第2話 目指せ悪役令嬢(仮)



 その問いかけに。

 エクレアは緩慢に上半身を起こして「クロード様の事、ね……」と呟きを漏らした。

「去年、一度だけ社交界で会った事があるけれど、悪い方じゃないと思うわよ。王子なだけあって気品も教養もあるし、身分が低いわたしに対しても優しく対等に扱ってくれる──悪い方じゃないどころか、とてもいい方だと思うわ」

「じゃあ最悪、クロード王子に嫁がれたとしても不満はないと?」

「クロード様自体にはね。お父様の言いなりになるのは気に食わないけれど」



 ──今にして思えば、あの時の社交界から婚約を画策していたのかもしれないわね。やたらお父様がわたしとクロード様の接点を持たせようとしていたし。



 もっともこっちは適当に愛想を振り撒いていただけなので、クロードに気に入られるような事は何ひとつした覚えはないのだが。

「それにしてもクロード様もよくわたしとの婚約なんて了承したものね。社交界でちょっと話した程度で、学園でもたまに顔を合わせても挨拶を交わすくらいの事しかしないのに」

「王子といえど自由の身というわけではありませんしね。きっと王族生まれゆえの逆らえない事情などがあるのでしょう。ま、案外お嬢様の事を気に入った線も否定できませんが。だとしたら間違いなくゲテモノ趣味ですね」

「だれがゲテモノだコラ」

 主人に向かってなんだ、その失礼過ぎる言い草は。

「なんにせよ、エドワード様がお嬢様の入学を許してくださったのも、クロード王子の件があったせいのかもしれませんね」

「なるほど。腑に落ちる話だわ……」

 アーバスノット家一族は、代々この魔法学園に通う事が通例となっている。

 それは国中で周知の事実となっており、エドワードもその事を知っていたからこそ、エクレアがアーバスノット魔法学園に入りたいと願った時も反対はしなかったのだろう。

 すべてはクロードとの婚約をスムーズに進めるために。

「けど、余計困ったわね。着々とほとぼりを埋められているような気がして嫌な感じだわ。幸いというか、クロード様が積極的にわたしと関わろうとする素振りは見られないけれど」

「同学年なのに向こうから会いに来る事もほとんどありませんしね」

「わたしの方から会いに行く事もないけれどね」

 特別親しいわけでもないので、こっちから会いに行く理由がないだけではあるが。

「でも、どのみちヤバい事には変わりないわね。早いところ婚約を解消してもらわないと……」

「そこで王子にグーパンですよ」

「わたしがグーパンされるわ。むしろ傷害罪と不敬罪でダブルパンチされるわ」

 下手したら磔刑まである。

 マジでシャレにならん。

「ですが、クロード王子の方から婚約解消を持ち出してほしいのでしょう? 王子に対して失礼な真似でもしない限り、婚約破棄なんてしてくれないのでは?」

「グーパンは論外にしても……そうね。さすがにわたしの方から婚約破棄なんて無理だし……」

 もしもエクレア側から婚約破棄なんてしようものなら、間違いなくヴァーミリアン家の信用は地の底に落ちるだろう。

 まあヴァーミリアン家が失墜したところでエクレアは構わないのだが、しかしながらそうなると当然学園に通えなくなる。全寮制なのでロディと会う機会すら無くなってしまう。

 そうなってはまったく意味がないし、最悪、ヴァーミリアン家も肩身狭さにこの国を離れる事になるかもしれない。それだけは絶対避けなければ。

「どうしたものかしらね……」

 溜め息混じりに呟きながら、ふと枕元の小棚に収めてある本を視界に入れた。

 それは身分違いの男女の恋を描いたもので、この国だけでなく他の国々でもヒット中のベストセラー恋愛小説だ。

 もっとも主に読んでいるのは平民で、貴族連中はこの手の一般大衆向けの作品を下賤と忌み嫌っている場合が多い。戯曲や伝記ならヨシとされているが、なぜ一般大衆向けだけ目の敵にするのか不思議でならない。こんなに面白いというのに。



 ──これだから貴族って嫌なのよね。変にプライドが高いっていうか、融通が利かないっていうか。おかげでわたしもロマンス小説が好きだなんて表立って口にできないし。



 そういう事情もあってか、この手の小説は大抵ムネチカか、仲のいいメイドにこっそり買ってもらっていた。エドワードみたいな堅物に見つけられでもしたら十中八九捨てられていたに違いないからだ。

