第5話 狡兎死して走狗烹らる
ーーー征服歴1502年 プロストフェル王国南東部 ワデラム黒樹海ーーー
ワルシク平原で大敗を喫した王国軍だが、それを率いる王太子とその側近達に戦争を手打ちにする気はさらさら無かった。
むしろ、エウロペ大陸南方に突き出したレムルス半島の都市国家連合から精鋭と名高い傭兵団をわざわざ雇入れ、前回のような傭兵の裏切り対策とした。
そうして僅か3ヶ月足らずで再び2万の軍勢を揃えた王国軍だが、前回侵攻の際に敗北したワルシク平原の野戦陣地がより強化されているという情報を得た事から、今回の侵攻に際して本隊は別のルートを使用し奇襲的にエルディンガー侯爵領へ進軍する戦略を建てた。
軍勢を分け、再びワルシク平原を目指す軍と別に、その南部に位置するワデラム黒樹海と呼ばれる人類の踏破を阻む原生林を強行突破しエルディンガー侯爵軍の後背を突く軍を同時に進軍させた。
それが、エルディンガー侯爵軍の実質的な軍師として辣腕を振るう疵顔の傭兵による誘導だと気付かないまま。
ワルシク平原の戦いにおける報酬によって得た莫大な金貨のほぼ全てをばら撒いて、疵顔の傭兵ベルは徹底的な情報操作を行った。噂を流し、王国軍の総大将である王太子の側近を賄賂で籠絡し、王国軍の本隊を
王国軍15000は、ベル率いる傭兵団が膨大な罠と伏兵を潜ませたワデラム黒樹海へそうと知らずに突入し、この世の地獄を体験する事となった。
心理の陥穽を突いて襲い来る残酷な罠の数々、そして昼夜問わず軍勢の脆い部分を攻撃する伏兵達。傭兵ベルの地獄すら生温い調練を生き抜いた傭兵達の完璧に統制された襲撃は、僅か1000足らずの兵数にも関わらず10倍以上の軍勢を翻弄し、薄皮を一枚一枚剥ぐ様に少しずつ確実に王国軍を削り殺した。
傭兵ベルは手慣れた手腕で的確に王国軍の侵攻ルート、輜重段列の位置、休息を取る場所を見極め、手足のように傭兵達を操り王国軍を叩きのめした。
そして軍勢を半減させ、当初の予定の倍の時間をかけてようやくワデラム黒樹海を突破した王国軍は、準備万端で待ち構えていたエルディンガー侯爵軍の前に何も出来ず敗れ去った。
武器も甲冑も投げ捨て来た道を逃げ帰る王国軍に対し、エルディンガー侯爵軍の指揮官であるリリア・エルディンガーは容赦なく徹底的な追撃を命令した。
特に自身を公衆の面前で婚約破棄した憎むべき王太子は必ず捕らえて(生死問わず)自分の所に連れて来いと、エルディンガー侯爵家の騎士団に厳命していた。
エルディンガー侯爵軍勝利の立役者である傭兵ベルは、追撃の為にワデラム黒樹海へ突入する騎士団の案内役を務めるよう
小雪が舞いまだ夕暮れ前なのに暗い冬の森林を、ベルと松明を持った傭兵6人を先頭に見事な鎧姿の騎士達が進んでゆく。
「けっ、勝ったのはボスのお陰だったのに連中偉そうにしやがって。負け犬共を討ち取って手柄扱いにしようってのかよ」
「こちらが功績を挙げすぎたからな。少しは譲ってやらないと騎士様達の面子が立たないだろ?」
「そういうもんっすかね…でもいいんすか、名声が広がるチャンスですぜ?」
「そんな物で飯が喰えるかよ。金さえ払って貰えるなら名誉くらいくれてやれ」
「確かに、おっしゃる通りで」
ベルとその部下の雑談は暗闇に消え、自分達の後をついてくる騎士達には聞こえていない。いたとしても、真面目だが融通の利く副騎士団長なら聞き逃してくれるだろうというある種の信頼もあったが。
「ベル殿、よろしいだろうか?」
「…ええ、構いませんよズーグ副騎士団長殿」
ベル以外徒歩の傭兵達と違い、大半が騎乗している騎士達を率いる副騎士団長が、1人先行してベルの騎馬に並ぶ。
「確かこの樹海は殆ど人の手は入っていないはずだろう? どうしてこうも騎兵が進みやすい道が?」
「ああ、簡単ですよ。事前に騎兵が通れそうな道を整備しておきましたので。もちろん王国軍から分からないよ偽装してありますので、道から外れないようお気をつけを」
「そうなのか…なるほど、このような道を事前に作っておいたから殆ど被害無く何度も王国軍を襲撃できたのだな」
「ええ。まあ時間も人手も資金もあったので楽でしたよ」
感心した様子で頷く若い副騎士団長にベルは苦笑を疵だらけの顔に貼り付けながら肩を竦める。
「しかし良いのですか?
