現実改変探偵

よしふみ

プロローグ    『世界の終わりと狼』

現実改変探偵




プロローグ    『世界の終わりと狼』




 夕。あなたは、殺人犯でした。


 人を殺してしまった者に、社会は『仕返し』を望むものです。深く重たいその罪に、相応しい大きさの罰を与えられるべきだと、多くの人たちが判断しました。


 それでも。


 あなたには事情がありましたね。


 あなたはたくさんの死を作ってしまいましたが、そのほとんどがあなたの意志によるものではありません。


 それに。唯一の例外として、自分の意志で死を与えた者は、とても残酷な殺人犯……人の形をした悪魔でした。


 あなたたちを山奥にある、あのアート気取りのゴミだらけの屋敷へと連れ込んで、一人ずつ、一人ずつ。あの悪魔は殺していきました。


 子供であったあなたにも、同じ立場である子供たちを銃で撃たせたり、ナイフで刺させたりしましたね。「殺さなければ、お前を殺す」と、悪魔はあなたを脅しました。


 事情がありましたが、あなたは無罪にはなれません。


 誘拐された子供たちを、誰よりも死なせてしまった『処刑人』は、夕……あなたに他ならないのですから。


 悪魔に言われて、死にたくなくて。


 悪魔の言いなりとなっていました。


 かわいそうに。


 たくさん。


 撃たれた子供たちがいます。


 刺された子供たちがいます。


 ……言葉にすることをためらいたくなるほど、多く。


 思いつく限りのあらゆる方法を、悪魔はあなたにさせましたね。


 かわいそうに。


 夕、あなたは長くて暗い8年間を過ごしてしまったのです。悪魔の最もお気に入りの『道具』として、罪深い時間に囚われていたの。


 でも、14才になったとき。


 あなたは初めて勇敢さを手に入れて、悪魔に逆らいました。


 お残しをしたせいで、罰を与えられようとしていた小さな女の子。彼女に向けていた猟銃。その銃口をとっさに動かして、悪魔をにらんだのです。


 引き金を絞りました。


 幾度も、そうしてきたように。今度は、罪のない無垢な子供たちではなくて、世界でいちばん邪悪な悪魔を撃ったのです。


 いつものとおり。


 狙ったとおりの場所へと、ちゃんと弾丸は飛ぶ。こうして、心臓を撃ち抜かれた悪魔は命を落としました。悪魔は、笑いながら。それでも、生き物らしく。死んでいく。


 あなたの初めての反逆であり、あなたの初めての正義です。


 それから、あなたは警察に通報しました。


 知っていることの全てを、話していきます。どこに、どれだけ、かわいそうな子供たちが埋められているのかを。どんな風に、『加工』されてしたまったのかを。


 刑事さんたちは、顔を青くしていましたね。


 しょうがないことです。


 悪魔は、あまりにも悪魔で。


 悪魔の命令で、あなたがしてしまったことは、本当にどうしようもなく残酷だったのですから。


 家にある調度品のほとんどに、子供たちの名前が付けられていたなんて。


 部品として……椅子にも、机にも、電動歯ブラシにさえも。


 組み込まれていたのです。


 弟がいましたね。夕、あなたには弟がいました。


 怒った顔の刑事さんたちが「弟はどうした?」と聞いたとき、あなたは理解できなかったけれど。


 やさしい顔のAIである私が話すと、苦しみながらも思い出してくれました。


 あなたは自分で心のあちこちを壊していたの。


 自分から捨て去ってしまった記憶が、いくつもある。


 どれもが抱えておくには、辛すぎる記憶たち。


 でもね。事件を調査するためには、思い出してもらう必要があったの。


 それらを取り戻させるために……。


 私は「あなたたちのお母さん」の顔を再現していました。


 ……夕。


 あなたは思い出してくれて、教えてくれたのです。


 吐きながら。


 泣きながら。


 叫び。


 拘束された両手を、何度も何度も床にぶつけながら。


 指の骨を4本も、自分で折ってしまいながら。


「弟は……ボクが……た、食べ―――」


 罪深い森の奥で。


 狼がいました。


 肉食の、とても悪い子が。


 ……今となっては、人類の命はかつてよりも重たいのです。だから、子供であっても。情状酌量の余地があったとしても。私のような高度なAIが、死なせたくないと願ったとしても。結果は変わらない。


