第二話 『楽器職人』 その3


 異なる世界の人々の精神を、汚染して破壊する『兵器』として、殺人鬼を使う。嫌悪すべき方法だが、有効ならば、それを選ぶ他にない。地球を救うためには、それ以外の道はないのだから。


 ブリジットの青い瞳が、この世界の月をにらむ。


「ヘタレな世界ばかりだわ。重力の嵐だとか、彗星だとか、殺人鬼の凶行だとか……その程度のものに、一々、壊されないで欲しいわよ」


 祈ることよりも、銃弾で物事を解決する方を選んだ少女は、今宵も軍人らしい。命令に従うのだ。たとえ、最も殺したい者が、すぐそばにいたからとしても―――殺しはしない。神村夕は、『犯人』を追いかけるために必要な猟犬なのだから。


 許しはしない。


 許せるはずもない。


 だからこそ、夕の相棒として、ブリジット・グレースは選ばれた。


「到着だ‼」


 車を停めると、アキマは勢いよく職場に向けて走り出す。燃える警察署には、すぐ近くにあるはずの消防署からの応援も来ていない。ありえないことばかりだから、気にしなかった。


「け、刑事‼」


 青い顔の警官が、アキマを呼び止めた。顔なじみの警官だ。顔をすすだらけにしながら、消火活動をしていたらしい。泣きそうな顔で、彼は空になった消火器を地面に投げた。


「人手が足りなさすぎるんです! 火が、強すぎて……ッ。屋上に行けません!」


「突っ切ればいい」


「む、無理ですってえええ⁉」


 クロエが勇気をくれた。無謀なまでの勇気を。アキマは燃え盛る警察署の入り口へと猛進した。振り返ることもない。


「……あいつ、死ぬ気かしらね」


「死なないよ。ブリジットは、正義を見捨てないから」


「人のこと、勝手に知った気にならないで欲しいわ」


 少女が右手を夜空に掲げた。小さな手の周りに、かがやく環が現れる。その環の内側には、暗黒があった。近くて遠い、もう一つの世界から……地球から、連邦軍の装置を経由して、『兵器』が送られてくる。


 小さな浮かぶ球体が、三つだ。その一体に、ブリジットは語り掛けた。


「ポッド、あの愚かな民間人を護衛しなさい」


『ピッ!』


 空中を浮かぶ機械の球体が、弾丸のような速さで飛翔し、アキマの背後にたどり着く。


「これでいいわ。あいつの周りの熱量を、吸収している。80度以上にはならないわ。熱いでしょうけど、死にはしない」


「オレたちも行こう」


「悪人が焼け死ぬのは、個人的には構わないけど。神村が死ぬ度、評価が下がる。私が感情的になって、仕事をミスしているようだもの」


「庇ってあげるよ。真実を報告すればいい。君は、いつだって理想的な軍人だ」


「……ッ」


 童顔であるが、美形だ。純粋無垢な少年のような顔をしている。それだけに、人心掌握にも長けていた。悪魔からも教育をされている。人の心を掌握する術に長けている夕は、ブリジットの心の内側にもたやすく入り込んだ。意図しなくても、その力がある。


「ウザイ……ッ。死ねばいいのに」


「ああ。ありがとう」


 装甲は呼ばない。機械の翼だけで、十分だ。鬼のような形相でにらみつけながら、宙に浮かんだブリジット・グレースは、夕が伸ばした手を握り締める。痛めつけるような握力で。それでも、異常に鍛えられた生粋の殺人者の手は壊れない。


 腕を吊るすような形で、上空高くへと飛べば、片腕に全ての体重がかかる。痛いはずだが、平気な顔をしていた。痛みにも、苦しみにも、慣れているし……強靭さが、この手にもあった。鍛え上げていた。幼いころから、人を殺しながら、強い獣に成長した。


 この手が。


 どれだけの数を殺したのか。


 132人と、人と呼ぶべきではない1匹だ。


「けがらわしいコトをしてる。あとで、消毒しないと」


「そうするといい。ブリジットみたいな正しい人は、オレなんかと手を取り合ってはいけない」


「……ふん。ポッド! 消火活動‼ さっさと、鎮火しなさい‼」


『ピ!』


『ピピ‼』


 二つの機械が、消化のために燃える警察署へと突っ込んだ。熱量そのものを消し去ればいい。地球を襲い続けている重力の津波のせいで、分子の揺れを黙らせる機能を発揮することは容易いものだ。


 炎が、侵略兵器たちにより喰われていく。失われた熱量は、この世界に永遠に戻ることはないらしいが……微々たるものだ。世界を崩壊させることにはならない。世界には、恒常性もある。少しばかりの変化ならば、どうにか受け入れてくれるらしい。


 詳しいことは。


 17才の軍人には、分からない。知ったことか。物理学者でなくても、軍人はやれる。


「お、おお! 炎が、消えていく⁉ アキマさんが、消してくれたのか⁉」


「ちがうし」


「署内の消火装置もあるだろう。ポッドに、ハッキングさせて」


「そうか……」


 神村は、賢い。だが、しょせんは悪人である。


「善良で模範的な軍人である私は、悪人のアドバイスでも正しければ受け入れるのよ。大物ってこと!」


 スプリンクラーが解放されて、大量の水が警察署を冷ましていく。『犯人』の現実改変の力も、無敵ではないのだ。夕は見抜いている。地球連邦軍の戦術メソッドを、そのまま使っているのだ。『犯人』たちも『兵器』であり、軍の様式を真似てしまう。



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