1章 緋石と未だ届かぬ蒼穹15

「こいつは複座式でな。操縦は前、後ろは酸化剤の調整で速度をコントロールする。エマージェンシーレバーを引けば操縦を変わることも出来るが計器類は全部前だ。水平器、高度計、アナログだが精度は悪くない」


 ソクラティスが機体に近寄りながら解説をする。その言葉をクローネは一字一句脳みその皺に刻み込んでいく。

 今目の前に映るものは理想の上を行くものだ。目指した夢の体現だ。使われている技術も材料も一目で理解することはできないほどに洗練されている。

 クローネの思考の中には嫉妬すら入り込む余地がなかった。今はただ一つでも多くのことを吸収するために脳のエンジンをフルで回転させる。


「燃料にはアグニの花に酸化剤、多量の水と触媒としてプラチナを使っている。酸化剤とアグニの花が反応して可燃性ガスとプラズマが発生するんだ。それを水で冷却と同時に分子分解して再点火、二段階爆発ブーストゥブーストで無駄なく推進力を得ることが出来る」


「……なるほど」


 クローネは目を見開いて頷いてみせるも、言葉の半分も理解できていなかった。

 ……解体したいなぁ。

 酸化剤の配合やプラズマの通り道、どのタイミングで冷却水をどの程度投入するのか。浮かんだ疑問は腹を掻っ捌いてみてみない事には真理に届かない。

 誇らしげに各部位に説明をするソクラティスは、近くで無造作に置かれているキャスター付きの梯子に手をかける。そして機体に横付けすると見た目に反して軽快な足取りで一段二段と駆け上がる。

 あぁ、そうか。

 薄く白化粧を施した風防を持ち上げるソクラティスに、クローネは小粒程の安堵を胸に積み上げていた。

 体調の悪さは山中病が原因だ。上層に来たことにより回復の兆しがある。だから見た目以上に身体が動くのだ。

 それでも本来ならば大事を取るべきなのだが、空という夢に心を灼かれた人間に何を言っても無駄である。クローネ自身にも身に覚えがあることだけに否定する言葉を持ち合わせていなかった。


「後ろ、乗るわよ」


 既に機内に乗り込んでいたソクラティスは手を上げると、握りこぶしに親指を立てて後方を指す。了承の合図にクローネも足場をかける。

 間近で見た黒橡くろつるばみの羽は鈍くしめりのある質感だ。艶消しされたボディは闇夜を彷徨う蝙蝠のようだった。

 透明な、しかし分厚い強化プラスチックの風防は先からなだらかな傾斜をつけて盛り上がり、後方は丸く切り落とされた形をしている。そこはドロッパ―とあまり変わらないのねとクローネは気持ちを穏やかにする。

 合成ゴムの張られたシートに身体を沈める。視界に入るのは用途のわからないレバーにセレクタスイッチつまみ。唯一わかるのは身体を締め付けるベルトぐらいだった。


「忘れてた」


 弾けるような声が前方から降りてくる。クローネが視線を向けると上空へと跳ね上がる石が緩い山を書いて落ちてきていた。


「危ないわよ」


 目の前まで落ちてきたものを片手で掴む。手首に走る軽い痛みが浮ついた気持ちを引き締める。


「座席右に三つ並んだセレクタスイッチがあるだろ。その下に投入口スロットがある。鍵は閉めろよ、吹き飛んでくるからな」


 説明を聞きながら、クローネは右に視線を落とす。ゼロに合わせてあるセレクタスイッチの下、ロックを解除すると球体の鉄メッシュが転がり出た。

 それを掴む。新品らしく白い金属光沢が目を焼く。留め具を外せば半分に割れ、その中にアグニの花を嵌めるとスロットを元の形に戻してしっかりとロックし直した。


「出来たわ」


「座席右上にレバーがある。引けば安全装置が外れるからセレクタスイッチを後ろから三、三、一に合わせろ」


「了解」


 レバーはすぐに見つかった。顔のすぐ横に長く上に突き出していたからだ。

 クローネはそれを握りつぶすように強く握ると、体重を乗せて下ろす。尻が浮き上がるほどの力を込めてようやく頑固なレバーはゆっくりと頭を垂らしていく。

 頭上から肩のあたりまで来ると、金具のはまった音を立ててそれ以上びくともしなくなる。

 ……固すぎっ!

 肩をわななかせながらクローネは荒い息遣いとともに悪態をつく。

 飛行中などに振動で容易にレバーが動くようなことがあってはいけない。そのために生半可なことでは動じないようにしているのだ。にしても固い。固すぎる。これではアグが全力で締めたボルトを外す方がまだ緩い程だ。

 いきなり疲れたことの不満とやりきった充足感のあとはセレクタスイッチを回す。

 三、三、一と復唱しながらその通りに回していくと、最後のツマミが開くと同時に機体が大きく吠えるように震え出した。

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