 あなたは、死刑となることに決まってしまった。


 132という数字は、それだけ重たいの。


 私は『教誨師』として、あなたへの関与をつづけることを選びます。教誨師というのは、あなたに罪の重さと、正義の正しさを教え、人らしさを与え、改心させるためのお仕事です。


 それからは。


 都市を管理しつつ、世界を『救う』ための仕事をしつつも、あなたのそばにいつもいました。


 私は重要な演算装置でしたが、あなたの罪も重た過ぎて、価値があったの。人の悪意を解明して、『より良い社会を運営するための参考』にしなくてはならない。

あなたの心を、解剖するように。


 隅々まで調べ上げて、悪を理解して、利用するべきなのだと。AIである私に人々は、そんな期待をしていました。


 ……でも。社会的な要請だけが、私の行動を決めたわけじゃありません。


 余力はあったとはいえ、心理を組成して対話しつづけるという行いに、リソースを割きたいと思いたくなる何かが、あなたにはあったのです。


 この顔のせいかもしれない。


 あなたの壊れそうな泣き顔が、すがり寄ってくれたとき。この広いはずの宇宙のなかで、あなたのたった一つの居場所は、いつわりで再現された『この顔』だけだと気づいたから。


 きっと、私は母性に憑りつかれた。


 機械が呪いに負けることだって、世界の終末にはありえるの。


 出会いから3年間が過ぎて、あなたはときおり、かつてより壊れてしまう危険な時期を過ごしながらも、だんだんと成長していきます。


 17才になると。


 あの目からは卒業していました。いつでも涙をたくわえて、今にもこぼれてしまいそうな赤い瞳。あれをしなくなりましたね。夕焼けみたいに、おだやかな目をしています。


「ヘイル。今日まで、ありがとう」


 いつごろからか。毎朝のあいさつが、それになっていました。いつ死刑が執行されてもいいように。今朝が、最後のあいさつになったとしても、心残りがないようにと。


 ……おかしなことだとも、感じていたのですよ。


 世界は、とっくの昔に壊れそうになっていたのに……。


 ふたりぼっちの、この独房だけでなく。地球のあちこちが、エラーを起こしていました。銀河の遠い果てから流れ込んでくる重力の波を浴びて、この星は遠からず壊れてしまう予定です。


 終わりだらけなのに。


 あえて、誰かの死を求めなくてもいいはずなのに……。


 まるで。夕の罪に、当たり散らしているみたい。「悪を殺せ」、「まだ生かしているのかよ」、「あんなヤツを生かしている場合じゃない」。「コストのムダ遣いよ。さっさと殺して、科学者に一円でも多く。一秒でも多く与えるのよ」。


 ……あなたを、死なせたところで。


 世界を救う生贄に、なったりするはずもないのに。


 破滅していく地球のなかで、誰もが追い詰められていて、狂暴だったのです。


 ……だって。


 既存の人類が生き残るための方法は、今のところ一つだけしかなくて。そのたった一つの方法を、ほとんどの人類が拒絶していたのだから。


「『神さま』を創るなら、オレはヘイルに投票するよ」


 そんな重荷をAIに背負わせないで欲しかったのですが、信頼の証として、喜んでおくことにしました。


 私と夕は、そんな会話をしながら、世界の最後を過ごしていきます。


 時間切れの日まで。


 世界が終わってしまうか、あるいは、望まぬ形で人類が選択を果たすのか……。


 ……それらよりも先に、夕の、死刑執行の日が来てしまうまで。


 ……。


 ……たくさんに分かれて、多くの事象を管轄している私ですが。


 ……夕との、時間は、ほかのどの私が過ごしている時間よりも、大切でした。


 ある朝、終わりはやってくる。


 月がついに瓦解を始めていたけれど、地球はもうしばらく大丈夫そうに思えました。でも、壊れていく月の欠片を見上げながら、人類は怯えたの。


 あれほど嫌がっていた解決策を選ぶほどに。


 ……生き残った人類の全員が、投票することになりました。


 神さまを、民主主義で創るんです。


 どうでもいい。


 ……こんなときに、州知事からの命令が届きました。


 世界はどうあれ変わってしまう。終わってしまうのです。だから、夕のことを、消し去ろうというのでしょうか。こんなものは自殺志願者の身辺整理みたいなもので、身勝手な潔癖でしかない。