「何を言う。貴殿のような有能な戦士から智慧を授かるのをどうして恥じらう必要があるというのだ?」
「光栄ですが…っ警戒しろ!」
気さくで飾りのない副騎士団長の言動に頭を下げようとしたベルは、即座に抜刀し部下達に鋭く指示を出す。
ベル達が自分達の進軍路として作った道の先に、装備の整った兵士達が待ち構えている。
「デーンベルド傭兵団だね」
「連中、俺らが作った路を!?」
「東側からは兎も角、西側からなら気付くやつはいるだろう。大方、俺達の追撃を遅らせる殿だ」
装備の特徴から、路を塞ぐ兵士達が王国軍に雇われたレムルス半島出身の傭兵だと見抜いた副騎士団長が下がりつつ部下に合流する。
ベルは抜刀しつつ、傭兵達に呼びかける。
「俺はエルディンガー侯爵軍の傭兵団長ベルだ。武装解除し路を開けるなら見逃してやる。とっとと失せろ」
「…なるほど、情報通りだ」
「なに…っ!?」
傭兵達のリーダーと思しき目つきの鋭い男が呟いた言葉にベルは眉を顰め、そして瞬時に後ろから放たれた矢弾を叩き落とす。
「がっ」
「がは!?」
「ぐぇ、ぼ…ボス…」
「チッ」
だが一発では無く何発も放たれた弩弓の矢はベルだけでなくその部下の傭兵達、そしてベルの乗る騎馬にも放たれ、六人いた部下は全滅し馬も矢で体を貫かれ暴れ出す。
ベルは即座に馬を飛び降り、馬はそのまま森の中へと消えて行った。
ベルは地面に危なげなく着地し、自分達に矢を放ったエルディンガー侯爵軍の騎士達を冷めた目で見やる。
「俺を処分するとしたらもう少し後だと思ったんだが…副騎士団長殿の独断、では無さそうだな?」
「ええ…ベル殿には大変申し訳ない話ですが」
ズーグ副騎士団長は人の良さそうな顔を悲しげに歪め、だが構える弩弓は揺らぐこと無くベルに照準を合わせている。
ベルはチラリと、自分の退路を塞ぐように守りを固めているデーンベルド傭兵達を確認する。
「この路を知っているのはリリア様と騎士団長のみ…なるほど、傭兵達を事前に買収してたのか」
「ベル殿の手法を真似させてもらった。彼らの仕事は貴殿を逃さない檻だね」
「…優秀だと思っていたのだが予想以上だな、あのお姫様は」
ベルの疵だらけの顔に仮初ではない苦笑が浮かぶ。
「ベル殿、出来れば抵抗しないでくれ。君の前には騎士団の精鋭30騎後には精強なるデーンベルド傭兵団50名。勝ち目も逃げ場もない。それに私はこう見えて弩弓は得意なんだ、この距離なら一撃で脳天を射抜ける」
「………有り難い申し出だが、断る」
ベルは人差し指と中指を立てた左手を前に突き出し、右手に持ったサーベルは地面と水平に弓を引き絞る様に構える。
「撃てぇ!!」
近距離からの10発を越えて放たれた弩弓の矢はしかし、ベルのサーベルに全て叩き落される。
そしてそれを予見していたズーグ副騎士団長は、ベルが体勢を整える前に部下を突撃させていた。
「舐められたものだ…俺がこの程度の雑魚にっ、ガハ!?」
だが即座にサーベルを戻したベルは、突撃してくる騎兵を切り札であるカルネアス流剣術第七の型で返り討ちにしようと構えを変えようとして、唐突に吐血し膝をつく。
「ガハ…クソ、こんな時に…」
ベルの不調などお構い無しに、騎士団の振るう槍が眼前へ迫る。
「死ねない、俺は……俺は…………」
周囲の音が消え、突き出された槍の穂先は酷く遅く感じられる。
「カハっ……約束……だから……」
ベルの口から溢れた鮮血が、樹海の泥を赤く染めた。
