私はっ!!」

「いや、そこはせめて自分の命を選びなさいよ!?」

 さも見くびってほしいと言わんばかりの言動やないかい。

「はあ〜。なんかもう色々と疲れたわ……」

 言いつつ、エクレアは校舎の壁に手を付いて項垂れた。

「で、これからどうされるんです?」

「どうしたもんかしらね……こうも作戦が失敗に終わっちゃうなんて思いもしなかったし……」

「いっそ、今回を機にやめられては? 前にも言いましたが、王子との婚約なんて普通は誰もが羨むような事ですよ?」

「そんな簡単に割り切れるわけないじゃない」

 かと言って、他に良い作戦があるかと言われたら、全然ないけれども。

 それでも、まだ諦めたくないという気持ちが残っている。

 親に決められた道を唯々諾々と進むのではなく、自分だけにしかない本当の幸せを掴みたいと心の中で燻っているのだ。

 ロディと結ばれた、そんな輝きに満ちた未来を。



 ──ロディ。ねぇロディ。わたし、どうしたらいいと思う? ロディならどうしてた?



 過去の幻想に縋るように、胸中でロディに呼びかける。

 どれだけ問いかけたところで、記憶の中のロディが答えてくれるわけもないのに──。

 と、そんな時だった。



 唐突に吹いた一陣の風が、エクレアのリボンを攫ったのは。



「あっ」

 飛ばされてしまったリボンを見て、とっさにリボンを掴もうと手を伸ばす。

 が、リボンはそのまま風に乗って、あっという間に庭園の中へ飛ばされていく。

「ちょっと! 待って!」

 慌ててリボンを追いかける。別段そこまで高価というわけでも思い入れがあるわけでもないリボンを取り戻そうと、一心不乱に駆けて。

 正直、自分でも何をしていているんだろうなという自嘲的な笑みすら込み上げてくるものがあったが、それでも追いかけるのをやめようとは思わなかった。

 それは、過去にも一度あった事で。

 あれはエクレアがまだ幼かった頃、エドワードの厳しい教育と管理に嫌気が差して、ある日ムネチカに頼み込んで平民の変装をして町中に出た際に、目深に被っていたはずの帽子が風に飛ばされて。

 そうだ。その時に確か平民の少年に──



「これ、君の?」



 庭園の端──まだ何も植え付けられていない小さな花壇スペースで、癖っ毛の茶葉を無造作に伸ばした同年代くらいの少年が、作業着姿で立っていた。

 先ほどまで土をいじっていたのか、少し汚れた手でエクレアのリボンを掴みながら。

「さっき僕のところまで風に乗って飛ばされてきたんやけども、君のリボンで合っとる?」

 訛りのある喋り方。十人並みの容姿ではあるけれども、不思議と安心感のある朗らかな笑顔。

 ああ──昔と何も変わらない。

 この学園に来てからは遠目でしか見た事ないけれど、それでもわかる。心のトキメキが何よりも証明している。



 このいかにも平々凡々な少年が、自分が恋してやまないロディであるという事を──


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