第1話 エクレア、思い悩む
「由々しき事態だわ……」
その日、エクレア・ヴァーミリアンは思い悩んでいた。
それはもう、貴族専用の生徒寮に備えられている個室用天蓋付きベッドの上で転がりながら、大いに悩んでいた。
片側をリボンで結んだ、腰まで伸びる美しい亜麻色の髪。若干吊り目ではあるが、それすらチャームポイントに見えるほど全体的に整った顔立ち。
そして、学園指定の制服から覗く手足は指まで細くて長く、一切の無駄がない。その上、出ているものは出て、引っ込むべきものは引っ込んでいるという体型は、十五歳という齢にしてまさに美麗としか言えない相貌だった。
そんな万人が見たら間違いなく美少女と認めるであろうエクレアだが、今だけその見目麗しい姿が勿体なく思えるほど渋面になって頭を抱えていた。
「本当に由々しき事態だわ……一体全体、どうしてこんな事に……」
と、大きく嘆息を吐きながら独り言を漏らすエクレア。
「まさか、クロード・アーバスノット様と婚約する事になるなんて……!」
クロード・アーバスノット。
それはこの国、アーバスノットの第三王位継承権を持つ第二王子で、れっきとした王族だ。
その第二王子であるクロードと先日──と言っても三日も前になるが、父であるエドワード・ヴァーミリアン侯爵から突然婚約の話を聞かされたのである。
エクレアの意思を事前に確認しないままに。
まあそれはいつもの事というか、あの父は家族を己の権威を示すための道具としか見ていない節があるので、今さら身勝手な事を言われたところで怒りすら湧いてこないが、今回ばかりは事情が違った。
決して婚約なんて認めるわけにはいかなかった。
なぜなら──
「わたしには好きな人が──ロディという心に決めた人がいるっていうのに!」
ロディ。
今から八年前、とある町中で出会った少年。
その時はエルという名で身分を偽っていたが、エクレアにとって最高の親友で、今も続く初恋の幼馴染である。
そんな意中の相手がいるというのに、第二王子との婚約を勝手に決められたという事実。
寝耳に水もいいところというか、断固としてすんなりと受け入れるわけにはいなかった。
「ていうか、どうしてわたしの意見も聞かずに婚約の話なんて進めるのよ! いくらなんでも横暴だわ!」
バタバタと怒りをぶつけるようにベッドの上で暴れながら、エクレアは憤慨する。
「いつも大人しくお父様の言う事を聞いてきたわたしではあるけれど、今回だけは我慢ならないわ! 人権侵害よ人権侵害! お父様の大馬鹿者ぉ!」
「仕方ないじゃありませんか。もう決まってしまった事なんですから」
と。
暴れるエクレアの横で、それまでずっと無言で立っていた従者が静かに口を開いた。
肩口で揃えられた艶のある黒髪。細身に纏った紺の燕尾服は一糸の乱れなく、下のタイトスカートもシワひとつなく綺麗に着こなしている。
名前はムネチカ。
幼い頃からずっとエクレアの従者をしている、ヴァーミリアン家の古株だ。
古株と言っても見た目は二十代前半の女性にしか見えず、外見だけでは正確な年齢はわからない。遠い東の異邦から来たらしいが、詳しい生まれは知らず、また何故ヴァーミリアン家に出稼ぎに来たのかすら未だ不明のままだ。
そんな従者でありながら謎多きムネチカが、眉ひとつ動かさず無表情で言の葉を紡ぐ。
「それにヴァーミリアン家は財界でトップに君臨する名の知れた貴族……国としてもお嬢様を王族に迎える事でエドワード様からの資金援助を期待されているのでしょう。アーバスノット国も決して財源が豊かとは言えませんから。ヴァーミリアン家としてもお嬢様が王族に嫁ぐ事でアーバスノット王家と深い繋がりを得る事が出来ますし、双方に取って決して悪い話ではないのでは?」
「国やお父様にとっては、でしょう? わたしの意思はガン無視じゃない。だいたい、わたしと婚約するくらいなら、もっと爵位の高い公爵家との子と選べばいいのに」
「王位継承権を持つ王子や王女は他にもいらっしゃいますから。なので、第一王子には公爵家との方と婚約させて、他の方には実利のある貴族と婚約させた方が色々と都合がいいと考えたのではないかと」
「なによそれ。結局は利己的な目的ばかりじゃない」
「世の中、感情だけで物事を上手く回せるほど甘くはありませんから」
「世知辛い話ね」
と吐き捨てるように言って、枕に顔を埋めるエクレア。なんだか暴れる気も失せてしまった。
「それで、お嬢様はどうなさるおつもりなので?」
「どうって、もちろん抵抗するわよ。わたしが一生添い遂げる相手はロディだけって決めているもの。そのためにこの学園に入学したんだから」
国立アーバスノット魔法学園。
それがエクレアが現在通っている学園の名称だ。
この学園の特徴は、魔法さえ使えれば貴族でなくても入学できる点にあるが、魔法自体がほとんど貴族にしか扱えない場合が多いため、必然的にこの学園の約七割が貴族で占めている。
が、稀に平民と呼ばれる身分でも魔法の才を持つ人間が生まれる場合があり、ロディもまた、その内のひとりだった。
ちなみに、魔法の源である魔力に目覚めるのは十歳前後からと言われており、その頃から魔法の基礎や応用を学ぶようになるのだが、本格的に魔法を極めようと思うなら、アーバスノット魔法学園のような学術機関に所属する必要がある。
