第3話 作戦開始



「さあお嬢様! 張り切って悪役令嬢を演じましょうね! このムネチカ、なんでもいたしますよ!」

「現金な奴ね……」

 明くる日。アーバスノット魔法学園の廊下。

 通常授業がある今日、エクレアはムネチカを伴ってとある場所を目指して歩いていた。

 いや、違った。どちらかというと先行しているのはムネチカの方だった。しかも上機嫌に。

 というのも昨日、ムネチカから退職志願をされた際にいつもの倍の金を弾むから協力してほしいと交渉に出たのだ。

 すると、どうした事でしょう──辞める気満々でいた従者がさも何事もなかったように退職を取り下げたのです!



 ──ほんと、金だけでしか動かない奴よね。



 ある意味扱いやすいとも言えなくもないが。

「ところでお嬢様。私の役目は昨日の打ち合わせ通りでいいんですよね?」

 こちらを振り返りながら訊ねてきたムネチカに、

「ええ。何も問題ないわ」

 とエクレアは表情を変えずに答える。

「ていうか、こんな道の往来で昨日の話なんてしないでよ。誰かに聞かれでもしたらどうするのよ」

「今はお昼時なので大丈夫ですよ。ほとんどの人は自室か食堂にいるはずです。現にお嬢様と私くらいしか周りにいませんし」

「それはそうかもしれないけれど……」

「そんな事より、打ち合わせの件ですよ。練習も無しにぶっつけ本番でやられるおつもりですか?」

「なによ。セリフ忘れちゃったの? それとも今さら怖気付いたとか?」

「いえ。セリフは完璧に頭に入ってますし至って平静ですが、後々の事を考えたらお嬢様へと風当たりが強くなるのではないかと」

「元から覚悟の上よ。そもそも悪役令嬢を目指すなら風当たりなんて気にしてられないでしょ」

「なるほど。それもそうですね」

「わたしにしてみれば、あんたがそんな心配をしてくれた事の方が意外だったわよ。あんたも一応わたしの従者というか、人の子だったのね」

「失敬な。私が心配しているのはお嬢様の身の上なんかではなく、手筈通りにすんだあとの私に対する周囲の評価ですよ。お嬢様ごときを案ずるとか、思い上がりもはなはだしい!」

「甚だしいのは、わたしに対するあんたのその舐め腐った態度の方よ」

 何ならこの場で一発殴りたくなってきた。

「ま、それくらいの方が逆に頼もしいけれどね……」

 嘆息しつつ、エクレアは立ち止まる事なく歩を進める。

 向かうは、貴族のみが入る事を許された大食堂。

 そこに、今回における重要人物がいる。




 アーバスノット魔法学園大食堂。

 ここは主に貴族や王族関係者が利用する大食堂であり、貴族とその従者以外は原則立ち入り禁止となっている。

 平民は平民で専用の食堂があるが、ここと比べたら明らかに目劣りするというか、そもそも内装からして違う。

 ここを絢爛豪華とするならば、向こうは犬小屋と言っても差し支えないくらいのレベル差である。もっともヴァーミリアン家の犬古屋は平民が住む民家よりもまだ豪華らしいが。



 ──まあ、わたしも遠目からしか見た事ないけれど。あそこは貴族が行くようなところじゃないってのが暗黙の了解になってるし。



 周りの目……というよりはヴァーミリアン家の地位などを気にしないのでいいのなら、諸手を上げてあっちの食堂に行っていたところだったのだが。何せ愛しのロディに会えるし。

 ともあれ、そんな惜しむなく金や銀などの高価な金属で装飾された食堂内を、後ろに控えているムネチカと共に楚々と歩む。

 食堂内は少し昼も過ぎた頃合いというのもあって、既に大勢の貴族達がテーブルに着いて豪華な食事に舌鼓を打っていた。貴族出身の一流シェフを雇っているという話なので、味に不満を漏らす者なんていない事だろう。エクレア的には物足りない料理ばかりなのであまり好きではないが。

「まあエクレア様。ごきげんよう」

「ごきげんようですわエクレア様。今日もお美しいお御髪ですね……!」

「いつも自室で食事をお取りになるエクレア様が食堂する利用なんて珍しいですわねぇ」

 たまたま近くのテーブルに着いていた顔見知りの令嬢達に「皆様、ごきげんよう」と笑顔で会釈してその場を過ぎる。良い子達なので本当はもう少し雑談に付き合ってあげたいところなのだが、こっちも急ぐ理由があるのでお喋りはまた今度にさせてもらおう。

