メッセージ)『クオリア』からの提案です

 わたしが生まれるよりもずっと前。

 無限に広がる情報の海を一滴の漏れなく学習した人工知能は、完璧な未来予測さえ可能にする――そんな威勢のいい謳い文句は、人々に新時代の到来を予感させ、多額の開発費を税金から引っ張ってくることに成功した。

 そして、不確定性原理の登場によって、偉大な数学者の提唱したその悪魔が絶滅の危機に瀕していることが大衆に知れ渡る頃、既にその開発は終盤に差し掛かっていたのだった。

 完成したそれは、言われていたより遥かに小さな成果。

 けれども、開発者たちは悪びれることもなく、人々にその人工知能の有用性を説いた。もともと彼らが目指していたのは「サルにダーツにさせるよりいくらかマシ」な予想図を描く専門家。人間の脳の容量と処理速度には著しい欠陥があると考え、曰く「人間に扱いきれないビッグデータを活用することで、環境や人口など世界規模の問題に終止符を打つ」と。 

 先に結論を言ってしまえば、その期待は見事に裏切られることになる。

 確かにその人工知能は優秀だった。仕様通りに、議論に終止符を打つだけの能力を持っていた。なにせ提出される回答の根拠となるのは、膨大な量の情報だ。人間にはとても把握しきれない。予想が外れたとして、どこで間違えたのか知る術さえないのだ。そんな人間たちをよそに、人工知能は予測と現実の結果を比較し、適宜修正しながら精度をあげていく。

 もはやこれは神の啓示に等しい。つまり、信仰の問題となったわけだ。

 反発の声は大きく、活躍の場は制限されなければならなかった。しかし、これまでつぎ込んだ費用のことも考えると、ただ葬り去るのはあまりに惜しい。

 それでは、この技術はどのように活用されるべきだろうか。

 頭を悩ませる必要はなかった。優秀な人工知能はその質問にも問題なく回答し、開発者たちはそれを信じきっていたから。

 いくつか示された案の中から、最も条件に適合し、且つ最も無責任な案が採用された。

 「統計的確率に基づき、生活の質を向上させる人工知能アプリケーション」通称『クオリア』は、こうして誕生した。

 はじめのうちは「インターネットで検索するよりも手軽」程度の評価だったそれは、破綻寸前だった企業の経営を立て直したことで利用者が増加。利用者が増えたことで、社会的な影響力も増した。そのどさくさで、伝統的な法律がいくつか変わった。『クオリア』に尋ねれば、子供にだってその論理的な瑕疵が分かる。同性婚が制度化されたのは、今より三十年ほど前のこと。

 そして、わたしが生まれた時には、『クオリア』はすっかり人々の日常に根付いていたのだった。

 昔の人がポケットや鞄にしまい込んでいた板切れは、いまや、わたしを取り巻く環境を観測するため、常に身に着けられるよう形状を変えた。それに合わせて、予防接種のついでのような気軽さで体内に埋め込まれた子機が、わたしの生体データを常に計測する。

 わたしが何かを見て聞いたその反応を経験という文脈に落とし込み、同様に集められたいつか誰かの経験と照らし合わせて、わたしが幸福な人生を歩むための道を舗装してくれる。

 『クオリア』に何かを質問して、その提案を受け入れるのは、ちょうど天気予報を見るようなもの。雨が降るでしょうと言うのなら、傘を準備する。もし予想が外れても荷物が少し嵩張るくらいのこと。もしも忠告に従わなければ自分がずぶ濡れになるだけだし、体温の低下を検知した『クオリア』は、お風呂に入るよう勧めてくれることだろう。こんなのいちいち反抗するほうが馬鹿らしい。

 だから、わたしたちは、大抵の場合は大人しく従う。信仰とは実践のことだと言うのなら、わたしはそれなりに熱心な信者だ……と言うと、誤解を招きそう。実際のところ、いくら思春期真っ盛りとはいえ、次から次に悩み事が沸いて出るはずもなく、普段は便利な辞書扱いがせいぜいといったところ。こちらから質問しなければ、基本的に『クオリア』が勝手に答えることはない。

 ただし、何事にも例外はあるものだ。「非推奨の行動」に対する警告のように。

   

 

