第4話 予想外の展開



 キャッと小さく悲鳴を上げるミレーネ。

 そうしている間にテーブルの上に落ちた衝撃で水差しの蓋が外れ、中の水がミレーネの方へと流れ込んできた。

 が、とっさにミモザがミレーネの椅子を引いたおかげで、ミレーネに水がかかるという惨事だけは回避できた。回避こそできたが──

「ロールケーキが……」

 水浸しになったロールケーキを見て心底残念そうに声を落とすミレーネ。よくは知らないが好物だったのかもしれない。

 そんなミレーネを見たムネチカが、ひどく狼狽えた様子で床に両膝を付けた。

「た、大変申しわけありません!! わ、私、王女様になんて事を……っ」

「ほんとよ! 一体何をしたのかわかる!? ミレーネ様にこんな無礼な真似を働くなんて……!」

「だ、大丈夫よエクレアさん。ミモザのおかげで濡れずに済んだ事だし……」

 それに、とミレーネはそこで一拍置いたのち、おもむろに両手を掲げた。

 そして──



「太陽神フローディーネに願いたてまる。その光で我が前を照らしたまえ」



 口上と共に突如として光り輝くミレーネの両手。

 その光は水で濡れてしまったテーブルクロスを見る見る内に乾かし、あっという間に元の水浸しになっていない状態に戻してしまった。

 これが特殊な人間しか使えない──主に王族のような選ばれた血統しか扱えない力、光魔法である。

 魔法には属性というものがあって、だれがどんな属性を持つかは千差万別なのだが(ちなみにエクレアは風属性)光魔法だけは特殊で、この力を持つ者は貴族の中でも数パーセントと言われている。

 また、属性は先祖代々から遺伝されるものと決まっているので、なおさら光魔法は希少とされていた。

 そういう事情もあり、ミレーネのような王族は光魔法を扱えるという点もあって、民から畏敬の念を集めていた。

 その光魔法を目の前で見せられたエクレアは、思わず息を呑んだ。まさかミレーネのような王家の方が、こうして失態をやらかした者の前で光魔法を披露してくれるとは──あまつさえ怒りすらせずムネチカのミスをフォローしてくれるとは思わなかったのだ。

 ミレーネにしてみれば、ムネチカは下賤の身でしかないはずにも関わらず。

「ほらぁ、これでもう問題ないでしょう?」

「あ、はい……」

 と条件反射で頷くエクレアであったが、すぐにハッと思い直した。



 ──ダメよ! ここで引いたら! わたしが立てた計画が台無しになっちゃう!



「いいえ! いいえ! ミレーネ様の温情は大変ありがたいですが、やはり王女様に水をかけそうになった無礼を見過ごすわけにはいきません! ムネチカ!」

「は、はい……」

「これは罰よ。頬を出しなさい」

 エクレアに言われた通り、頬を向けるムネチカ。

 その頬目掛けて、エクレアは勢いよく平手打ちした。

 パシンっ! といっそ小気味いいほど高らかに鳴り響くエクレアのビンタ。その音に、周りにいた女子生徒達が揃って「きゃ!」と悲鳴を上げた。



「まあ、あのクールで知られるエクレア様があんなにお怒りになるなんて……」

「ミレーネ様に水をかけそうになったのだもの。従者に怒りを覚えるのは無理ありませんわ」

「ですが、こんな人前でビンタされなくても……」



 ざわざわとエクレアをおそるおそる視界に入れながら、小言で囁き合う生徒達。

 近くにいる生徒は会話が筒抜けになっているが、エクレアは逆に内心ほくそ笑んでいた。



 ──しめしめ。上手い事、わたしの評判が下がっているわ。ミレーネ様も絶句しているし、これならクロード様の耳にも届くはず! よくやったわ、ムネチカ!



 周囲に気付かれないよう、ムネチカにこっそりウインクを送るエクレア。それを見たムネチカが赤くなった頬を触りながら僅かにこくりと頷く。

 そう──これはエクレアとムネチカによる芝居だった。



 すべては、クロードにエクレアの悪評を耳にしてもらうために。



 詳細は、こうだ。

 まずはよく食堂を利用するという王女のミレーネに近付き、食事が済んだ頃を見計らって声をかける。食事のあとでならない理由は、さすがに食事中に声をかけるのは無礼だろうと思ったからだ。

 そして、どうにかしてミレーネと同じテーブルに着いたあと、食事を運んできたムネチカが、水かスープをミレーネの方に向けて零すという流れだった。

 その際、決してミレーネを濡らす事のないよう、細心の注意を払って。

 なんだかんだで器用なムネチカの事だから、上手い事やってくれるだろうと思っていたが、まさかここまで想定通りに進むとは。

 ちなみに先ほどの平手打ちも演技だ。実際には叩いていない。

 ビンタした際の音は風魔法(簡単なものなら無詠唱でも使える)で鳴らしたものだし、ムネチカの頬が赤くなっているのも、とっさにムネチカが頬をメイクしたからだ。

 自分でやらせておいてなんだが、早業過ぎるだろ。

 どんだけ早いメイク術を持っているんだ。

 まあ何にせよ、上手くいってよかった。本当は最初にクロードを狙う予定だったのだが、途中で変更してミレーネにして正解だった。

 これならきっと、ミレーネの口からエクレアの嫌な印象がクロードに伝わる事だろう。

 いや、ミレーネは聖人のような方なら、そんな陰口を言うとは考えにくい。しかしながらミレーネ達の前で自身の従者を怒り任せに叩いたという事実だけは、いずれクロードの耳にも届く事だろう。