 そういう意味では、寮生活は好きな小説が存分に読めるので気楽なものだ。もっとも学友やお客様が来た時は隠さないといけない手間が生じるけれど。

 さておき。

 そんなエクレアの視線に気付いたムネチカが、件の小説を手に取って、

「確かこれって、一国の王子と城で働くメイドとの恋愛物語でしたよね?」

「ええ」

 ていうか、人の私物を勝手に取るなというツッコミを呑みつつ(昔からこういう奴なので、もはや諦めの境地に入っているまである)エクレアは首肯する。

「王子とメイドの許されない恋を描いたストーリーでそれがめちゃくちゃ切ないのよ〜。まるでわたしとロディのようだわ……」

「お嬢様とロディさんの場合、そもそも幼少期以外に接点がないので切ないも何もないと思いますが?」

「やかましい。わたしとロディだって世間的には気軽に会う事を許されない関係って事には変わりないはずでしょ」

「ものは言いようですね」

 ああ言えばこう言う奴だ。

「とにかく、とても切ないラブストーリーなのよ。王子の婚約者なんかも出てくるんだけど、そいつがヒロインに嫌がらせとか色々邪魔してくるのよねぇ」

「ああ、悪役令嬢ってやつですね。ロマンス小説にありがちな」

「ええ。その悪役令嬢が本当に性根の腐った奴で、こっちも読んでいてムカムカしてくるのよねー。ま、最終的にはヒロインへの嫌がらせがバレて、王子から婚約破棄されて破滅しちゃうんだけど──……」

 そこまで言って、エクレアは唐突に口を閉じた。



 ん? ……?



「急にどうされたのですかお嬢様。あ、ネタバレの心配ならいりませんよ? 悪役令嬢と聞いた時点で察しは付いていたので。悪役令嬢が破滅するのはセットみたいなものですし」

「そう! !」

 声を上げて指差すエクレアに、ムネチカははてなと首を傾げて、

「それって、破滅の事ですか? お嬢様は破滅願望がおありだったので? うっわ頭やべえ〜」

「そっちじゃないわよ! わたしが言いたいのは婚約破棄の方!」

 ああそっちですかとドン引き顔からいつもの無愛想な顔に変えて、ムネチカは言う。

「わたし、良い方法を思い付いたわ! クロード様に直接失礼を働かずとも、もっと簡単に婚約破棄させる方法を!」

「あー。なんとなく言いたい事がわかりました」

 エクレアが嬉々として言い終わる前に、ムネチカが代わりに先を紡いだ。



「つまりお嬢様は、悪役令嬢に演じるおつもりなんですよね? クロード王子から婚約破棄という言葉を引き出すために」



 その通り! とエクレアは褒め称えるように指をパチンと鳴らした。ロディ直伝だけあって良く鳴る。

「わたしが悪役令嬢になれば、きっとクロード様もわたしに失望して婚約を破棄してくれる。そうなればきっと周りの目も変わって、誰もわたしを娶ろうなんて思わなくなるわ。平民を除いてね」

「ですが、それってかなりリスキーですよ? こちらから婚約破棄を言い出すよりはダメージは少なくなるでしょうが、それでも王家の方から婚約を破棄されたら普通はタダでは済みません。当然貴族の間に噂は広まるでしょうし、ヴァーミリアン家の信用にも大なり小なり響きます。そうなればエドワード様もきっと罰を加えてきますよ。エドワード様は己のプライドを傷付けられる事を何よりも嫌いますから」

「ええ。最悪、この学園を辞めさせられる可能性すらあるわね」

「……それだけの覚悟がおあり、という事ですか」

「当たり前でしょ。でなきゃ、こんな荒唐無稽な事は言わないわ」

 元よりヴァーミリアン家に未練なんてない。母は父の言いなりだし、妹も父に良い顔をするばかりの操り人形と化している。

 それはエクレアも似たようなものだが、少なくともあの家のために自分の一生を捧げようとは微塵も思わない。

 このままヴァーミリアン家にすり潰されるくらいなら、いっそ平民まで落ちた方がマシだ。



 その覚悟はすでにできている。

 たとえそれがいばらの道だったとしても。



 どのみちクロードとの婚約が解消されないと、エクレアが幸せになれる日なんて一生訪れる事はない。

 エクレアの幸せは、ロディと共に歩む道しかないのだから。

 一歩間違えたら学園を辞めさせられる大ギャンブルになってしまうが、なに、ロディ以外の男に添い遂げるよりは断然マシだ。

 生きてこの国にさえ居られれば、ロディと会う方法なんていくらでもある。

 ゆえに、エクレアはここに誓う。

 決心を固めるように。



「わたし、悪役令嬢になるわ! 自分の人生を勝ち取るためにも……!」



「そうですか……」

 と。

 胸に手を置きながら真剣な面持ちで語ったエクレアに対し、ムネチカはただ静かに微笑んだ。

 基本的にはいつも仏頂面である、あのムネチカが。

「相当の覚悟とお見受けしました。ご立派ですよ、お嬢様」

「あら、あんたが褒めてくるなんて珍しい」

「私だって褒め言葉のひとつくらいは口にしますよ」

「そ。ま、素直に受け取っておくわ。わたしの一世一代の決意表明でもあったわけですし」

「しかと聞き届けましたよ、その決意。そんなお嬢様にこの言葉を送らせてください」

 言って、ムネチカは深々と頭を下げた。

 今まで見た事がないくらいの平身低頭で。



「今までお世話になりました。今日限りでお嬢様の従者を辞めさせていただきます」

「いや、そこは『一生付いていきます』って言うべきところじゃないの!?」



 どこまでも自分本位な従者であった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る