1章 配管工のおしごと7

 カーンカンカン……

 鐘の音が鳴る。三の鐘、では無い。

 クローネは雷に打たれたように身体を硬直させていた。三の鐘は低い音で三度しか鳴らない。未だに一定のリズムを取って鳴り続ける高い鐘の音には当てはまらない。


 示すところは、緊急事態。それもとびっきりの。

 急ぎ振り返るクローネは下を見下ろしていた。グスクもそれに倣い、それどころか作業員や家の中にいた住人ですら飛び起きて集まっていた。

 見下ろした先には独りぼっちの飯場がある。それにたかるように人が駆け寄る姿はまるで蟻か蠅だ。近くで作業していたA班とB班、それにアグの姿があった。

 彼らがいの一番の取り掛かったのが飯場の解体だった。熟練の作業員なら五分とかからず骨組みだけにできる。あとは足早に鉄骨や壁材を片付ければ、そこにはもともと何もなかったかのように殺風景な更地が残されていた。


 飯場のあった広場はただの集合地点ではない。この街と下層とを区分ける大きな隔壁だった。

 ゴウンゴウンと音を立てて広場の真ん中に亀裂が入る。街のいたるところで蒸気の悲鳴が上がっていた。

 地獄の釜だ。少しだけ開いた隙間からぞくぞくと生暖かい空気が噴き出してくる様は、悪霊が手を伸ばしているようだった。


「あっつ……」


 顔にかかる熱気にクローネは思わず目を閉じる。

 火口に近い下層は平均気温が二十度を超える。そこから一階層上がるごとに数度ずつ冷えていき、クローネのいる階層はほぼ毎日十度を下回っていた。

 火口のある最下層には人が住めない。その上の下層は三層からなり、中層は五層、上層に至っては十層もある。それだけ極寒の外気を取り込むことを人類は恐れていた。

 その全ての隔壁が開こうとしていた。そうしなければいけない理由があった。


 聞こえてくるのは太鼓に似た音だった。鼓動のようにも聞こえるそれは始まりの合図だ。

 隔壁は開ききり、普段目にすることのできない下層が見えるようだった。しかしそれ以上に目を惹くのが真っ赤な化物の存在だろう。

 表面のいたるところで痘痕あばたが噴き出して、破裂する。膨れ上がる身体は内部からあふれ出るものを頭の上から垂れ流して滝を作る。

 胸を叩くような腹に響く音の正体はそれだった。クローネは喉につかえる息苦しさから逃げるように天を見上げていた。


 ……そらだ。

 小さな穴から見える鈍色の曇天の先に空がある。蒼穹そうきゅうと日輪。数百年の間、人目から逃げ続ける処女性の光だ。

 この浮き上がるような強い風に乗っていけば届くのだろうか。クローネは無意識のうちに手を伸ばしていた。


「あぶねえぞ」


 腕を掴まれたことにクローネはハッとして意識を現実に戻す。何を考えていたのだろうか。心ここにあらずだった瞳に光が宿る。

 欄干の外は危険だ。開いた隔壁から何が落ちてくるかわからない。そんな子供でも知っていることをグスクから今更注意されたことにクローネは頬を赤くする。


「……ありが──」


 それを言い切る前に、手が引きずりこまれる。下だ。周囲の空気ごと、それこそ身体を持っていかれそうになるほどの吸引力に二人は抱き合って堪えるしかなかった。

 始まる。大地の怒りだ。巨大な化物はいつのまにか姿を消していた。音すらも吸い込んで咆哮の準備に入っていた。

 一瞬、すべてがいだ。時が止まったような静寂の後、地下から煉獄がせりあがってくる。

 それは流星だった。赤い星が空に墜ちていく。一つ二つが束になり、ついには滝のような柱になっていた。


「何年ぶりだ?」


「三年……だったかなぁ」


 クローネの周囲ではそんな感想が飛びかっていた。

 ……明るいなぁ。

 火柱に顔を焼きながらクローネは思う。

 普段目にしているのはガス灯の灯りだ。不規則に揺れる光は家の中を満足に照らすことも叶わない。目が痛むほどの灯りというのは街にいる人間にとって贅沢とも言えた。


「さて、そろそろ隠れるか」


 耳元で優しく囁かれる声に、クローネは頷き返す。

 天に伸びる溶岩がそのままということは無い。元あった大地に引かれるように戻ってくる。

 吹き上がりは半分液体だったものも外へ出て冷やされるとただの石に変わる。まっすぐ上がったそれは、擦れ磨かれ割れ、予測できない乱反射をして帰ってくるのだ。


 光の柱は徐々に細くなっていく。輝かしい瞬間も一時の物だと、人々は動き出していた。

 その光景を一目見ようと外へと飛び出してきた人はまた家の中へと戻っていく。クローネ達作業員は他人の家に押し入るわけにもいかないため、床をはがして盾にしていた。

 轟音まき散らして暴れた化物は気が済んだのか、息をひそめて地に戻る。その残滓ざんしが空から豪雨となって降り注ぎ始めていた。


 はいだ鉄板の裏で子供のようにクローネとグスクは身を寄せ合っていた。こういうときのためにいくつかの鉄板は工具なしでも簡単に取り外せるようになっている。それを持ってなるべく壁沿いへと避難をしていた。

 お互いの息が顔にかかるほど近い。しかし降り注ぎ始めた石が鉄板を叩く中ではそんなことを気にしている余裕もなかった。

 鍛冶場のような騒音が耳を叩く。軽い音に混じって甲高い金属音が鳴るのは岩石に鉄が多く含まれている証拠だった。

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