第33話:俺の理想


 流石にこのままの格好でステージに立つと学校側にバレて問題になるのが見えているためスタッフ用の黒い上着を借りる。この黒の上着は奇跡的にも俺の着ていた服装とマッチして自然な感じになった。

 最後にさっきの店で買った帽子を深く深く被る。

 そして肩から掛けたギターOvationを見つめる。自分のギターを触っているかのような慣れた感覚でペグを回してチューニングをする。


 緊張しない訳がない。

 急遽にステージに上がること自体はミライズ広場でいつもやってること。

 だけど、今回は違う。

 期待されているレベルが違う。

 今の俺は日本トップに並ぶことはできない。

 だからと言ってステージの前で待ってるであろう人達を裏切る訳にはいかない。

 父と同じギターを背負った今、俺はやらなくてはならない。


「ふぅ……やるか」


 「ここからお願いしまーす!」と俺を呼ぶスタッフに導かれステージ脇に移動して音響スタッフの合図を待つ。

 このギターでは以前に路上ライブでやったスラム奏法はできない。

 だから俺はこのステージでをぶつける。

 かつて実力底上げのため繰り返してやってきた練習のように。

 

「それでは、よろしくお願いします」


 反対のステージ脇で音響スタッフが手を振り合図しているのを確認し、俺をここまで誘導したスタッフの言葉で送り出される。

 ステージから見える景色は想像以上。

 人。人。人。人。ひと。

 顔が多く見える。

 そして想定通りの言葉が飛ぶ。


「誰だよ」

冬杜ふゆもり様じゃないの?」

「どういうこと?」


 ステージに向かって飛ぶ言葉を黙って受け止めながらステージのセンターに向かって歩みを進めた。

 センターに立つ。

 未だにザワザワしている人々。

 俺は誓う。絶対に黙らせてやると。

 そうでも思っていないと此処の雰囲気に飲まれてしまいそうだから。

 視界に入るギターが画面の中でみた姿とリンクする。

 そして思い出す。軽音を辞め今以上に練習しても求めるものは得られないと知って辞めた練習法を。 

 必死に上手くなろうとして父の演奏が残されたビデオを擦り切れるまで見た日々。

 何度もビデオと向き合いになろうとした日々。

 ビデオの演奏を覚えた一年半前のあの日。

 だが求められるのあの日以上のクオリティ。

 今の俺が体現できる理想。


「……ふぅ」


 息を一つ吐き出し、左手でネックを掴み弦を丁寧に抑える。

 抑える指先に金属の弦特有の冷たさが伝わってくる。

 あの日々みたいに指先は痛くない。弦の反発を飼いならす。

 そして、右手の長くて綺麗な爪で6弦から力強く下へ弾き下ろす。


♪~

 

 力強く繊細な一音が一瞬の静寂を生み出した。

 やはり、このギターが持つ音の響き、その特徴的な音色は人を魅了する。

 この瞬間を逃さない。


「スゲェ……」


 ステージ前から零れる言葉を聞き流しながら弦を弾く手首を振るう。

 速く。速く。速く。優しく。

 その速さに合わせ左手で抑える弦を切り替える。

 コード、リズムに準じて指を弦の上で踊らせる。

 全ては理想に近づく様に。


♪~


 速さの中に緩急をつける。

 ただ速さで乗り切るのではなく、音のクオリティを示すため。

 あの日、弦を押さえる指が痛くてできなかったことが今ならできる。

 だから今。


 俺はこのステージに理想をぶつける。


――――――――――


 己の理想に近づこうと音を奏でる男のステージを眺める、腰まで伸びた長く雪景色のように美しい銀髪が風に靡く女性がいた。


「ふぅ、急いできたけど良いのいたじゃん。……でも、あの演奏してる感じ見覚えがある気がするなぁ。まぁ私のサブギターせいか」


 女性は右手に持つギターが入ったハードケースをチラッと見た。


「それにしても流石に行かないとね」


 彼女はステージ前に集まる群衆を避けるように大回りしてステージへ向かっていった。


 

 

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