第5話 次の狙いは婚約者(王子)



「ちょっとムネチカ! これは一体どういう事なのよ!?」

「いや、私にキレられましても」

 所変わって学園寮、エクレアの自室。

 大食堂から帰ってきたエクレアは、真っ先にムネチカに対して怒りをぶつけた。

「話が違うじゃない! 本当はミレーネ様に無礼を働いたその従者と主人として、悪い風評を広めてもらう計画だったのにっ」

「物の見事にお嬢様の株が上がっちゃいましたねー。ミレーネ様とミモザ様にもたいそうお嬢様を気に入っちゃったみたいですし」

 そうなのだ。

 嫌われるためにやったつもりが、一体なんの冗談なのか、逆にミレーネの好感度を稼ぐ結果になってしまったのである。どうしてこうなった。

「だいたいムネチカが、あのまま恐怖に震えた演技を続けてさえいればよかったのよ! そしたらわたしもミレーネ様が許してくれたのにまだ激怒する酷い主人を演じていられたのに!」

「さすがにあの状況では無理がありますよ。だいたいお嬢様だって終始唖然としていたじゃないですか」

「うっ」

 痛いところを突かれた。

「しかもその後は、ミレーネ様と和やかに談笑までしていたくせに」

「し、仕方ないじゃない! あの状況で従者を折檻するわけにもいかないでしょ!?」

「うわー。自分の発言を棚に上げやがりましたよ、このあるじ

「やかましい! ああもう、せっかく立てた計画が台無しだわ……」

 言いながら、エクレアは無力感さながらにベッドへ倒れ込んだ。

「なんでこうなっちゃうのよ〜。タイミング良過ぎるでしょ、たまたまミレーネ様の口にしてはならない食材が入っていたなんて。そうはならんやろって感じだわ……」

「実際になっちゃいましたけどね。まさに喜劇のようなオチでした」

「全然笑えないけどね。わたしにしてみれば悲劇よ」

「まあ、結果的にはミレーネ様だけでなく生徒の方々の好感度まで上がったので、決して悪い話ではないと思いますけどね。ていうか普通なら誰もが羨む展開ですよ?」

「わたしはミレーネ様に嫌われたかったの! そしたらクロード様にも話が届いて、上手くいけば婚約破棄までいくかもしれなかったのに! 大失敗だわ!」

「おかげで私は比較的無事に済みましたけどね。最悪ミモザ様に殴られる覚悟もしていたので」

「その分、お金も弾んであげたんだから文句はないでしょう? さすがに命までは取られないってわかっていた事だし」

 他国ではちょっとしたミスで従者やメイドの首を刎ねた王族もいるようだが、アーバスノットはそこまで非道ではない。場合によっては厳しい罰もあろうが、周囲から「聖王女」と親しまれているミレーネならそうはならないだろうという確信があったのだ。

「でもまさか、あんな強運まで持っていたなんて思わなかったわ……。なんだか道化師にでもなったような気分よ……」

「大丈夫ですよ。もしも戯曲にでもなれば観客の大ウケ間違いなしですから」

「微塵も嬉しくないわ! 笑い者になりたくてあんな事をしたんじゃないっての! それともあんた、わたしを笑い者にしたいの? 実は笑いを堪えていたりとかするんじゃないでしょうね?」

