第2話
「ここ……」
未果が駆けて来た敷地に戻り、拝殿を左に見つつ、この神社で最も大きな朱色の鳥居を抜けた。
四車線の通りの横断歩道は、幸いにして青になっており、そこを渡りながら、由亀は目的地を指した。目とまつ毛の先ほどの距離、神社から大通りを挟んで向かいのアーケード通りの商店街の入り口にある一件のテナントだった。
手作りショップ・まゆずみ。ドアの上に括りつけられた明朝体の看板。
「緑子さん、いる?」
由亀は慣れた様子で店内に入る。未果もついた。こぢんまりしたテナントに小奇麗な和紙製品や手芸製品等が陳列されていた。
「お、由亀」
店の奥で品のある木製チェアに座っていた女性が立ち上がった。
「繭澄緑子さん、この店のオーナー」
女性に手を向けて、未果に紹介をした。身長は未果よりも高く、女性としても高い方だろう。ジーパンと長袖のティシャツ姿にエプロンをして、いくら暖房が効いているとはいえ、寒そうにも見えなくもないが、
「その子、お前の知り合いだったのか?」
実に気風のよさそうな闊達な言いが真逆の季節を感じさせる。
「緑子さん、知ってんの? 燦空さんのこと」
「最近、顔見たお客さんだ。なんだ、サイドテールにしたのか」
快活な笑みが未果に向けられる。未果がしているシュシュは、昨年暮れのクリスマス間際に自分へのプレゼントとして、ここで購入したものだそうだ。ちなみに、緑子が被るバンダナもお手製である。
「はい。友人に私の顔の輪郭だとポニーテールは合わないって言われて。改めて、燦空未果と言います」
未果が会釈から頭を上げると、
「なんだい、由亀のこれだったのかい」
緑子は小指を立てていた。そんな昭和のジェスチャーをしても、平成どころかバブル経済崩壊時に生を受けてなかった女子高生には謎のしぐさにしかなっていなかった。
「違えよ。ちょっと頼みがありまして」
緑子の意図を理解できる男子高校生は、慌てて対応する。
「逢引の部屋なら貸せねえよ」
ようやく意味を察した未果はただ頬を赤らめているだけだったから、由亀が否定と来店理由を述べようとするが、オーナーは勝手に話しを進めている。
「だから、違うっつうの。頼みがあるのは、未果さんの方」
「ほう、どうしたんだい? 和紙作り体験なら有料だが。あ、分かった」
確かに和紙の手作り体験の、興味をそそられるデザインの手作りチラシも置いてある。隣りの市の山にある工房で行われるらしい。
「話し聞けよ。燦空さん、ほら」
緑子の話しの腰は強引にでも折らないと、何を言い出すか知れない。
由亀に後押しされて、
「あの……実は下着が濡れてて……。その……お店にありますか?」
端的に所用を述べる。
「おい、由亀。これはどういうことだ? このお嬢さんの股を濡らしといて、パンツ借りたいだあ?」
緑子が語気を強めて、ヤンキー顔負けの勢いで由亀の胸倉を掴む。彼女の推測では、未果のソレの原因は顔見知りのDK以外にない。曲解だが。
「俺が濡らしたんじゃねえっての。何、言ってんだよ」
えらい喝にも、もはや慣れているのか、由亀は身の潔白を主張するが、
「そうです。ただアクシデントで」
未果はヤンキー《緑子》の怒号にビクビクと付け加えるのだが、
「なに? アクシデントで由亀が濡らしたってのかい?」
「話し、聞けっての」
さすがに顔をひきつらせて説明添付の懇願を込めた視線が未果へ送られる。
「えっと、アクシデントで転んでしまって地面に座り込んでしまって。それで」
奇妙奇天烈かつ武器所有の物騒な男女まで話しては、この勢いの緑子ならとっ捕まえに飛び出しかねない。そこで一文に簡潔にまとめられる顛末としてはこれ以上はないくらいに良くできた説明だった。それは緑子にとっても十分だったようで、
「なんだい。それならそうと早く言いな」
すっかり意気の良い姉御肌の風体に戻った店主は、ようやく男子高校生を締め上げていた手の力を緩めた。
「コンビニに行くよりも近いんだよ。人の話し叩き割ってたのは、どこの誰だよ」