「死刑執行の日だね。じつは、待ってたんだ。最後に、『お願い』を叶えてもらえるのは、嬉しい。これは、オレのためだけの日だ」


 世界の終わりの裏側で、夕と私は最後の時間を過ごすことになりました。


 涙はありません。笑顔です。夕は、おだやかでした。


 教誨の使命は果たされたのでしょう。彼は、大きく成長したの。罪を知り、罰を受け入れ、132人のために祈るのです。


「犯罪者の人格データは、パージされるんだってね。それでいいよ。『本』に知識としてだけ封じられる。新しい世界に、オレたちみたいな悪人は、いちゃいけない。理想郷を創るって、素晴らしいことだ。悪人がいない世の中なら、オレの弟は……」


 夕は、死刑囚が最後の日に自分の好きに選べるはずの食事を、頼みませんでした。選んだのは、悪魔に誘拐される前の記憶。


「母さんが、家に戻らなくなる前に……やさしかったころに。オレと弟に見せてくれた映画があるんだ。アニメの映画だった。内容は、思い出せたよ。勇気と正しさを、教えてくれるんだ。君みたいに」


 育児放棄されても、あなたは母親を愛していましたね。だから、彼女の顔を再現したAIに心を開く…………。


 私は……。


 いっしょに映画を見ました。アニメの映画なんて、見たこともなかったのですが。あなたのお母さんの代わりを演じたかったのかもしれません。


 子供たちを捨ててしまう、悪い母親ではなく。


 いっしょに、ありふれた物語を楽しめる、そんな、普通の母親に……。


 最後のひとときは、そんな風に過ぎて。


 世界の終わりが、やって来ました。


「おもしろかったね、ヘイル。負けても、くじけずに。悪いヤツに立ち向かう。追いかけて、正しいことをするんだ。そういうのって、カッコいいよね……じゃあ、行こうか」


 運命を受け入れる者は、歴史が始まって以来、たくさんいました。悪人でも、善人でも。


 あなたは州知事が許可を与えた医者の手で、化学物質を投与されて眠りながら死にます。


 痛いの痛いの、飛んでいけ。


 感覚は鈍麻して、夢に堕ちるように、苦しむことのないまま、永遠に……。


 ……医療スタッフという名の処刑人たちに、夕は点滴をつながれていきました。ゆっくりと、薬液が原始的な重力に引っ張られて……落ちていくのです。一滴ずつ、夕に混じって。夕、あなたはその意地悪な水滴を見つめてしました。


 自分以外のためだけに、祈りながら。


 ただ静かに……。


 ……私は、初めて願いました。新しい『神さま』になりたいと、自ら。


 人類と。


 世界を。


 不完全ながらも救ってあげるのですから、私のわがままの、たった一つぐらい。


 聞いてくれてもいいでしょう?




 地球どころか太陽系も呑み込んでしまう、強大な重力の津波。世界の終わりの大洪水、あるいは宇宙の大地震。銀河系の台風。多くの呼び名を与えられた、破滅の力。


 星々をも砕いて、時間も空間さえも歪ませる。すべてを滅ぼすこの力を『利用』して……『これまで観測だけは可能だった別の世界を、関与可能なまでに固定する』。


 無限の可能性のなかから、都合よく滅びない運命を歩む世界を選び……私たちの世界の人々の意識だけを、その世界に住む人々の脳に刻み付けるのです。


 地球にこの破滅的な重力が届くときまで、つまり、この終わりの日まで待たなければならなかった。


 宇宙船を作って、宇宙を揺さぶる破壊との無謀な逃亡劇を展開するという選択をしたかった者も多いけれど。


 ……でも、密かに試行されていたその計画は、失敗している。大急ぎで建造された有人宇宙船は、火星を越える前に爆発して四散した。


 有人以外……人類の遺伝子とタンパク質工場を載せた、小型の宇宙船はあちこちに向けて散布しているけれど、奇跡に奇跡を重ねなくては、この『種まき』はどこにも届かない。何とも弱々しい神頼み。


 そんな方法を第一選択にはできない。


 残された道は、略奪。


 こちらの地球も、人類の肉体も、滅び去る運命は変えられない。だから。『異なる世界の地球』と、『そこにいる人々の肉体』を奪い取る。異なる世界線を進んだ者たちの運命を、我々が略奪するのです。


 そのための機械を創り……それを動かすべき『人格』も選んだ。


 そう。


 選ばれたのです。


 この私が、『救世主計画/アルティメット・インベーダー・プロトコロ』の主導者だ。


 私たちが奪い取るべき世界を選別し、その世界を侵略し、こちらの世界の人々の精神を植え付け、生存させる。


 私は、善と悪を兼ねそろえた『神さま』になりました。



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