2章 雪兎と冬燕2
……むう。
繕わないソクラティスの言葉に、クローネは唇を噛む。
彼の言うことは全面的に正しい。雑多な観衆が酔いの口でのたまっただけなら無視をするが、本物を知る者からすれば危険な火遊びを嗤いものにしているだけにしか見えないだろう。
その日も大きなクラッシュがあり、機体から投げ出された人がいた。あれは最近選手登録したばかりの若い子だ。無理な加速に滑車がついていけず、飛び出した機体が地面を身を削りながら走っていた。
会場に残る黒い線が流星のようで。幸いにも軽い怪我で済んだ選手は、新しい機体に乗り換えてすぐにでもレースへ復帰するだろう。
狂気に犯されている。半ば開いたソクラティスの口はそう言外に告げていた。
あれ以来、彼はドロッパーレースを見に来ていない。ただクローネは別だ。レース復帰を目標に今日まで努力と金策を続けていた。
ようやくその目処がたち、復帰戦を三日後に控えた今日、決起会として店に来ていたのだ。
声をかけたソクラティスは口を尖らせ言う。
「本当にレースに出るのか?」
「うん」
即答する。
返答を聞いてソクラティスは表情を変える。怒り、呆れて、悲しみと苦悩を滲ませていた。
……相変わらずだなぁ。
坂を転がるような百面相にクローネは浅く笑う。
二年間でわかったことはソクラティスがめんどくさい程に口下手ということだ。感情を上手に伝える言葉が思いつかない時はいつも顔に出る。
レースにいい印象がないのは分かる。ただ頭ごなしに否定するのではなく、理由を述べたい。そこで喉が詰まっているようだ。
まるで陸に上がった魚のように口を開閉する彼に、
「レースに出て欲しくないのはわかったけど、どうして? 向いてないから? 怪我するから?」
クローネは会話を促す。
それに対してソクラティスは首を横に振る。そうじゃないと前置きして、
「そこに意味があるのか?」
「意味って?」
質問に質問で返す。
なかなか本筋を明かさないやり取りも、クローネは楽しんでいた。いつもは怖いくらいにちゃんとしている大人でも、こういうところだけは子供っぽい。
ソクラティスは目を伏せる。ゆっくりと言いたいことをまとめて、顔を上げると、
「空には必要ないだろ」
……なるほど。
確かにと、クローネは頷く。同時にソクラティスは上層の人間なんだなとも思う。
違うのだ、前提が。それがわかっていないからそんな言葉が出るのだ。
クローネはフォークを掴む。持ち手をへし曲げるほど強く握り、剣のように先端をソクラティスに向ける。
顔には不敵な笑みを浮かべ、目は火口のように熱い炎を灯していた。
「師匠、ごめんね」
一言先に告げ、
「中層じゃ、面子が何よりも重いんだよ」
「面子……」
クローネの言葉を復唱したソクラティスは、ゆっくりと首を傾げていた。
……まぁそうだよね。
理解できない生物を見るような目に、哀愁交じりの息を吐く。
面子、尊厳、人権、意地。明日の見えない世界で中層の人々は強く結びつくことを選んだ。倒れそうならば支えあい、特出した才能は伸ばし褒め称える。閉じた環境だからこそ育まれた文化であった。
大きな家族といってもいい。一年もいればそこら中に顔見知りが出来るのだから。
しかし身内には友好的な反面、外敵には厳しい一面もあった。リソースが限られているため、努力が劣れば不必要と判断される。例え血のつながった家族であっても、怠惰や寄生は容易に縁切りの対象になっていた。
技術もさることながら、精神面も評価の対象だ。拙くとも一生懸命であるならば周りが助けてくれる。師弟関係も多く、教えを請えば誰もが丁寧に師事していた。
だから、自分を馬鹿にされたということはその人の後ろにいる関係者全員を馬鹿にしているととらえてしまうのだ。
たった一回失敗したくらいでレースを諦めた。そんなことを言われた日にはクローネは全身全霊を賭けてぶん殴る必要があった。たとえ相手が自分よりも屈強な大男であったとしてもだ。相手を見て喧嘩をする奴だなんて思われたら今まで教えてくれた人たちが自分を殺しに来るだろう。
だからレースは続ける。内心どこかでほくそ笑んでいる野郎どもの目玉が飛び出るような、圧倒的なレースを見せつけ、私は最強だと殴りつけるために。
お上品な上層ではまた違った文化がある。だから、ソクラティスと言えど理解できないことを否定しないでほしかった。
「とにかく。レースには出るし、目標はシーズン勝率一位よ」
クローネは言い切るとフォークをトロフィーのように高く掲げる。
それを向かいでソクラティスがたしなめるような目で見つめていた。
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