第三話 『霊魂監獄のアリス』 その1

第三話    『霊魂監獄のアリス』




 脳は宇宙ほど複雑には作られていませんでした。


 無数の世界を観測し、干渉することさえ可能となった現代科学をもってすれば、脳の神経線維を行き交う電位の全てを再現することは、まったくもって難しくはないのです。


 人格は脳内のシンプルな神経線維で編まれた回路、そこを走り回る虫けらよりも小さな電流たちでしかない。


 高度な電子回路に比べれば、悲しいほどに原始的なものに過ぎません。電位測定と、行動記録が十分であれば、心なんて十分に再現することが可能でした。


「……とくに犯罪者については、研究が進んでいる。彼らはプライバシーを侵害されるレベルで、脳も心理も行動も、事細かに研究されていますからねえ!」


 それらは社会の『安全』と『発展』のための研究でした。犯罪者と彼らの行為を研究すれば、逮捕にも予防にも更生にもつながる。犯罪者の分析は、社会に有益でした。


「まあ。結果として、異なる世界への『侵略兵器』を作るための準備にもなっていたわけですねえ。心を、さんざん解剖されたから。死後も、彼らについては研究が進んでいる。どんな善人でも、こんなに心の分析に、金と労力と、好奇心を注ぎ込まれる対象なんてありません」


 細胞に蓄積された記憶さえも、現代の犯罪者たちは抽出され読解されていく。

人格と記憶を電子情報として再現することは、とても簡単だった。


 ……犯罪者の心に、誰もが土足で踏み込み、死んだ後でも研究し尽くされている。


「悪いコトはするもんじゃありませんよねえ」


 ……そう。社会とは、必ず復讐を試みるものですから。社会に逆らった者には、大きな罰が下される。それが、当然の結末。


 悪いコトなんて、しないに限ります。


「でも。皮肉ですよねえ。犯罪者の彼らに、公式な仕事が巡って来た」


 悪を使う。


 自分たちが生き残るために、他の世界を侵略する必要があるから。


「死後も人々を熱中させる犯罪者。とくに、『シリアルキラー/連続殺人鬼』。彼らは魅力的だあ。ドラマ、映画、小説、ときどき自伝も。マスコミも騒ぎ立てるし、科学者も研究する。殺人事件について、皆が話題にする。一般人がランチ時にさえ!」


 私たちの侵略は、一種の『情報戦』になります。


 心を奪う。混乱させ、不安にさせて、観測して影響を及ばしやすいように、社会全体の心理を平坦にする……。


「彼らが、『独創的な連続殺人』を犯すことで、侵略対象の世界を怯えさせて支配しちゃうんですよ。いい発想でしょう? 『神さま』、ノーベル平和賞をボクにくれません?」


 白々しいブラックユーモアに、私は苛立ちを覚えました。


「……やべ。冗談が過ぎましたか。まあ、そんなに怒らないでください。『神村遥香さん』は、美しい顔をお持ちなんだから。そんなに怖い顔はしないでくださいよ。ボクも、世界の終わりのせいで、ちょっとメンタルに不調があるんですから。元から、コミュ障だし」


 学者には珍しくもない偏執的な人間。社会性が欠如した人物ですが、それだけにプライベートの一切を犠牲にして、黙々と研究をつづけられた。


 能力はある。だから、今このとき、ここにいる。不愉快な人格をしているから、有事でなければ権力を与えられなかったでしょうに……。


 世界の終わりとは、厄介なものです。


 じっと、見つめていると。


 本当にコミュニケーション障害持ちの彼は、怖くなったのでしょうね。私から顔を背けて、虚空を見上げます。一度、聞かされたはずの説明を、また彼は口にしました。


「えーと。まあ、アレなんです。機械に『生身』をつなげることで、リアルタイムに『魂』を異世界に送る。これって、かなり難しいんですよ。才能がいる。訓練期間は、十分に用意できませんからねえ」


 ……そう。肉体を残しつつ、異なる世界に精神を送ることは難しい。


「どうしても、肉体の影響を受けるから、不安定になる。いっそ、『肉体を取り除いた方が、早い』んですけど。それだと、死んでるから。こっちに戻って来れなくなるので……複数の世界に、『尖兵』として何度も派遣するのは難しい。コスパがダメダメってこと」


 ……世界を越えるリスク。


 肉体的には死ななければならない。


 これがあるから、この計画に多くの者たちが不安がっていたわけです。


 肉体と切り離された精神活動が、『本当に自分なのか』。


「肉の因果ですねえ。AIのように、最初から心だけで生まれてくるわけじゃありませんから……しょうがない。誰でも初めての行いは、怖いものですから。車の運転とかと一緒で、『轢き殺したくなったらどうしよう』とか、変な妄想もしちゃうんです。人間って、メンタルが弱々しいんで」


 彼も変人だ。犯罪者と脳を研究し過ぎたせいで、厄介な人格を形成してしまったのかもしれない。悪は、引力を持っています。人々を、否が応でも引き寄せた。


「『人格』と『記憶』を再現し、『魂』を創り上げる。これは人工物に過ぎませんが、かなりの精度で本人です」


 だから、『兵器』として使える。再現された死者の『魂』だ。それも、犯罪者の。つまり、最悪の場合は、使い捨てにしても構わない……。


「軍人の心理も研究はされていましたが、彼らはプライバシーを守られていましたからねえ。再現度が弱い。でも、犯罪者は違う。昨今の連中は、肉体だけじゃなく心理活動さえも檻の中です。あなたも、ご存じでしょう」


 もちろん。夕の教誨師として過ごしていましたから。


「犯罪者の『魂』をほぼ完全に再現し、調整する。道具として、使ってやるのです。人類の敵だった連中が、世界を救うための『尖兵』となる。最高の罪滅ぼしでしょう。まあ、全員、死刑執行済みなんですがねえ。法的には、ある意味で、もう無罪なわけですが……」


 ……危険はないのか、と確認しました。


 彼は両肩を大げさに上げて、苦笑する。


「もちろん、リスクはありますよ。初めてする行いですからねえ。脳科学、心理学、物理学に……あと、数百人の専門家。畑違いの学問が、うじゃうじゃ集まって、突貫工事の挙句の一発勝負で動いているわけですから。何が、起きてもおかしくはありません」


 それでも。使うほかない。


「手段がないですからねえ、これ以外。まあ、たぶん、大丈夫ですよ。プロジェクトリーダーにされてしまったボクが名付けたんですけど、『霊魂監獄』は、かなりの精度で機能するはずです。でも、何か起きても、ボクのことを責めないでくれると助かりますねえ」


 手探りでもあった。


 リスクはある。


 世界を殺せる『兵器』が、犯罪者の『魂』だなんて。


 ……世界の終わりは、本当に厄介です。


 嫌な予感はしていたのに、こんな計画を実行するしかないのですから。



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