第三話 『霊魂監獄のアリス』 その5
アクセルを踏み込みながらも、動揺を隠す。
夕が……殺人を犯していることには、気づいていた。地球でのことだ。別の世界でのことだ。問題がないとまでは言わないが、追求するつもりもなかった。
「護衛ちゃん、このクソ忙しいときに……ッ」
「うるさわいね。気にせずに任務へ集中しろっての。あと、同情とかすんな」
「そういう感情をなくしちゃ、刑事なんて……」
「こっちの世界を、救いたいんでしょう? アリス・レゾネイを止めない限り、どんどん死んでいくし、砕け散っていく」
「……ッ」
「『犯人』を仕留めれば、世界は元に戻るわ。でも、時間が経ち過ぎたり、被害が大き過ぎたりすれば、何もかもが元通りとはいかない」
「クロエ……」
「死んだ人は救えない。普通ならね。でも、今は……違う。やれることに集中しろ。私も、いらないことを言った。これからは、口を閉じておくことにするわ」
運転に集中することを選ぶ。ルームミラーで、夕を一瞬だけ見た後で。落ち込んでいたわけではない。唇を噛みつつ、夕は集中していた。画像越しにアリス・レゾネイを観察しつづけている。
……贖罪なのだろうか。
世界が滅びるから、悪人たちの『魂』を改造した『兵器』を使い、異なる世界を侵略させている。罪と悪の連鎖のような気がして、めまいがしそうになった。
集中するしかない。
それぞれの役割を果たすことで、少しだけマシな結果を勝ち取るためには。
「……アリス・レゾネイが、現実改変を始めるよ」
最悪の重苦しさが支配する車内で、夕は告げた。
無言のままアキマはうなずき、ブリジットは冷たい表情のまま画面の向こうにいる敵を見つめる。荒ぶる感情の全てを、この『犯人』にぶつけてやりたい。兄のことを、思い出すべき時間ではなかった。
すべきことは、シンプルだ。
地球を救うために、『敵』を倒すだけのこと。
……赤く燃える月の下。
不安げで神経質そうなまばたきを頻発させるアリス・レゾネイは……監視カメラの目玉に撮影されながら、変わっていく。
背が低くなった。19才の処刑執行直前の姿から、14才の姿に変わる。ガリガリの160センチ代から、148センチの小柄な体型に。服装は、聖歌隊のローブだろうか。『兵器』に改造された心は、信仰と……かつて、敬虔な両親がそろっていた時間を求めた。
「壊される前の、君だね」
「……ふん」
ブリジットが、画面に向けて手を伸ばす。地球防衛軍のエンジニアたちが監視カメラの解像度を上げたのには理由があった。『読唇術』を試みるためである。14才の小柄な殺人鬼の唇。その小さな唇が震えながら語る『言葉』が、車載スピーカーから聞こえ始めた。
『―――燃える月。く、砕けた月。こ、こちらの世界も、滅びの兆しがあったのに。神さまの罰が当たって、滅びるべきだったのに。生き残ろうとしているなんて、お、おかしいんです』
「アリス・レゾネイの声か」
「そうだ。聞き覚えがある。アリスの昔の音声を、合成してあてているんだ」
かつて聴いたものと変わっていない。か細い声だった。自信のなさそうな声。
―――尊厳をくじいて支配する方法もある。苦しみと痛みは、人生の最も本能的な動機ということを忘れるな。誰しもが、それには従う。原始的な本能のレベルで。苦しみと痛みは、ATPと同じくらい、人を動かすための基本的な燃料なのだよ。だから、『方向性』を調整すればいい。虐待や拷問だけでも、人を支配できるようになるんだ、夕。
悪魔の教えが、心に響く。
「アリス……君の殺人は、怒りの裏に、信仰と慈愛があった。だから、あれだけのことがやれたんだんだね。君は、やっぱり、やさしくて悲しい、復讐もするし、嫉妬もする。幸せの価値を信じて、かがやいていた記憶を大切にしながら、絶望もする。『普通の女の子』だ」
夕の分析を、ブリジットはもちろんアキマも完全には理解してやれない。夕は、やはり異質な存在だった。
当然である。痛みは、当人だけの感覚だ。悪魔に嬲られた痛みが、夕にアリス・レゾネイとの同調を成り立たせている。
……『普通の女の子』は、銀にかがやくロザリオを指で閉じ込める。愛する母親の形見であり、彼女の信仰心の化身を。
『お、畏れ多いことです。し、死ぬべき世界が、罰せられることを拒み……生きようとしているなんて。こ、こんなことは……許されるべきでは、ありません。か、神のご意思を問うことは許されません。信じて、従うのです……死後、浄化されるために』
銀色の長い髪が夜風に浮かぶ。地球を破壊するために、銀河の果てから降り注ぐ重力の一部を召喚した結果だ。
滅びの力も、世界侵略のためなら、有益な力にもなる。
風もないのにゆっくりと踊るアリスの銀髪。科学であるが、まるで魔法のように不思議な光景だ。彼女のはかなげな可憐さも合わさって、幻想的である。
アリスは『兵器』としての能力を、始動させた。彼女の背中から『翼』が生えていく。
ブリジットの兵装と同じく機械で作られているのだが、より鳥の翼に近い。アリスの信仰心が、この宗教的な気品を選ばせていた。
白い光を放つ、うつくしい『翼』。
それを背から生やしたアリス・レゾネイ。今の彼女は、『天使』そのものの姿であり……彼女自身もその認識は持っていた。
『け、穢れてしまった私が、このような姿をさせていただくなんて。は、励まなくてはなりませんね。この世界を……一秒でも早く、こ、殺して、差し上げなくては』
信仰心に植え付けられた『兵器』としての義務が、融け合いながら狂気を強めていく。
『正しいコトって、き、気持ちいいですもんね』
笑顔だ。
14才の少女らしからぬ、恍惚の貌。この世界を破壊することを、彼女は心の底から正しいと信じている。
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