「まさか。私はお嬢様の従者なのですよ? 落ち込む主人を見て笑う従者がどこにいますかプークスクスクスクスクスクスwww」

「思いっきり笑ってるじゃないっ!」

 ケンカ売っとるんか、コンチキショウは。

「何にせよ、このままじゃダメね。計画変更よ」

「計画変更とは?」

 聞き返すムネチカに、エクレアは上体を起こして不敵に笑んだ。



「次はクロード様を狙うわ」



 ☆★☆★☆★



 翌日。通常授業がある平日。

 エクレアは今、クロードが在籍している教室のそばにある廊下の角で、ひっそりと身を隠していた。

「そろそろね、クロード様が出てくるのは」

「はい。これからクロード様が在籍しているクラスで魔法実習があると聞き及んでおります」

 エクレアの呟きに、後ろに控えていたムネチカが静かに応える。

「おそらく、もうじき廊下に出る頃合いかと。魔法実習は外でおこなうそうですから」

「相変わらず情報収集が早いわね」

「情報は武器ですから。周りの情報だけでなく主人の弱味や秘密を握るのも従者の仕事のひとつです」

「なるほ……ちょっと待て。今なんつった?」

 さっき聞き捨てならないセリフがあったような。

 まさかロディ以外の秘密を握っていたりするのか、この不良従者は。

「それよりも、ほら。クロード様が従者の方と一緒に廊下へ出ましたよ」

 言われて、エクレアはムネチカから教室の方へ視線を移す。

 ミレーネと同じ美しいブロンドの髪。端正な顔立ちは役者ですら比にならないほど完璧で、すべてにおいて無駄な箇所がない。

 瞳はミレーネとは違うオーシャンブルーだが、それがまた蒼く澄んだ大海原を連想させるほど深い色味があり、見ているだけでその海底にどこまでも沈んでしまいそうだ。

 そしてエクレアよりも頭ひとつ分高い背丈は、華奢なように見えて所々制服越しでありながら筋肉が隆起しているのがわかる。おそらくは普段から鍛えているに違いない。

 第二王子とはいえ、王子である事には変わりない。つまりは常に命を狙われる危険性があるわけで、そのためいざという時のために己の身を守れるために日頃から鍛えているのだろう。そんな話をいつかどこかで聞いた事があるのをエクレアは頭の片隅て思い出していた。



 ──さすがは王位継承権第三位を持つ王子。立ち振る舞いからしてとんでもないオーラがあるわね。ミレーネ様とはまた違った凄さがあるわ。



 直接見たのは先月廊下をすれ違った際に会釈だけ互いにした時だが、やはり遠目からでも緊張してしまう。

 だがいつまでも萎縮しているわけにもいかない。

 エクレアには達成しなければならない目的があるのだから。

「行くわよムネチカ」

「了解」

 首肯するムネチカに一瞥を向けたあと、エクレアは凛然とクロードの前に現れた。

「クロード様、ご機嫌麗しゅうございます」

「! これはエクレア嬢、ごきげんよう」

 まさかエクレアから話しかけてくるとは思わなかったのか、一瞬驚いたように目を見開いたあと、すぐに微笑を称えて顔をこちらに向けた。

「姉上から聞いたよ。姉上がココの実を食べる寸前に止めてくれたと」

「いえ、あれは事故のようなものだったので……」

「謙遜を。そのあと、従者を守るために体を張ったとも聞いたよ。ステキな話じゃないか、なあレイン?」

「ええ」

 と、クロードの背後に控えていた長身でメガネを掛けた従者の男が頷き返す。幼い頃からクロードのお付きをしていると言われているレイン・オスマンだ。

 レインもまた、ミレーネの従者であるミモザと同じく高名な貴族の嫡子で、古くから王家に仕えている一族らしい。

 武闘派のミモザとは違い、レインは魔法分野専門らしいが、それでも騎士団の実力者と肩を並べるほどの腕前なのだとか。王子の専属従者ともなれば、という事なのだろう。

「とんでもございません。わたくしはただヴァーミリアン家の令嬢として恥じぬ行動を取ったまでですわ」

「それがスゴいんだよ。従者のためにそこまでできる主人なんてなかなかいないのだから。婚約者として誇り高いよ」

「もったいなきお言葉、大変恐縮にございます」



 ──わたしの方から話しかけたとはいえ、いつもと比べて口数が多いわね。ミレーネ様の一件で、わたしに対する印象が変わったのかしら?



 だとしたら、あまり喜ばしい事態とは言えない。いやクロードのようなイケメンで性格も穏やかな王子様に好印象を持たれるのは悪い気はしないが、しかし婚約を破棄してほしい立場からしてみれば本末転倒もいいところだ。

 ミレーネの件は失敗どころか株を上げてしまう結果に終わってしまったが、今度こそ婚約破棄大作戦を成功させなければならない。

 そのための作戦は入念に練った。準備も済ませた。

 あとは実行に移すのみ。



 ──さあ、始めるわよ!