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黒樹海の東側、侯爵軍の本陣は太陽が完全に没した後も忙しなく人が行き来している。
専用の大天幕で引っ切り無しに駆け込んでくる伝令の報告がようやく途切れ、総大将であるリリアが一息つけた時には、既に日付が変わりかけていた。
既に冷え切ったコーヒーを飲もうとしていたリリアは、予定外の来客に形の良い眉を歪める。
「エリザベート、それにバックス騎士団長も。貴方達にはワルシク平原の防衛を任せていたはずですよ? 何をしにきたのですか」
「理由は姉上が一番よく分かっているはずです!」
「はぁ………騎士団長、口を割りましたね?」
「申し訳ありません、リリアお嬢様…しかし」
「まったく、貴方は昔からエリザベートに甘いですからね。ですが、もう遅いですよ」
リリアはため息をつき懐中時計を確認する。
「今頃既に、ベル傭兵団長は戦死していますから」
「姉上! ベルは野心などありません! 何故…何故ベルを暗殺など!」
エリザベートの悲痛な叫びはしかし、リリアの怜悧な美貌に欠片も陰りを生み出すことは出来ない。
「野心の有り無しではなく、出来るか出来ないかです。あの男は僅か3ヶ月足らずで王太子の側近を買収し、進軍の方針までも裏から操ってみせた。もしもベルが敵に雇われたら同じ事が出来るのですよ? 我々に対して」
「っ…!」
「あの男は、私達の旗下で働くのは今回までと常々言っていました。次に雇われるのはどこです? 王国? それとも神聖帝国ですか?」
あまりにも鮮やかに、そして一方的な勝利をもたらしたベルの存在は、味方としてその有能さが際立っていたが故にリリアやエルディンガー侯爵にとって敵である王国以上に危険と判断された。
そして傭兵であるが故に忠誠心か期待できず、金次第で敵に雇われる事など何とも思わないと。
「べ、ベルとて義理はあります! わざわざ我が家に敵対する相手に雇われるなど…」
「そんな保証は何処にありますか? 祖国を捨て、そして信仰する神すら違う男の、何を信じればよいのですか?」
斬り捨てるような、身勝手だが為政者として筋の通った怯えに、エリザベートはたじろぐ。
「ベルは…ベルは姉上の恩人なのですよ!」
「…分かっています。ですが、私は貴方の個人的な感傷で、未来の脅威を見逃すことは出来ません」
ほんの少しだけ、苦渋がリリアの声音に混じる。
そして割り切る様に、リリアは冷めた口調でエリザベートに退出を促す。
「さあもう行きなさい。傭兵ベルはもう死にました、そしてそれに、貴方達は関わっていません」
「姉上!」
それ以上何も会話する気はないと言うようにリリアは手を振り、エリザベートは涙を流して姉にすがりつく。
リリアが妹を払い除けようとした時、天幕の外から声が響いた。
「リリア様! ズーグ副騎士団長より伝令です!!」
「ああ、ようやくですか。入りなさ…い?」
エリザベートを引き剥がしたリリアは、天幕の外へ許可を出し、そして目の前に現れた伝令に目を見開く。
「その傷、どうしたのですか?」
「申し訳ありません……ゼェ…リリア様…ゼェ…傭兵ベルの…抵抗にあい……」
門番だった兵士に支えられながら、全身を血に染め、左目と左腕を失った騎士は息も絶え絶えにリリアへ報告する。
「よ…傭兵ベルの抵抗で…ゼェ…我が隊はほぼ全滅…ゼェ…副騎士団長殿は…傭兵ベルと相打ちになり…うぅ」
地面に膝をつき、顔を半分包帯で覆い残った目に浮かぶ涙をこらえる様に俯く騎士の背を、彼に肩を貸してきた兵士が労わるように撫でる。
