2章 雪兎と冬燕3

 レース会場はいつものように熱気に溢れている。

 二年前と同じだ。眼下に広がる景色を見てクローネは足に力を入れる。

 ゼロヨン。ルールは変わっていない。まっすぐ行って終わり、洗練されたレースに人々は歓喜の声を準備する。

 ……不安だ。

 クローネは眉間に皺を寄せて目を瞑る。

 コンディションは最良。機体の調子もいい。ただテンションだけは最低を通り越して地面に穴を掘り続けている。

 ちらりと横を見る。新しい機体は青と黒がマーブル模様を描いている。

 元々の機体に、ソクラティスの乗っていたフューゲンシュバルツの外装を剥いでくっつけたキメラ型だ。直ぐに戻せることを第一に改造したため、元々の涙型ではなく異質な薄い三角形になっている。

 やけどのような溶接の跡はない。軽金属と鉄ではくっつくことはなく、リベットでは十分な強度が出ないからだ。

 代わりに専用の接着剤を使用した。元々フューゲンシュバルツにも使われているもので、ドクターによる発明品でもある。

 時代をひとつ超えた、そう言える程に圧倒的なスペックと安全性を兼ね備えている。瞬間加速ならドロッパーのほうが速いがその他全てで追随を許さない。

 もはや負ける方が難しい。しかしクローネの表情は晴れることは無かった。


 ……大丈夫かなぁ。

 視線は機体を通り越してその先、他の選手に注がれていた。

 見たことの無い顔が二つ並んでいる。新人だ、二人とも血走った目に大粒の汗を浮かべていた。

 くじ引きの妙とでもいえばいいのだろうか、貴重な新人が二人も同じレースに参加する。クローネも戦績が一しかない。賭ける立場からすればこれほど冷えたレースはなかった。

 新人が駆る機体はオーソドックスなものだ。安定性を取って速度を捨てたようにも見える。ただでさえ自滅が多いレースにおいてそれもまた作戦のうちでもある。

 しかし、操縦が必要ないかといえばそうではない。短い時間の間にも繊細な操作が要求される。巨大な怪獣のような雰囲気に飲まれている二人が練習通りのパフォーマンスを発揮できるとは思えなかった。


 ……頑張ってよ。

 クローネは目で訴える。

 新人二人を心配している訳では無い。それは失礼に当たるからだ。

 たとえここで死んだとしても自己責任。そもそも前回大破したクローネに人のことを気にかける余裕などなかった。

 問題視していたのは貰い事故をする可能性だ。各機体の間隔はさほど広いとはいえず、横に大きく振れれば衝突の危険がある。クローネの機体は頑丈だが軽く、ぶつけられれば簡単に吹き飛んでしまうからだ。

 そして何より、

 ……お金がない!

 特殊な合金製の外装は下層でしか作られていない。そのための金属も交易によって入手されたものだ。生産も安定せず、それが値段を釣り上げている原因でもあった。

 試算したドクターからも破損したら次はいつ乗れるか分からないと言われている。かすり傷ですら肌を汚すことは避けたかった。


「さぁ第五戦の始まりです」


 アナウンスが響き渡る。歓声はより一層高くなっていた。


「今日は珍しいお客さんが参戦するぞ。上層から脱獄してきた死刑囚、二年ぶりにクローネが帰ってきたっ!」


「おいごらァ!」


 紹介の内容に、クローネは実況席へと声を荒げる。

 ただのマイクパフォーマンスだとはわかっている。にしてもひどい紹介の仕方だと地面を踏み鳴らしていた。

 周囲からは嘲笑が立ち昇る。

 ……見てろよ。

 クローネは二本の指を自分の目に当て、手をひっくり返す。全員顔を覚えたからなと、指を観客に、舐めまわすように向けていた。


 選手紹介も終わり、計測の時間だ。

 沸き立つ興奮をひそめてクローネは眠る機体を動かす。別格の見た目に否が応でも注目を集めていた。

 それがどんな飛び方をするのか、どれほど速いのか、今は誰にもわからない。

 それをわからせるのが、クローネの使命であった。

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