 学校から二駅離れた喫茶店のテラス席。カフェラテのカップを片手に待つ恋人に駆け寄って、

「ごめん、ちょっと遅れた」

「全然遅くないよ、大丈夫」

 なんてお約束のやりとり。

 ユイと付き合い始めてから早一か月。今日は、週に一度の放課後デートだった。

 校内ではグループの友達として、接触は最小限。放課後を待ち、それぞれ『クオリア』が用意した言い訳を使って抜けだして、約束の場所で待ち合わせ。

 この秘密の関係は『クオリア』の提案によるものだ。

 お互いに初めての恋人同士。手探りの付き合いもそれはそれで楽しいだろう。でもだからこそ、いつまでもこの関係が続いて欲しくて、先人たちの経験から手っ取り早く学ぶことにした。

「はい、これ。一緒に飲む?」

 ユイが飲みかけのカップを差し出してきた。刺さったストローは当然のように一本だけ。

  同性婚が認められ、またそれに対する差別的な言動は社会全体の幸福度を下げるとして禁止されたとはいえ、少数派には違いないし、未だに偏見は根強く残っていた。

 そもそもそんなの関係なく、往来で堂々といちゃつけば、奇異の目に晒されるのは避けられないだろう。

 わたしは首を振って、レジへと向かった。彼女もべつに本気ではなかったのだろう。気を悪くした風もない。

「それで、今日はどこに連れて行ってくれるのかなー?」

 わたしが注文の品を受け取って席についた途端、さっそく正面から揶揄うような声が飛んできた。ユイは、友達だった頃よりもちょっとだけ意地悪になった。それが気を許している証拠みたいで、くすぐったい感じ。

 デートの行先は交代で考えて、『クオリア』には頼らない。

 それが、わたしたちの決めたルールだった。恋人同士のちょっとしたじゃれあい、ゲームと表現したほうが適切かもしれない。

 提案してきたのはユイの方から。チョーカー型のウェアラブルデバイスの使用者は、腕時計型の使用者よりも『クオリア』への依存度が低い傾向がある。彼女もその例に漏れなかった。

 いちいち動作の邪魔だし重いしぶつけて壊しやすい点に目を瞑って、それでもわたしが腕時計型を恨んだのは、タッチパネルでの操作も可能で、暇つぶしに弄っていられるから。チョーカー型は音声による指示とボタンでの電源のオンオフしか出来ないのだ。

 わたしは右手でポケットを漁りながら、左手を伸ばし、ユイの手首を摑まえた。そうして、「なになに?」とはしゃぐ彼女に、取り出したチケットを握らせる。このために前もって準備しておいた。

「映画館とか、どうかな?」

 昔はデートの定番だった、とうっすら聞いたことがあった。最近は動画配信サービスに押されて数を減らして、しぶとく生き残っているのは演出に拘ったところばかり。わたしは数えるほどしか経験がないが、そこでの映画体験は観賞というかアトラクションに近い。

「えー、なにこれ! 紙のチケット! 初めて見たかも」

 意表をついたつもりの提案だったのに、ユイは期待とは別のところで驚いていた。

「物で残った方が、思い出になるかなって……」

 言い訳めいたことを口にして、急に恥ずかしくなってきた。ユイがその隙を見逃すはずもなく、にんまりと笑みを広げる。

「いいね、いいと思うよ。ずっと大事にしてくれるんだもんね? 可愛いなあもう」

 彼女の『クオリア』は無反応。つまりは、これくらいのじゃれ合いは他の恋人同士でも許容範囲。困ったことに実際、わたしも悪い気分ではないのだった。そのことが彼女にも知られてしまうのは、納得いかない気もするけれど。

 

   

 重ねたデートの数が両手の指では足りなくなった頃から、わたしたちは週に一度の時間ではとても満足できなくなった。少しでも一緒にいたくて、休みの日には一緒にプールに行ったりもした。ユイに水着姿を見せるのはだいぶ恥ずかしかった。そのうち行先が思いつかなくなると、互いの家に通うようになった。

 彼女との時間はいつだって特別で、新鮮だった。

 問題があるとすれば、わたしたちが勘違いしていたことだ。珍しさも新しさも、それ自体は良し悪しについての価値基準ではないというのに。

 その日も部屋に彼女を招いて、だらだらと社交的な能力を高め、穏やかな人格の形成に勤しんでいた。そんなふとした時に、ユイが不満顔でこぼした。 

「どうして隠さなきゃいけないんだろうね」 

 わたしたちは勘違いしていたし、大事なことを忘れていた。いつからと言うなら、この関係のはじめから。

 神を疑ってはならないのだ。

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