「話は変わりますが、クロード様。実はお渡したい物がありまして」

「僕にかい? 珍しいね」

 意外そうに眉を上げるクロード。実際何かを渡すのはこれが初めてだ(ちなみにクロードからは一度でもない)。

「なんだい、渡したい物って」

「手紙をしたためましたの。わたくし達、婚約を交わしたというのにほとんど会話をした事がなかったものですから、少しでもわたくしの事を知っていただきたくて……」

「……これは申しわけない。エクレア嬢に気を遣わせてしまったようだ。淑女レディに対して失礼な真似をさせてしまい、心から謝罪するよ」

 いいえ、とエクレアは首を振った。

 謝る必要はない。



 手紙を書いたのは事実だが、どうせそれを読む事なんてないのだから──!



「ムネチカ、手紙を」

「はい。お嬢様」

 エクレアの言葉に、ムネチカが懐から封に入った手紙を取り出す。

 そして手紙を渡そうとして、ムネチカは何かにつまづいたように体を傾けた。

 あっと小さく悲鳴を漏らしながら、エクレアにぶつかる形で転倒するムネチカ。

 その勢いはエクレアのバランスをも崩し、そのまま後方へ倒れかかる。

「きゃ!?」

「危ない!」

 とっさにエクレアを抱き止めて床に腰を伏せるクロード。

 その際、何か「ヒュン」という風切り音のような物が聞こえたような気がするが、虫か何かだろうとエクレアは聞き流してクロードに顔を向けた。

「……クロード様、ありがとうございます。それといきなりもたれかかった無礼をお許しください……」

「いや、気にしなくていい。どこかケガはしていないかい?」

「はい。おかげさまで」

 言いながらクロードの手を離れて立ち上がったところで、エクレアは「あっ」と声を上げた。

「わたくしがしたためた手紙が! こ、こんなボロボロに……!」

 床に落ちた皺くちゃの手紙を見て、悲壮に口元を手で覆うエクレア。

 それを見たムネチカが顔面を蒼白させて床に両手を付いた。

「た、大変申しわけありません! わ、私はなんて事をしてしまったのでしょう……!」

「本当よ! このグズっ!!」

 怒声と共にムネチカの頭を上から踏ん付ける。

 直後「ぎゃっ」という苦鳴を漏らしたムネチカに構わず、エクレアは踵でグリグリと体重をかけた。

「役立たず! 無能! 駄従者! どうしてあんたみたいなゴミが存在しているのかしら!?」

「ああっ! 申しわけございません! お、お嬢様、申しわけございません……っ!」

「お、落ち着くんだエクレア嬢!」

 と、クロードに羽交締はかいじめにされた。

 そこでいったん暴れるのをやめたエクレアではあったが、まだ気が収まらないとばかりに激憤する。

「ですがクロード様! わたくしがせっかくクロード様のために書き綴った手紙が、この愚かな者のせいでめちゃくちゃに……!」

「気持ちはわかるけど、ひとまず落ち着いて! 周りが騒ぎ始めている!」

 言われて周囲を見渡すと、確かに遠く離れた位置で生徒達が何事かと集まり始めていた。

 にも関わらず、エクレアは「でも!」と怒号を飛ばす。

「クロード様に対するありったけの想いを綴った手紙をあんな風にされて、わたくし我慢なりませんわ! もっと折檻してやらないと……!」

「もうよすんだエクレア嬢! 彼女は十分に反省している! それにあれは事故だったんだ! これ以上の叱責は悪目立ちするだけだ!!」

 再度ムネチカに向かうエクレアを、クロードがとっさに腕を取って制止させる。

 そうこうしている間にも生徒達がザワザワと好奇の目を向けながら騒ぎ始めた。おそらくは自身の従者に暴力を振るうエクレアに対して陰口でも叩いているのだろう。

 一方のクロードも、それまでの温和な雰囲気を潜めて、エクレアに対し厳しい眼差しを向けていた。間違いなくエクレアに嫌悪感を抱いている表情だった。

 その後ろにいるレインも婚約者同士の問題と思って傍観に徹しているが、目だけは雄弁に不快感を示していた。

 そんな誰もがエクレアの行為に悪感情を持つ中、



 ──よっしゃあ! 計画通りぃぃぃ!



 とエクレアだけは内心ガッツポーズを取っていた。

 そう──これもミレーネの時と同様、クロードに嫌われるための作戦だった。



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