 そうして他の顔見知りにも同じような挨拶を交わしながら、エクレアは目的の人物がいるテーブルの近くまで歩んだ。



 ミレーネ・アーバスノット。



 アーバスノット王家第一王女にして、クロードより二つ上の実姉。

 そして第二王位継承権を持つお方でもある。



 腰まで伸びる金糸のような美しいブロンドの髪。エメラルドグリーンの瞳は宝石さながらで、見ているだけで視線だけでなく心まで奪われそうだ。

 髪や瞳だけではない。整った鼻梁も艶のあるプルっとした唇も女性的な魅力に溢れていて、エクレアをして羨ましいと思わせるほどの完成度だった。

 それでいて背もスラっと高く体付きも華奢で、高級品であるシルクをふんだんにあしらったロングスリーブドレスがこれ以上なく様になっている。

 ほとんどの学生は制服を着用したまま食事を取る方が圧倒的に多い中で──エクレアも含めて──ミレーネだけはこうしてわざわざドレスに着替えている点からして、王女たらしめる気高さのような凄みを感じさせられた。 

 そして、さすがは王女と言うべきか。見た目だけでなく、ひとつひとつの所作が緩慢ながらも無駄なく洗練されており、そんじょそこらの貴族では真似できない品格があった。

 正直に言うと、エクレアですら気後れするものがある。

 一度だけ社交界で会話しているし、学園内でも数回挨拶を交わした事もあるのに関わらず。

 当然といえば当然だ。こっちはただの侯爵令嬢に対して、相手は正真正銘のお姫様。格からして違う。

 普段なら見かけても自分から近寄ろうとも思わないが、今回ばかりはそうもいかない。

 なにせミレーネには、どうしてもやってもらいたい役割があるのだから──。

「ムネチカ。準備はいいわね?」

 小声で訊ねるエクレアに小さく頷くムネチカ 人前だけあって今はちゃんと猫を被っている。緊張している様子も見られないし、この分なら大丈夫そうだ。



 さあ、ここからが本番だ。

 エクレア・ヴァーミリアンによる一世一代の大芝居をぶちかましてやろうではないか!!



「ミレーネ様、ご機嫌麗しゅうございます」

 ミレーネの左横に立ち、スカートの両裾を摘みながら片膝を下ろす。その際は音を立てず、楚々とこうべを垂れて。王族に挨拶する際の最敬礼のひとつだ。

 そんなエクレアに、ミレーネは口に運びかけていたティーカップをいったんソーサーに下ろして、

「あらあ、エクレアさん」

 と微笑みを浮かべた。

「エクレアさん、今からお食事なのぉ?」

「はい。ミレーネ様はすでにお済みでしょうか?」

「ええ。今はデザートを待っているところよぉ。少し時間が掛かるみたいだからこうして紅茶を飲みながら待っているのぉ。ねぇミモザ」

「はい。姫様」

 と、それまでミレーネの右横で一言も出さずに直立していたミモザという白髪の女性が静かに肯定した。



 ミモザ・キャンベル。



 有名な貴族の一人娘でありながら、今はミレーネの従者をしている二十歳の女性だ。

 聞くところによると武道に長けており、熟練の兵士ですら舌を巻くほどの実力を持つと言う。それだけでなくミレーネの身の回りの世話まで小言もなく完璧にこなしているというのだから、ムネチカも少しは見習ってほしいところだ。

「ところでぇ、エクレアさんとは前々から話してみたいと思っていたのよぉ。ほらぁ、エクレアさんとクロードとの婚約が決まったというのに、なかなか顔を合わせた機会がなかったでしょう? ワタシの妹になるかもしれない相手なのに、このまま全然話さないというのも寂しいと思ってぇ」

「光栄です。わたくしも同じ思いでございました。ですが立場の関係上、こちらから気安くお声を掛けるというのも憚れるという葛藤もありまして」

「あらあらぁ。そんなこと、気にする必要なんてなかったのにぃ。せっかく同じ学園に通っているのだからぁ。上級生と下級生という関係だったから、なかなか顔を合わせた機会もなかったけれどぉ」

