第26話:迷子


「ママぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 この場に響き渡る子供の声。

 足を止める周りの観光客。


「あれ?」


 俺の横に居たはずの琴がいつの間にか消えていた。


「おーい響!こっちこっち!」


 人の多いこのトンネル型水槽で俺のことを呼ぶ声が聞こえる。

 琴の声だ。

 呼ばれた声の出所へ歩みを進める。

 すると。


「はーい大丈夫だよ。きっと直ぐ見つかるから」


「ほ、ほんとぉ?」


 膝を着いている琴、その横。

 5歳くらいだろうか、目元を赤く腫らした男の子を慰めていた。

 状況は何となく分かった。


「迷子か…」


「そうみたい」


 琴の手を握って放そうとしない男の子。

 その姿と腫れている目元が迷子になった彼の心細さを表していた。


「君、名前は?」


 琴が男の子に尋ねた。

 男の子は自身の服の裾をクシャっとなるほど強く握り言葉を捻りだす。


「…そーた」


「そーたくんだね。……響どうする?」


「どうするって…職員呼んでくるしかないだろ。琴、そのまま見ててくれ。俺が呼んでくる」


 そう言葉を残し、トンネル型水槽を後にしようとすると。


「待って!」


 腕を引かれる。

 振り返ると琴が立ち上がって俺の手首を握っていた。


「なんだよ、琴」


「今、私たちまで離れない方がいいと思う…案外近くにこの子の親御さん居るかも知れないし。もしそうだったら職員さんにも迷惑かけちゃうかも…だから…」


 お客さんたちは通り過ぎて行き、水槽の魚たちも周りを駆けていく中、俺達の間だけまるで時間が止まっているかのような間が空く。

 しかし、そんな間も長くは続かない。


「だからさ。一緒に居ようよ?」


「お、おう」


 らしくない幼馴染の言葉に少し驚きながらも何とか返事を返す。

 彼女の赤黒の髪から顔を覗かせる耳が少し赤くなっている。

 やっぱり琴らしくない。

 だが、事態も事態。

 そこは琴らしく、直ぐに少年の視線に合わせるために膝を着く。


「そーたくん、ママとはぐれる前は何処に行こうとしてたの?」


「…イルカ。イルカさん……」


 少し落ち着いたのか、人見知りを発動させている少年が言葉を絞り出す。

 「イルカ」というキーワードに俺と琴は互いの顔を確認して頷いた。

 イルカが見れるの一つしかない。屋外かつ少し歩かなければならないがイルカショー会場。


「じゃあ、イルカさんの所に行ったらママに会えるかもね。そーたくん、ここに居るお兄さんの後についてって頂戴?」


 俺を指さす琴。少年も俺を視て無言で頷く。


「…おねーちゃんもいっしょに来てくれるの?」


「もちろん!そーたくんの傍にいるよ」


「わかった!」


「ということだからお願いね、響」


 少年の両肩に手を乗せる琴が俺の顔を見て言葉をかける。

 人見知りも和らぎ始めた少年。まだ少し目元に赤みはあるが、その顔は前を向いていた。

 声をかけた時点で分かっている。

 この子の面倒を最後まで見る責任が俺達にあるという事。

 軽く頭を掻く。

 やるしかない。


「わかった。それじゃ行こうか」


 俺は後ろに琴と少年がついて来ているのを時折確認しながら、屋外にあるイルカショー会場へと歩き始めた。


 修学旅行も始まったばかりではあるが迷子の少年の母親探しが始まる。


――――――――――


 屋外にあるイルカショー会場に到着する。

 途中にあったウミガメ広場に少し寄り道もしたが時間的にはそこまでのロスは無いはず。

 だから今探せば少年そーたくんの母親は直ぐに見つかるかもしれない。

 だけど。


『まもなくイルカショー本日第三回公演が始まります!!お客様は席に着席くださーい!!』


「おねーちゃん、おにーちゃん!イルカさんの発表会はじまるよ!!」


 この場に響き渡るイルカショースタッフのアナウンス。

 はしゃぐ少年の声。

 俺達は捜索活動ではなくイルカショーの観客席に居た。


 イルカショー会場に着くころには少年の表情にも明るさが戻っており、俺と琴にも積極的に話かけてくるようになってきていた。

 そしてイルカショー会場に着いた時。

「イルカさん!!」

 そう言葉を吐いた少年は観客席に一直線へ俺達の手を引っ張って行って今に至る。

 やっぱり子供の状況対応力、知的好奇心は凄いのか…


 少年を挟むように座る俺達を始め観光客たちで席が埋まり始めた。

 そして、先のアナウンスの通りイルカショーが始まる。

 

「わあああ!!イルカさん!すごーい!」


 キャストを背に会場のプールを駆けるイルカ達。

 彼らの動きに合わせ会場が沸き立つ。

 俺と琴の間に居る少年も例外ではない。

 だけど、本当にこんなことしていていいのだろうか…


ツンっ


 肩を突かれる。

 突かれた方を見ると琴が手を俺の肩まで少年に当たらないよう後ろの方を回していた。

 琴が俺の耳元で呟く。


「母親探しも大切だけどさ、修学旅行なんだから少しは…ね?」


 声に触れた俺の耳が少し熱を帯びる一方。

 笑みを零す彼女の表情は小さな子供の様な輝きを見せていた。


「おねーちゃん、おにーちゃん。どうしたの?」


「イルカさん凄いな―って言ってただけだよ。ね?響?」


「あ、あぁ、イルカさん凄いな!」


 まぁ、彼女の言う通り、今はこの公演を楽しむべきなのだろう。 

 

 

 

 

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