1章 ドロッパーレース6

 ドロッパーレースは昔にあった地上を走るレースとはかなり毛色の違うものだった。

 殆ど制御の効かない機体は真っ直ぐにしか飛ばず、着陸すらできない。なにかにぶつかるまで止まることの無い弾丸やミサイルのような作りだからだ。

 とはいえいちいち壁にぶつからないと止まれないものを人は乗り物とは呼ばない。そのためレース会場にはスタートからゴールまでを繋ぐワイヤーと滑車があった。

 ゴールに向かって下りの傾斜がついたワイヤーをドロッパーは滑るように飛行する。終点にあるバネを使って強引に速度を落として止まるのだ。


 傾斜はゆるやかながらドロッパーの自重でも進む。ガス噴射なしでもゴールすることすら可能だった。

 では選手は何をするのか。必要なのは滑車にどれだけ負担をかけないかだった。

 いくら機体を支えられるとはいえそれは平常時のこと。超高速でドロッパーが振り切ってしまえば滑車は銅細工のようにひん曲がるかワイヤーの方がちぎれ飛ぶ。

 かと言って滑車が完全に浮いた状態になるとワイヤーと絡まる可能性が高まるため、その微調整が求められていた。

 可もなく不可もなく、ちょうどいい重さというものは音で分かる。火花散る悲鳴のような高音ではなく、詰まるような低音でもない、ベアリングを華麗に歌わせることが選手が目標としている事だった。


 エレベーターは上昇を続ける。まもなくスタート地点というところで地鳴りのような大歓声が響き渡る。

 まるで音の雪崩のようだとクローネは耳を塞いでいた。

 見えてきたのは光だった。火中に躍り出たと錯覚するほどの光量に目が焼かれる。同時に身を焦がすような暑さに、せっかく引いたはずの汗がぶり返していた。

 目がくらみ瞼をきつく閉じる。叩きつけるような五感への刺激の多さにたじろぐことしか出来ずにいた。


 ……おぉ。

 ガチャンと派手な音を立ててエレベーターが止まる。到着したのだ。

 慣れてきたシトリンの瞳が世界を映し出す。開発途中の街は碁石の形だけは出来ているものの、張り巡らされた螺旋の足場もなければ虫食いのような住居の横穴も無い。下半分のすり鉢状に広がる斜面にルールなく座る人がまばらな模様を描いていた。

 つい先日までは向こう側、しかし今日からはこちら側。見る位置が違うだけでこれほどまでに景色が違うのかとクローネはおののいていた。

 雪の粒のように小さな人の頭、胸が苦しくなるような歓声、全方向から感じる期待に満ちた視線。途端に自分がのみのように小さく感じられていた。


「一レーン、クローネ!」


 背後、その上から降り注ぐ声にクローネは目を向ける。

 目の荒い金網の先にいたのは先程のスーツ姿の男性を含む、いわゆる運営陣おえらいさんだ。そこから先の開いた長さ数メートルもある喇叭ラッパによって声を届けようとしていた。

 同じような喇叭は会場にいくつか設置されている。ただそれだけあっても雑踏に簡単にかき消されてしまう。そのため喇叭の上部には黒ガラスに色砂鉄で文字を書いた看板が掲げられていた。

 観客はこの紹介で初めて選手を知ることになる。同時に各地で慌ただしくなるのが売り子、そして胴元だった。


 選手の紹介が終わると同時に殺到する注文に割符を渡していく。偽造などできないように大鳥の細かい意匠が施された割符には下部にリングが取り付けられている。それが賭け金の額を示していた。

 配当率オッズの計算は随時変わる。胴元がある程度の予想と実際の賭け金から計算をしているからだ。なので胴元が違えばオッズも変わる。下手な胴元は破産することも少なくなく、儲けすぎる胴元には客がつかないなんてこともざらだった。

 良くて十倍かな、とクローネは思う。自分に対するオッズを予想していた。

 スクリムがいる以上鉄板レースであることは間違いない。単勝で倍率がつくのはその下、事故が起きない限りはほぼありえないが、逆に未知数なクローネが台風の目となって二番人気になる可能性があった。

 流石に二連単では大穴になるだろう。それほどまでに新人が勝つことは難しい。ましてや前評判などないに等しいクローネを、明日の飯がかかっている人が賭けるとは思えなかった。

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