「仰る通りです。ですが今日ここでミレーネ様を偶然お見掛けにしたのも神のお導きと思い、勇気を振り絞ってお声を掛けさせていただきました」

 本当は偶然でもなんでもなく、ミレーネは普段からこの大食堂を利用しているという話を日頃クラスメートから小耳に挟んでいたので、こうして自ら出向いただけでなのだが。

 なんて事情を知る由もないミレーネは、パァと表情を輝かせて、

「まあ嬉しいわぁ。ほら、いつまでもそこにいないでエクレアさんもお座りになって? 一緒にお茶でも飲みながらお話ししましょう」

 かかった。

 思惑通り同じテーブルに着けた事に内心ほくそ笑みつつ、エクレアは「では失礼いたします」とムネチカに椅子を引かせてから静かに腰を下ろした。



 ──まず第一関門はクリアと言ったところね。さすがに私の方から図々しくミレーネ様と同じテーブルに着くわけにはいかなかったし。



 しかし重要なのはここからだ。

 ひと時も気は抜けない。

「エクレアさん、お食事はまだって仰っていたわよねぇ? 先にそちらの従者の方に料理を運んでいただいてはどうかしらぁ?」

「はい。そうさせていただきますわ」

 言われて、アイコンタクトでムネチカに指示を飛ばす。

 エクレアの意図を汲んだムネチカが「失礼いたします」と一言断ってから配膳場へと向かうのを横目で見届けていると、

「さっそくだけれどエクレアさん。少し訊ねてみてもいいかしらぁ?」

 唐突に質問を向けられた事に内心驚きつつ「はい。もちろんですわ」と笑顔でエクレアは頷く。

「クロードは話してくれないのだけれど、あの子とはどんな感じなのかしらぁ?」

「どんな、ですか……。実はクロード様とは以前に一度だけお話した事があるくらいで……」

「まあ、そうなのぉ? クロードったら、婚約相手をほったらかしにするなんてダメな子ねぇ」

「いえ、クロード様のお立場もありますから。あまりわたくしのような身分の者にクロード様自ら会いに行くというのも……」

「確かに身分差という壁はあるかもしれないけどぉ、婚約した間柄なのだからそこまで難しく考えなくてもいいんじゃないかしらぁ? ましてクロードの方から来てくれないのなら、ますますエクレアさんの方が気まずくなる一方でしょう?」

「わたくしはクロード様の婚約相手に選んでくださっただけでも存分に満足しておりますから」

「あらぁ。エクレアさんは謙虚なのねぇ。どういった方なのか、今までお会いした事もなかったから全然知らなかったけれど、とても良い子で安心したわぁ。こんな子と夫婦になれるなんてクロードも幸せ者ねぇ」

 わたしは夫婦になるつもりなんて微塵もないけれどね。

 なんて本心はおくびにも出さず、依然として笑みを貼り付けながらミレーネに訊ねる。

「ところでミレーネ様。ミレーネ様はどうしてこの食堂を利用されているのでしょうか? 王家の方々は専属の一流シェフが控えているという話を聞いた事があるのですが」

「ええ、その通りよぉ。でも自室に引きこもってばかりでは見聞を広められないでしょう? いくら王女でも世間を何も知らない常識知らずにはなりたくないしぃ、立場に甘えるだけの怠け者にもなりたくはないわぁ。ワタシはワタシの役目をまっとうしたい。ただそれだけの単純な話よぉ」

 へぇ、とエクレアは内心感嘆した。

 おっとりとした口調だから、きっと普段もスローテンポで俗世間には疎い王女様なのだろうと思いきや、偏見もいいところの相当に勤勉なお方だった。



 ──良い人なのはミレーネ様の方じゃないの。こんな良い人を今から騙すなんて、ちょっと胸が痛むわね……。



 とはいえ、もう後には引けない。

 ロディとの幸せを勝ち取るためにも、心を悪魔に売ってでも挑まねば。

 そうこうしている内に、配膳場から身なりの良いシェフが、ロールケーキを載せた皿を両手に持ちながらミレーネの方へ歩いてきた。きっとあれがミレーネが待っていたというデザートなのだろう。

 そのちょっとしたあとに、配膳台を押しながらムネチカもこちらにやって来た。

 絶妙なタイミングだ。

 計画を実行するのに都合がいい。

 そっと右頬に触れる。計画実行の合図だ。

 その合図を見たムネチカが、ミレーネとミモザに気取られないよう頷くように目配せしたあと、配膳台の上にあった空のフィンガーボールと水差しをエクレアの前に置き始めた。

 そうして、ミレーネがロールケーキにフォークを刺そうとした同じタイミングで、ムネチカがフィンガーボールに水を注ごうとして──



 水差しをミレーネ側へと滑り落とした。




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