1章 ドロッパーレース7
「クローネ、前へ」
賭けの動向を待っている間、選手は手持ち無沙汰でいるわけではなかった。
選手の紹介が終わると同時に声をかけられたクローネは、機体を引きながら前へ出る。
それは大きな天秤だった。上空には長い竿があり、支点の近くにはロックされた鉄の足場がある。
すぐ先は地面までの片道切符だ。うっかり足を踏み外したらと思うと、いつも以上に力が入る。
計量が行われる。ゴンゴンと積まれていく重りに、機体が若干浮き始める。手慣れた手つきで素早く計量が行われると、頭上にある名前の横にその重量が表示されていた。
二百三十キロ。パワーセルと排気口が二倍なので他の機体よりも少し重い。
レースの勝敗に重量が密接に関わってくるが、レース出場には全く関係がなかった。大事になってくるのはゴールした後の重量だった。
いくらドロッパーの部品が簡単に剥がれ落ちるからといって、全損状態でゴールしたものを一位とは認める訳にはいかない。そのため明確なラインとして定められているのがレース前と後とで重量差二十パーセントに収める事だった。
ボルト一つ、ボディが一枚吹き飛ぶ程度なら問題は無い。しかしパワーセルが暴発したり、排気口が抜け落ちるのなら失格。原型をある程度留め、次回のレースまでに補修が終わる程度に損壊を抑えろという意味が込められていた。
「全員位置につけ!」
奈落の底の手前。台車にロックを掛けて機体についたワイヤーを巻き上げる。軽く宙ずりになった相棒は指で触らずとも大きな振り子となって空を楽しんでいた。
……ベルトよし、水平器よし、加熱炉点火……よし。
硬いコクピットに尻を乗せたクローネはまず腰にベルトを巻く。その後ハンドルの前にある水の入った球形ガラスを見る。
赤く塗られた軽石が波の中を泳いでいる。沈んでいない事を確認し、クローネは座席右にあるT字のレバーを引き抜いた。
ガラガラと板バネが小刻みに震える音が鳴る。レバーについた鉄線には細かく火打石が埋め込まれていて、引き抜く間に火花が散るように出来ていた。
腰を丸めて、炉を見る。小さく空いたガラス板の向こうには青白い炎が血気盛んに揺らめいている。
炉が温めているのはパワーセルだ。ここまでの間に冷えたセルでは噴射の勢いが落ちてしまう。そのため炉で温めた空気を二重構造の間に通して加熱を計っていた。
加熱は滞りなく、ふっと気負いが口から吐き出される。着火レバーを仕舞い直し、
「……オーライ。いい子ね」
コンマ数秒開いたセルから蒸気が噴き出す。気持ち前後に揺れだした機体を、クローネは子を毛繕いする親のように撫でていた。
想定外のところから蒸気が漏れることもなく、耳障りな異音もない。問題ない。いける。クローネは強く確信していた。
隣のレーンからも空ぶかしの音が鳴る。ふと見ればクローネに視線を注ぐスクリムがいた。
声をかけようとして、クローネは甘く開いた口を閉じる。代わりに軽く手を振ると、スクリムは親指を立てて返事としていた。
ライバルではあるが同時に仲間でもある。崩れやすいのは機体だけで絆は強いとドロッパー乗りが噂される所以だ。
「位置について──」
レースが始まる。
その火蓋が今切られようとしていた。
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