「リリア様、この者は傭兵ベルの首を持参して参ったそうです。おい、いいな?」
「はい…ゼェ……私は左腕が無いので…ゼェ…お願い…します」
リリアの天幕付きの、彼女達の謀略も知悉しているその兵士は、騎士に託された血塗られた包みを、すなわち討ち取った傭兵ベルの首級をリリアに確認して貰おうと、その場で包みを解いた。
「ど、どうぞリリア様!」
「っ…これは!」
「な…っ!?」
「あ、ああぁ…!!」
リリアもエリザベートも、そしてバックス騎士団長も目を見開く。何故なら包みから現れたのは、恐怖と絶望に染まりで絶命した、ズーグ副騎士団長の生首だったからだ。
「どうされ…て?」
包みを開けた兵士は予想外の反応に訝しみながら、何が起こったか分からないまま首を落とされた。
先程まで肩を貸しここまで連れてきた、隻眼隻腕の騎士に。
「なっ」
「やめ」
「ヒッ」
そして誰もが驚愕で固まる中、天幕内にいた護衛の騎士や侍女が、何も出来ないまま隻腕の騎士に首を刈られる。
隻腕の騎士は、リリアとエリザベート、そして2人を庇うように兼剣を抜いた騎士団長を除く全員を殲滅し終えると、呆れ果てたようにため息をついた。
「はあ…お嬢様、もう少し警備に力を入れた方が良いぞ? 正直こんな簡単にここまでたどり着けると思わなかった」
「っ…傭兵ベル!」
凄惨たる光景のせいで声を震わせながら、リリアか隻腕の傭兵を、すなわち自分の謀略を食い破りこの場に現れた傭兵ベルを睨む。
「ああ一応言っておくが副騎士団長殿もデーンベルド傭兵団も真面目に働いたぞ? この通り、無くなった左目と左腕がその証拠だ」
ベルはだらりと剣を下げ、肩を竦める。
「あの数を…返り討ちにしたと言うのですか…?」
「何人か討ち漏らしたが、森の中に逃げ込んだからな。生きて帰れるかは運次第だろうな」
ベルは皮肉げな笑みを顔に貼り付け、リリアの質問に答える。
「わざわざここまで来たのは、私への復讐ですか?」
「いいや? だがまあ、闇討ちされて泣き寝入りすれば、将来俺に続くかもしれない優秀な傭兵が困るだろ? 警戒されたら殺されるなんて前例を作ったら、地獄で恨まれるからな」
貼り付けられた笑顔以外、何の感情も浮かんでいない疵だらけの顔からは、それが皮肉なのか本心なのか、それなりに付き合いが長いはずのエリザベートですら判断はつかない。
「さて…覚悟はい「覚悟ぉぉ!!」いや騎士団長殿には聞いてないぞ?」
「なっ…ぐあ!?」
不意打ちでベルに斬りかかった騎士団長は、振るった刃を斬り飛ばされ呆然とした所を、眉間に剣の柄を叩き込まれ昏倒する。
「……殺さないのですね」
「副騎士団長まで殺したからな。騎士団長殿まで殺したら軍が崩壊するだろ?」
一流の騎士を文字通り片手間で無力化し、ベルは改めて血塗られた剣をリリアへ向ける。
リリアは一度瞑目し、そして妹を振り返る。
「エリザベート、後は頼みます」
「あ…姉上…」
そして愛用の細剣を抜き放ち、
「我が名はリリア・エルディンガー。この首、穫れるものなら獲ってみよ!」
リリアが放った鋭い突きは、ベルから見ても称賛に値する見事な一撃だった。
吸い込まれるように己の心臓へ突き進む切っ先を、ベルは半歩斜めに進みかわす。
リリアは細剣を引き、次の一撃を繰り出さんとするがそれは叶わない。細剣を握る彼女の右手首は既に斬り飛ばされていたから。
「っう!」