 なにせ、クロードとミレーネは姉弟の関係なのだから。

 あとは再度ムネチカに怒鳴り付けてから退散すればいいだろう──そう思った矢先、



「ミ、ミレーネ様! 大変申しわけありません!」



 と、ミレーネにロールケーキを運んできたシェフが血相を変えてこちらのテーブルに走り寄ってきた。

「先ほどのロールケーキですが、もうお口にされてしまってでしょうか!?」

「ロールケーキ……ですか?」

 と、それまでエクレアの平手打ちに面食らっていたミレーネが、かなり焦った様子で来たシェフに聞き返した。

「いえ、まだでしたが……」

「よかったぁ〜。実はそれ、ミレーネ様の苦手な食べ物であるココの実が入っておりまして……」

「ココの実ですって!?」

 ミモザが突然声を荒げた。

 ムネチカが水を零した時すら動揺する素振りを見せなかった、あのミモザが。

「ココの実は、以前姫様が呼吸困難に陥った代物ですよ!? なぜそのような物が……!?」

「か、重ね重ね申しわけありません! 言いわけにしかなりませんが、最近入った新人の者が、ミレーネ様のロールケーキに誤ってココの実を混入させてしまったらしく……」

「調理場の教育はどうなっているのです!? ミレーネ様が口にしてならない物は再三伝えたはずですよ!?」

「ミモザ、落ち着いてぇ。幸い、口にする事はなかったのだからぁ」

 言いながら、ミレーネは微笑を浮かべながらムネチカを見やった。



「そこにいる従者の方のおかげでぇ」



 ん?

 んんんんんん?

「ですが、姫様……」

「ワタシは本当に気にしていないからぁ。結果的には偶然だったとはいえ、そこの従者さんが水を零してくれたおかげで、シェフが駆け付ける前にロールケーキを口にしなくて済んだのだからぁ」



「確かに、あれがなかったらミレーネ様がロールケーキを口にしていたところでしたわね」

「という事は、ムネチカ様がミレーネ様の命を救ったという事に……?」

「まあステキ! ムネチカ様が王女様を助けた事になりますのね!」



 周りにいた生徒達も、こぞってムネチカを褒め始めた。

 おかしい。演技だったとはいえ、王女様に対し水をかけそうになったというのに!

「ですからエクレアさんも、もうそこの従者の方を叱らないであげてぇ。恩人が悲しむ顔を見るのは心が苦しいわぁ」

「ですが、ミレーネ様への無礼を見過ごすなんて、ヴァーミリアン家としても沽券に関わる事なので……」

「エクレア様、もうそれ以上芝居をなさらなくていいんですよ。そこの従者の方を叩いたのも、実は振りですよね? 私には見えていましたよ」

 不意に来たミモザの言葉に、エクレアは「えっ!?」と驚愕の声を上げた。

 まさかバレた!?

 ミレーネにわざと水をかけようとした事も!?



「エクレア様が従者を叩いた振りをした理由……それは従者の方を守るためですよね? 私が激昂してそこの方に掴みかからないように」



 え。

 全然ちゃいますけど???

「まあ。そうだったのぉ?」

「はい姫様。実際姫様に水がかかりそうになった時、怒りのあまりそこの従者に掴みかかる寸前でした」

 思わず「マジで?」と目を白黒させるエクレア。

 一見、いつも冷静沈着そうなミモザがそんな激情に駆られていたとは。人は見かけによらない。

「そんな私の剣呑な雰囲気を感じ取ったのでしょう、エクレア様が従者の方に平手打ちされる素振りを見た際、私はハッとさせられました。わざと平手打ちする振りを見せて、エクレア様はご自分の従者を守ったのだと。

 それだけでなく、姫様や私の溜飲を下げねば、王女に無礼を働いたとヴァーミリアン家に悪い風評が流れるかもしれないと危惧して、敢えて心を鬼にして従者の方に激昂しているように見えました。そうして従者の立場だけでなく、ヴァーミリアン家の地位をも共に守ろうとしたのでしょう。わざと酷い主人を演じる事によって。

 なんという従者想い! なんたる覚悟! 実に立派な姿でした! つい怒りに身を任せそうになった我が身が恥ずかしい!!」

「まあまあ。なんてステキな話なのかしらぁ。ワタシ、感動で胸が打ち震えましたぁ」

 と瞳を潤ませながら、エクレアに向けて拍手するミレーネ。

 その拍手はだんだんと周りの生徒達にも伝播し、気付けば大食堂に響き渡るほどの拍手喝采へと変わっていた。

 ポカンとあっけに取られたままのエクレアだけを残して。


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