第3話:よしッ!!
初めての経験だった。
伴奏者としてステージに立ち始めたのは去年だが、それ以前からステージには何度も、数え切れないほど、立ってきた。
そんな俺が初めてステージの上で恐怖した。
目の前に居るフードを被った少女を怖いと思った。
俺のことを視る、歌う狩人の眼が心に刺さった棘に触れる。
『うるせぇ!人に合わせられない人間なんか軽音部は要らねぇんだよ!一人でやってろ!』
合わせていたらこのまま飲まれちゃうよな。
俺の前にいる少女は恐らく・・・
(だったら、俺の横に立てるぐらい上手くなれよ)
俺の心の叫びに届く人物。
曲もサビ前に入る。相も変わらず少女は、その声で人を魅了し多くの観衆を集めていた。そんな中でも彼女は俺をチラチラと視て
『ねぇ?君はどうしたいの?』
あぁ、やってやるよ。
覚悟を決め、心に刺さった棘を引き抜く。途端に襲い掛かる不安感が、俺の手を、指を止めようと震えさせる。
でも進まないといけない。この少女には応えないといけない。
なぜかそんな気がした。
再び少女が眼で語りかける。
『君の
あぁ、そうだよ。
俺の夢。いつの間にか口にできなくなっていた夢。
父の代わりに、あのステージに立つ。
音に生きる者の夢、武道館。
意思を眼で示す。少女の
『やってやるよ。だけど、どうなっても知らねぇぞ?白パーカー?』
『いいじゃん!・・・でも、ボクだって負けないよ?』
サビ前、眼で会話する。ここからテンポを上げ、伴奏者のコーラスと共に最高潮の盛り上がりになるサビに突入する。
このままだと音が足らねぇよな。
そんな最中、俺は、弾いていたピックを床に落とす。そして指弾きに変え、自身の前にあるボーカルのやや後方に位置したマイクからツインボーカル用に置かれたマイク、つまり少女の横まで移動した。
演奏中、まして伴奏者が曲中に移動するなんて考えていなかった観客からはザワザワと動揺が走る。
俺の行動をみた琴は一瞬驚きを見せたが直ぐに意図を汲んでくれたようで、音響機器の元に走っていった。すまん、あとで謝るから。
少女の横へ移動した俺の前にあるマイクに音が入る。さっきまで切れていたが琴が上手く間に合わせてくれたのだろう。
全ての準備が整い、曲はサビに向けて飛び立つ。
「あのギターの子もすごくね?」
「コーラスも上手い!」
「今、ピック捨てなかったか?」
「その前から伴奏上手かったけどギア上がったな。表現力が違うぞ!」
「凄すぎ、動画撮ろ。」
俺の耳に入る観客のざわめきが一際大きくなる。少女が歌い出した時、いやそれ以上に。
この場に居る、イベントスタッフを含め全員が見届ける。
空気が変わったこと。
音から伝わる熱が上がったこと。
音響機器が置かれているテントから出てきた琴と目が合う。
彼女の表情は驚きと悔しさを合わせて割ったような表情であった。
俺は今どうなっている?
分からない。
弦を弾く指が、熱を帯び痛む。
だけど、ただ弾く音、腹に響く音が心地良い。
なんだろう、どこか懐かしいような感じもする。
横で歌う彼女が、眼で言う。
『アハハ!最高だよ君!でも、まだいけるでしょ?』
『うるせぇ!俺が歌声を喰ってやるよ!』
俺たちは曲の間、二人の空間を互いに喰い合い、楽しみ合い、音で満たした。
この日、確かに飛行機雲が交わる音が響き渡った。
――――――――――
その後、もう一曲を終えステージから降りるとコウおじさんに呼ばれ、イベントステージの横に備えられたスタッフ用のテントに入った。
理由は分かっている。
目立ち過ぎたのだ。
以前にも歌が上手い人が飛び入りで来た時、ここまでは無いものの似た事があった。ステージから降りると直ぐに集まった人々に囲まれてしまい、身動きが取れなくなる。その経験を経て、観客の量などから演者に危険が及ぶと判断した際にはスタッフ用テントに匿い、ほとぼりが冷めるのを待つのだ。
テントに入ると琴が自分で使うキーボードのメンテナンスを行っていた。
琴が作業の手を止める。
「響!感謝しなさいよ?マイクの切り替えしたの私だからね?」
「あー、ごめん。体が勝手に動いたんだよ」
「全くもー!」と吐き捨て彼女は作業を再開する。鍵盤を磨き、自身の伴奏に備える。その横顔はどこか強がっているかのようにも見えたが、俺には理由は分からない。
俺の横で幼馴染のやり取りにキョトンとしていた少女が、ようやく動く。
「ステージで自分を解き放った気分はどうだったかな?」
少女はニヤニヤと笑みを浮かべ、俺に問う。
どう?と聞かれても俺自身・・・正直分からない。
ただ言えるのは。
「……心地よかった」
「アハハ!ね?ボクって凄いでしょ?」
そう言い、少女は胸を張ってみせた。
何が凄かったのか、言うまででもないだろう。
「あぁ、凄かったよ。あれだけの人を虜にするなんて・・・。それでさ、あんた何者なんだ?」
本当は初めて会った時に聞きたかったことだったが、色々あり、今の今まで先延ばしになっていた。
「え?ボク?あっ、そっか自己紹介がまだだったね」
少女は、あの日陰にあるベンチで会った時からずっと被っていたフードをとる。
演奏中にも視えたブラウンの美しい瞳と、肩まで流れるように、靡くように伸びた空色の髪を備えた美しい素顔が
はっきり言おう。
美人だ。
どこかのモデル、アイドルと言われても何も不思議に思わない、そんな顔だ。
俺はこんな人とステージに立っていたのかと思うと、今更ながら鳥肌が立つ。
「ボクの名前は
ただの自己紹介なのに何故ピースしているのだろうか・・・・。
そんな時、16時を知らせるチャイムが街に響く。盆が過ぎたとはいえ、まだまだ暑い夏。日は長く、テントの窓から見える空も明るく、晴天の空に引かれた飛行機雲が綺麗に映えていた。
「え!?もうこんな時間?行かなきゃ電車が来ちゃう!それじゃ、またね!空奏 響くん!」
「「行っちゃった……」」
初めから、最後まで台風のように慌ただしかった彼女が、ほとぼりが冷めた広場へテントから飛び出していく。
それにしても。
俺って自己紹介したっけ?
「ねぇ、響。いつの間に、あんたの自己紹介をしたの?」
「い、いやぁ、覚えがないな……」
幼馴染二人は互いに顔を見合わせ、首をかしげることしかできなかった。
――――――――――
少女がテントから飛び出し、広場を越え、駅に入り電車に駆け込んだ時。
「よしッ!!」
小さくガッツポーズをしたのを目撃した人は、誰一人居なかった。
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