クオリア

焦げ雑巾

メッセージ)非推奨の行動です。

 こんなことになるのなら、音声を切っておくべきだった。

 左手首に巻いたウェアラブルデバイスを反抗期のような気分で睨みつける。警告音を発しながら再考を呼びかけるメッセージを液晶に浮かべているのは、起動しっぱなしの『クオリア』だ。

 それはわたし自身よりもわたしのことを詳しく知っていて、わたしの選択を諫めはするが強要はせず、常に現状から幸福を最大化するための指針を定め、同時にそのための手段を示す。ネイティブ世代と言われるわたしたちにとって、ある意味親とも呼べる存在だ。

 空はどうして青いのか。赤ちゃんはどこからやって来るのか。他人のプライバシーに関わること以外ならなんだって、問われるままに答えてくれる。わたしに起こり得る未来のことでさえ。

 気遣いには欠けているけれど、人工知能がそんな配慮まで始めてしまったら、いよいよ人間の立つ瀬がない。

 さて、たったいまのこと。わたしはその親の目の前で、愛の告白を受けた。なかなかに気恥ずかしい状況である。

 お相手はユイという名の女の子。高校に入学してから、かれこれ三ヶ月の付き合いになる友達だ。

 差し込んだ西日でオレンジ色に染まる放課後の教室。いつもなら暇を持て余した女子高生が五人、とりとめもない雑談を交わしつつ、だらだらと居残っている頃合い。そんな時間さえ『クオリア』に言わせれば、社交的な能力を高め、穏やかな人格を形成するのに役立つそうだ。随分と甘やかされている。

 それはそれとして、今日はそのうち三人が帰ってしまった。なにやら予定があるとかで。残ったのはわたしとユイの二人きり。まあ、それくらいのこと、気まずい思いをすることもない。どうしようかと案を出すのは、どちらの役割でもないからだ。

 『クオリア』の提案する健康増進計画に従い駅前でもぶらつこう、と話がまとまりかけ、そして、唐突にユイが言った。

「好きだから、付き合って」と。

 理由も要求も単純明快で、意味を理解するのにそれほど時間は要さなかった。

 驚いて向きなおった反動で、肩にかけたスクールバッグが勢いよく滑り落ちて行く。視線の先では、ユイがわたし以上に戸惑っていた。夜のうちにぺちゃんこになってしまった自転車のタイヤのように、すっかり漏れ出てしまってからようやく穴が空いていたことに気付くみたいな有様。どうやら覚悟を決めての発言ではなかったらしい。みるみる顔が紅潮していくのは羞恥心からか、それとも口を両手で塞いでいるせいか。

「どうかな……?」

 しばらく無言で見つめ合い、それからユイが焦れた様子で詰め寄ってきた。潤んだ大きな瞳は決壊寸前。さっきまで真っ赤だった頬は、悲壮なほど青白い。首元ではチョーカー型の機械が主人の暴挙を諫めようと控え目に振動しているものの、彼女がそれを気にかける様子はなかった。……というか、頭のてっぺんからつま先にいたるまで、衝動を抑え込むように震えているのを見るに、警告は意味をなしていないようだ。

 わたしにとって、彼女は眩く輝くダイヤモンド。

 まず文句なく素材がいい。顔立ちが整っている。それだけでも人目を引くには十分だけれど、いつだって小学生みたいに一生懸命。誰かのくだらない話を聞くときだって、にこにこしながら、うんうん大きく相槌を打っている。純粋さが微笑ましい。そして、彼女が動くとうっすら色の抜けた髪から、きらきらと光がこぼれ、わたしはその度につい見惚れてしまうのだ。髪は染めたのではなく、昔から趣味で続けている水泳の影響らしい。小柄なのに決して貧相に見えないのは、適切なカットを施すみたいに無駄な贅肉が削ぎ落された結果だからだろうか。

 一方、わたしは路傍の石。磨き甲斐がないことを言い訳に、自己研鑽を怠りがちなそこら中に転がっている女子高生の一人。自分の凡庸な容姿なら鏡で毎日見飽きているし、秘められた特別な才能はなにもない。卑下しているわけではなく、事実としてそうなのだ。なにせ『クオリア』がいまこの瞬間にも、わたしの身体と精神がいかに健全で平凡であるか確認してくれている。べつにそれを悲しいことだとは思わない。ただ努力をする根性もないことすら見透かれているようでちょっとムカつく。

「いいよ。付き合おうよ」

 するりと自然い言葉が出ていた。どうもわたしも、ユイのことが好きらしい。

 『クオリア』がまた騒ぎ始めるが、今度は無視する。

 好きだから付き合う。これはそういう単純なお話。いろいろ考えるのは機械任せでもいい。だけど、わたしの感じ方は、わたしだけのもの。

「ほ、ほんとに?」

 そう信じきれないでいる彼女に、

「こんな嘘つかないよ」安心させるように笑いかける。

 二度のやり取りを経たことで情報の確度が上がったからか、互いの『クオリア』が説得を諦めて大人しくなる。

 それとは対照的に、ユイは獲物に飛び掛かる猫のような俊敏さ。熱烈な抱擁をくれた。わたしは胸に押し付けられた彼女の頭を柔らかく撫でる。抱き締め返すのが正解だったかもしれない。ちょうどいい位置にあったから、つい……。

 額にじんわりと汗が滲む。それにも構わず、ユイはわたしの腰に手を回したまま上目遣い。

「じゃあ、今から初めてのデートしよう!」 

「どこか行きたいところあるの?」 

「……とりあえず、駅前にでも」

「さっき立てた予定と変わらないけど」

「わかってないなあ……。恋人とデート! こういうのが嬉しいの!」

 そういうものか、とわたしは納得した。まあ、確かに悪い気分ではない。

 わたしもユイも女の子同士。ついさっきまで友達で、今は恋人になった。

 手を繋いで、教室を出る。なんだかいつもより世界が輝いて見えた。これが幸せってことだろうか。 

 なんて思っていると、左手首で警告音。『クオリア』からのメッセージは「緊張による瞳孔散大に注意」。やっぱり音声は切っておくべきだったかな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る