まあ、中にはエクレアのように別の目的があって魔法学園に入る者も少なからずいるが。
「でもまさか、ロディがこの学園に行くとは思ってみなかったわ。てっきり実家の農業を手伝って、そのまま農家を継ぐのかと思っていたのに」
「私が調べた限り、一応実家を継ぐつもりではあるみたいですよ。真意はわかりませんが、魔法の才はあるようですし、自分の可能性を広げてみたかったのかもしれませんね」
「さすがはロディ。いつでも努力を惜しまないところは子供の頃と何も変わってないわね。ステキ!」
ガバっと勢いよく起き上がって手を合わせるエクレアに「あくまでも推測にすぎませんけれどね」とムネチカが一言付け加える。
「あと、ロディさんが魔法学園に行く事を教えたのはこの私だという事をお忘れなく」
「金銭を引き換えにね。ていうかムネチカ、その後のロディの調査はどうなっているのよ?」
「もちろん続けておりますよ。ただ、金額がねぇ。そろそろ賃上げしてくれてもいい頃合いだと思うんですよねぇ〜」
「……あんた、わたしの従者としてそれなりに貰っているくせに、まだ金を要求する気?」
「人は人を裏切りますが、金は人を裏切る事はありませんから」
などとキリッとした顔で平然と答えるムネチカ。
今の発言でこいつの腹黒さをわかってくれた事と思うが、この従者、金さえあればなんでもするけれど、逆仕事に見合った金額でなければ働こうともしない守銭奴なのである。
「だいたい、ロディさんに関する事はその都度報告しているはずですよ」
「その日食べた朝食だとか、パンを食べる時は右手で千切って口に運ぶ派だとか、どうでもいい情報ばかりだけれどね! いや、わたし的にはどうでもいいってわけでもないけれど、少しはロディに好きな人がいるのかどうかとか実のある情報を提供しなさいよ!」
「先ほども言いましたが、それも金額次第です」
「この金欲の権化め! あんまり主人であるわたしをコケにしていると解雇しちゃうわよ解雇!」
「どうぞご自由に。ただしその場合は、お嬢様が幼い頃にひとりで外出されていた件をエドワード様にお話する事になると思いますが」
うぐっ、とエクレアはたじろいだ。
「あーあ。お嬢様がどうしても外を自由に歩き回りたいって仰るから、わざわざ平民が普段着ている服まで用意した上、懲罰ものの危険性を犯してまでヴァーミリアン家から連れ出したというのに、そんな事言っちゃうんだ〜」
「うぐぐ……」
「しかもロディさんと親しくなられたあとも何回か外出させてあげたというのに、そういう事を言っちゃんだ〜。悲しいなあ。悲し過ぎて、今すぐエドワード様にチクリたくなっちゃったな〜」
「わ、わかったわよ。報酬に関してはまたあとで考えておくわ……」
溜め息混じりに言うエクレア。
これがあるから、この従者には下手に逆らえないのだ。
──わたしを外に連れ出してくれた時も、平然と見返りを求めてきたのよね、この金の亡者は。
と心中で悪態を吐きつつ、エクレアは再びベッドに倒れ込むように横になった。
お父様もよくこんな素性の知れない奴(よくよく考えたらファミリーネームすら知らないときたもんだ。そもそも訊いてもはぐらかされるせいもあるが)を雇ったものだと内診呆れながら。
まあ仕事そのものは出来る方だし、見てくれの有能さに騙された線もなきにしもあらずだが。
あの父は人を見る目はあっても、人格までは一切考慮しない傾向にあるから。
言わば究極の実利主義というやつだ。
「それで、具体的にはどうされるおつもりで?」
貴族専用の寮室に設えている豪奢なベッドをまじまじと眺めながら(よもや、盗もうと考えてはあるまいな?)ムネチカは続ける。
「この学園に入学されてから三ヵ月ほど経ちますが、未だにロディさんとの進展どころか接点すらありませんし、早いとこなんとかしないと、ロディさんとの感動の再会も実現できないままクロード王子に嫁ぐ事になりますよ?」
ていうか、さっさとロディさんに会いに行けばいいのに。
と焦れったそうな口調で言うムネチカに、
「そんな簡単に会えるわけないじゃない。だってこっちは貴族で向こうは平民よ? 小さい頃は身分を偽っていたから普通に接していたけれど、学園内でとなるとそういうわけにもいかなくなるわ。もしも平民と懇意な関係になっているとかなんとか噂を立てられでもしたら、ヴァーミリアン家の品格を問われる事態になりかねない」
そうなれば、エドワードも即効エクレアを家に呼び戻す事だろう。これ以上ヴァーミリアン家の評判を落とさないためにも。
「なら、なおさらどうされるのですか? このままだと学園を卒業される前に婚儀を進められる可能性すらありますよ?」
「だから焦っているんじゃない。まだ入学したばかりだから、少なくとも一年くらいは待ってくれるとは思うけれど、お父様の気がいつ変わるとも知れないわ。だから早くクロード様との婚約を解消しないと……」
「というか、今さらながら嬢様にお訊ねしておきたい事があるのですが」
「? なによ、改まって」
「そもそもお嬢様は、クロード王子の事をどう思われているのですか?」
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