第2話
ピィピ ピィピ
用務員室の窓に降り立ったアリスは、部屋にいるヨキアム爺さんに挨拶をした。
「あぁ、文鳥ちゃん。ちょっと待ってろよ」
ヨキアムが、オーブンの扉を開けた。
すると、窓辺まで甘い香りが漂い、アリスはほわんと幸せ気分になった。
ピピッピ ピピピー
嬉しさを表現するため、アリスは鳴く。
後宮で生活をしていたとき、アリスはレイモンドやビクトリアを相手に人の言葉で話していた。
たまに、鳥の鳴き真似をするときもあったけれど、なんというか……かなり適当だった。
後宮を出るにあたり、さすがにそれでは不味いだろうと、アリスはレイモンドの積極的な指導の下で特訓を重ね、鳥の鳴き声をマスターしたのだ。
泳ぎと一緒で、一度コツを掴めばなんなく鳴けるようになった自分は、やっぱり文鳥なのだとしみじみと思った。いや、文鳥じゃないけど。
しかしだ。
現在アリスは、人として思考し、人の言葉を話すことで、体は文鳥だけれど自分は人間だと自覚することができる。
けれど、ある日突然そんな思考が、人としての知能や記憶が自分から失われてしまうんじゃないかと思うときがあるのだ。
心が体と同化し、本物の文鳥になってしまう、とか。
ただ、アリスは図太い。
だから、自分が文鳥になったとしても、きっと本能の赴くままあちこち元気に飛びまくるのだろうと想像できる。
そして、不敬にも、レイモンドのこともすっかり忘れ、そこら辺の林でのんきに野生文鳥生活を始めてしまうのだ。
もしかすると、うっかり出会った野生の文鳥と番(つがい)になって、卵をじゃんすか産み育て、楽しい家族生活を送るかもしれない。
そうなったとき、一番心配なのがレイモンドだ。
レイモンドが一人になってしまう。
友だちが、なにがなんでも必要だと思う考えは苦しい。
でも、もし、アリスが野生文鳥になったら……と思うと、やっぱりレイモンドが心配になってしまう。
友だちは無理でも、例えば、お茶を一緒に飲むとか、一緒に勉強をするとか。
友だちの一歩手前の、知り合いでもいい。
そんな人が、レイモンドにできたらいいなとアリスは思っている。
◆
「はい、文鳥ちゃん。お待ちかねのジンジャービスケットだ」
ヨキアムの声とともに、アリスの目の前に皿に載った一枚の四角いビスケットが置かれた。
レイモンドの言うとおりの、ほかほかだ。
(あぁ、幸せ)
ピピッ ピピッ ピピッ
アリスはヨキアムに礼を言うと、大好きなビスケットを早速つつき出した。
あったか おいしい あったか おいしい
「いい食いっぷりだね。ん? つつきっぷりか? 実はね、レイモンドさんにビスケットを頼まれる前にね、赴任してきた先生からもジンジャービスケットを作って欲しいと頼まれたんだよ」
ピピピピピ
(そうですか、そうですか。ジンジャービスケットはおいしいですからね)
文鳥なりの相槌を打ちつつ顔を上げたアリスの目に、用務員室の入口のドアが開くのが見えた。
「ヨキアムさん、おじゃまします。ジンジャービスケットをいただきに来ました」
男性が顔を出す。陽気で軽い声だ。
ただ、服装のセンスは微妙だ。
彼は、絵の具をぶちまけたような模様のシャツに、緑色のズボンを穿いていた。シャツの胸元のボタンは二つも外し、焼けた肌を見せている。
また、頭には鍔の短い麦わらの帽子をかぶり、色のついたトンボ眼鏡もかけていた。
不審者である。
破廉恥である。
レイモンドには、近づいてほしくない大人の見本のような人物である。
ヨキアムは、この男性を先生だと言ったが、いったいなんの教科だろうか。
「先生、さぁ、入ってください。ビスケットはそこの缶に入れてあります」
「ありがとうございます」
男性は、持っていた布の鞄にビスケットの缶を入れると、ふいっとアリスを見た。
「おや、これはレイモンド王子の愛鳥では?」
「そうだけど。あっ、先生。王子呼びはダメだって」
「あはははは。習慣を変えるのは難しいなぁ」
アリスの中で、この先生への印象がさらに悪くなる。
「先生同様に、この文鳥ちゃんもジンジャービスケットが好物だそうでね」
「……え? 王子の文鳥が? いや、でもまさか……」
突然、男性がアリスを両手で包み込むように持った。
しかし、持ち方が斜めだったため、アリスの体も斜めになる。
「ヨキアムさん。俺、これからレイモンド王子に会う約束があるので、この文鳥も連れて行きますね」
「あぁ、そうですか。彼に、明日の朝、お代をよろしくって伝えてください」
「お任せください」
レイモンドと約束?
そんな話、アリスは知らない。
ピピピピピピ
(ヨキアムさん、だすけで~)
「先生、文鳥ちゃんを頼んだよ。ビスケットもさ、たんとあげてやってね」
「もちろんですよ」
ピピピピピピ
(ヨギアムザン、だずげで~~)
斜めの体のまま、アリスはヨキアムに助けを求めたが、その叫びは届かなかった。
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