第一話 『インベーダー』 その1
第一話 『インベーダー』
近似した世界への移動は、肉体的な変化を伴うことが多々ありました。いくら似通っていたとしても、異なる世界においては物理法則さえも違いますから。
あらゆる世界を都合よくつないでくれる法則なんて、ないのかもしれません。
もちろん。より長い研究期間と、AIによる膨大な計算の試行と、有能な科学者たちの人生を無数に消費することで、何か最適解のルールが発見されるかもしれないけれど。
私たちに、そんな時間はありません。
優先すべきは、移住先の世界を探し出すこと。
私たちの世界で滅びそうになっている人類にとって、最良の移植先である『器』を、見つけ出し、『準備をさせる』……。
そのために。
手段は問えなかった。
使えるものは、何でも使ったのです。
もちろん。悪さえも。
『観測世界番号89301148―――侵略適性評価389点』
……セルジリア・シティーの夜は、578日連続で殺人事件が発生していた。
「もう二年になるのか。月に巨大な彗星の欠片が当たってからというもの、人々の心も壊れちまったのかね……」
大きな環境の変化というものは、人心をも揺さぶる。月の満ち欠けに応じるように、犯罪発生率が変化することは知られていたが。
「月が割れて、その一部が、ちょくちょく地球に落下しているのよ。こんなメチャクチャな時代にもなれば、殺人犯も活性化する。不安になるものね」
「君も不安になるかい、クロエ?」
「まあ、保険を見直す程度には。月の欠片が、ローンを組んだばかりの新居に落ちて来たら、泣くだけじゃ済まないしね」
「たしかに」
新婚早々、家を購入した相棒。彼女に新居の動画まで見せつけられていたおかげで、苅場アキマには彼女の気持ちがよく分かった。あれだけ大切にしているものを、奪われるのはこたえる。金だって、刑事の安月給では、どれだけ長大なローンを組んだことか……。
「でも。壊れたお月様のせいで人生観や世界観が壊れちゃったとしても……」
「人を殺していい理由には、ならねえよなあ」
目の前には死体があった。
死体安置所に運び込まれたばかりの、新鮮な死体。全裸の若い女性……いや、少女と呼べる若さだ。クロエは冷やされた彼女を、警察の備品である端末で撮影していく。
「テクノロジーの進歩って、人から仕事を奪うわよね。すぐに身元が分かるはずよ。この子が、不法移民でもない限りは……」
「不法移民だったら、面倒だよな。身元特定に、どれだけかかることか。めんくせえ」
「仕事熱心な態度ねー、殺人課の刑事さん」
「昨日の事件も手掛かりナシのままだ。今夜も『おかわり』があった。この調子じゃ、明後日には四件近く抱え込むことになりそうだ。そんな労働環境で、マジメにやれってのか?」
「愚痴らないでよ。好きで選んだ仕事でしょう?」
「オレが警官になったときは、殺人事件は週に一件しか起きなかったんだぞ。想定していた仕事と、あまりにも違う。詐欺レベルだぜ」
「まあね。そのうち、人員は補充されるでしょう」
相棒の愚痴に適当なあいづちを打ちながら、クロエは被害者の死体を撮影し終えた。
「はあ。殺人犯って、どうしてクズばかりなのかしら」
「クズじゃないと、人なんて殺さない。相手を尊重できないから、殺したりレイプしたり、モノ扱いしやがるんだ。つまりは、幼稚なだけだよ」
「衝動を制御できないという特徴は、顕著よね。少女を殺してレイプしてる……精液の痕跡はない。裸にして、持ち物も奪った。証拠を隠滅しようとしている。悪知恵は働くのよね」
「それで。彼女の身元は割れたか? 個人番号の特定は?」
「……ええ。出た―――」
ガタン!
死体安置所に、荒々しい音が響く。いくら殺人事件が頻発するようになったからといって、この場は多くの場合で静寂が君臨していた。死と対面するときは、おごそかな無口になるものだし、そもそも死者は動かなくて誰よりも口を閉ざしていて無音だ。
ガタン! ガタン‼
「……私の幻聴じゃなければだけど。冷蔵庫のフタが、内側から蹴られてるわね」
「ああ。これ……幻聴じゃないか」
「大変! 死体じゃない‼ 生きたまま、誰かが閉じ込められていたんだわ⁉」
「開けるぞ!」
冷蔵された死者のためだけにある収納庫の一つを、二人の刑事が必死な形相で開ける。ロックを解除し、あわてながらも引きずり出した。
「……こ、子供⁉」
「移民か……黒髪。オレと、同じ……東洋系?」
「さ、さむい……ッ」
「毛布を取ってくるわ!」
「コーヒーもだ! あったかいヤツを。ほら、出ろ。動けるよな?」
「……うん」
黒髪の少年は、アキマの手を借りて転がり落ちるように床へと降りた。
「ぐ、ううっ。これだから、生き返るのも、死ぬのも……嫌いなんだよ……っ」
「体が、固まりかけてるのか……っ。お前、いつから、あそこにいた⁉」
「……説明するのは、ちょっと難しい」
「だろうな。普通じゃないぞ。あそこから出てくるのは、冷え切った他殺死体だけなんだ。それに……あそこには……あそこにあった死体は、どうなったんだよ?」
アキマの表情が険しくなる。この少年から悪意を感じはしないが、昨夜の殺人事件の被害者がいるべき場所に、この少年がいた。
「死体泥棒が、お前を、あそこに詰めたってのか? 何だ、そりゃ⁉」
「ありえないことが起きたんだ。そう割り切ることも必要だよ。世界の終わりには」
「何を言ってるんだ、お前? お。立てるか」
「どうにかね」
うなずきながら黒髪の少年は立ち上がる。アキマは、自分の弟を連想した。大学に通い始めたばかりの童顔の少年だ。おそらく、目の前にいる少年も似たような年齢のはず。親近感が、少しは湧いたが……。
「刑事として、聞かなきゃならないこともある」
「仕事熱心でありがたいよ。大変な事件が、起きるんだからね」
少年の視線を追いかける。全裸の少女の死体を見ていた。
「……お前、彼女の知り合いか? 大変な事件ってのは……彼女のことか?」
「いいや。違う。もうすぐ起きるんだ。この子は、ただ金目当ての女に殺されただけ」
「……金目当ての女? 犯人のことを、言っているのか?」
「そうだよ。見たら分かるだろ」
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