口から漏れそうになる悲鳴を噛み殺し、リリアは左手で懐から懐剣を抜き放つが、ベルを斬りつける前に左手首もまた斬り飛ばされる。
「く…ぅう!」
両手首から鮮血を吹き出し、それでもリリアは気丈にベルを睨み据える。
「…見事だ。貴女はいい上司だったよ、リリアお嬢様」
「光栄です…さあ一思いに首を斬りなさい」
リリアは悔しそうに歯噛みしながらも、無様に命乞いはしなかった。
「安心しろ…もう斬った」
「え…あ……」
リリアは呆けたように目を見開き、視界が地面へと堕ちてゆくのを知覚しながら、意識を手放した。
彼女の手無き腕が堕ちた首を受け止め、首無き身体は力尽き膝をついた。
「………ベル」
エリザベートは呆然と、たった数分の間におきた惨劇をただその瞳に映し続け、最後に呟くように己が見出した
そして隻腕隻眼と成り果てた
征服歴1502年、プロストフェル王国軍とエルディンガー侯爵軍との間で行われた戦争は王太子の戦死と共に侯爵軍の勝利で幕を閉じた。
だが、侯爵軍もまた勝利の立役者である侯爵家長女リリアと、彼女が見出した傭兵ベルを失い、王国と穏当な条件で講和する事となる。
だが、この戦争をきっかけにエウロペ大陸はより凄惨な戦乱が巻き起こり、10年後に女帝エリザベートが旧ブロストフェル王国領を統一し神聖ミトラリア帝国と和議を結ぶまでに、多くの人民が犠牲となった。
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ワデラム黒樹海での戦いから一月後、傭兵都市ザルベルク
の下町にある小さな診療所に、隻眼隻腕となったベルの姿があった。
「保って1年だな」
「なんだ、以外と長いな」
神妙な顔で、ベルに余命を告げた髭面の医者はあっけらかんとしたベルの様子に眉を顰める。
「ケッ、テメェを頑丈に生んでくれた母ちゃんに感謝しとけ。常人なら普通動けねえんだよ、テメェのそのボロボロの肺はよ」
「それは毎日感謝しているが…コホッ…」
血の混じった咳をしながら、ベルは肩を竦める。
「言っとくが、養生して1年だぞ。煙草やめて、傭兵稼業で殺し合うなんざ以ての外だ」
「その場合はどれくらい保つ?」
「あぁ!? 知らねぇよ。半年か一月か…その前に殺されて野垂れ死ぬかもな!」
「なるほど…コホ…確かにな」
ついに左目すら失った疵だらけの顔に、本物の苦笑を浮かべたベルは、片腕で器用に上着を羽織る。
「世話になった。俺はもう行く」
「……どこへだ。テメェもうこの国にゃ居場所ねえだろ」
「そうだな…思ったよりも猶予がありそうだし、母さんの墓参りでもするさ」
「そうかよ……」
ベルの言葉に苦々しい顔をした医者は、薬棚から掌に収まる大きさの袋を取り出しベルへ投げ渡す。
「これは…?」
「餞別だ。その中にある葉っぱを噛めば、そのボロッボロの肺から来る痛みを多少は緩和できる。依存性があるし使いすぎりゃ廃人だが、先がねぇお前にゃ関係ねえだろ」
「違いない。代金は弾むからもっとくれ」
「そんなにねえっての!」
医者はそう言ってベルを診療所から叩き出した。
「………さて」
雪がちらつく町を、隻眼隻腕の元傭兵はのんびりと歩く。
「コホ………故郷までは保つか…」
かつて全てを失った英雄は、故郷から遥か離れた地で、再び全てを失った。
それでも、ベルの歩みは止まらない。
たとえその寿命が尽きかけていたとしても、
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