冤罪被害者(由亀)は、大きくため息をつくくらいに嘆いてみせるが、緑子に反省の色どころか、今しがたまで由亀を締め上げてなどいなかったかと言わんばかりに、
「ちょうど通販で買ったのが届いたばかりだ。えっと、未果。こっちおいで」
由亀を無視して、部屋の奥へ未果を弾むように連れて行ってしまった。
店内でぼっちになった由亀は、座布団地のチェアに腰を下ろして待つことにした。製品を手にして破損、損壊、落としたなどなどをしたら、店主に何を言われるか知れない。
手持ちぶさたになる間などなく、パテーションで仕切られた奥から未果と緑子の会話が、手狭な店には反響する。
「これ……お尻見えちゃいます」
「なら、これは……」
緑子などまるで由亀に聞かせるような大きさの声である。
「これは……ふんどしなんじゃ……」
「今どきは女子だってふんどししめるんだぜ。お気に召さないんなら、こっちはどうだい?」
「これ……クマさんがプリントされてますけど……」
「女にはね、お嬢さん。いろんな尻、もといいろんな顔を見せなきゃならない時があるだよ」
「あの……これは? 縞々が縞々縞々になってますけど」
「視覚は錯覚を起こしやすいから。サブリミナル的な、な」
「……はあ。……えっと、じゃあ、こっちのを」
「ちょっと地味じゃないかい?」
「いえ、これで。おいくらでしたか?」
「いいや、いらんよ。何か今日は気分が良くなった。やるよ。ただし由亀に下げられるなよ。奴とて男だからさ、それじゃあ、萎えちまう。ここで着替えると由亀に衣擦れの音が聞こえて格好のオカズを与えちまうから、そこ横曲がるとトイレだからそこで着替えな」
どうやら話はまとまったようだが、
「……――」
由亀はただ無言で頭を抱えるしかない。こないだ誕生日を迎え、
「アラサーじゃない! 四捨五入なんて語は左義長で燃やしてしまえ」
と言い放った三十路数歩手前のオーナーが女子高生に語る下着の意義。実に痛々しかった。それにしてもその歳で動物柄まで購入しているとは、と思うものの、そんなこと本人には言えない。
「おい、由亀。茶の準備。たく、言わなきゃしないって、気の利かねえな」
暖簾をはじいて、店内に出てきたオーナーの命令に大人しく従う。単に緑子が怖かったばかりではない。言われてみれば、肌刺す一月の気温だけでなく、あの二人の強襲を受けた女子は身も震えていてもおかしくはないだろう。緑子に話せる事情ではないが、クラスメートを案じなければならないのが現在である。
店の奥から現れた、少し不自然に身をくねらせる未果に淹れたてのお茶を振る舞う。レジ脇のチェアに座る緑子が、座布団地のチェアに座る高校生二人に製品の話をする。男子は耳にタコをつけた表情を見せ、女子は興味深そうに相槌を打つ。時折微笑む未果の顔色が徐々に暖に温まっていく。
「瓜生君、クラスとなんか雰囲気というか、勢いが違うね」
「そうなんだよ。未果。由亀は今、皮被ってるからな」
「猫被ってるだろ。それに、俺は……」
慌てて啖呵をせき止める。これ以上は身から出る錆になるだろう。なんてことを言ったら、
「お前のは、もう錆びついてんのか? 新品ほやほやだろうに」
とか、さらに己の首を絞めることは、もう現前に近未来予知として浮かぶ。緑子の前では誰しもが透視能力者になれるだろう。下ネタ方面のみと限定されるが。
「ほう、由亀は被ってないわけか。いい男面したいわけではないと。いや、被ってないから男らしいと言えば、そうなるのか」
脳内ビジョンは現実に及ばない。もはや被っているのが猫なのか、別の物なのかまったく意味不明になっている。緑子は妙に納得をし、由亀は無言でお茶をすするしかなく、未果はサイドテールが随分重くなったようで小首を傾げきょとんとしている。
そんな団らんが二〇分ほどして、お暇すると言い出したのは、未果だった。名残惜しそうなのは、緑子の雰囲気にすっかり魅了されたからであろう。
「じゃあ、緑子さん。ありがとう」
店のドアを開いて、アーケードの端に立つ由亀に習うようにして、未果は頭を下げた。
「おお。寒いと思ったら、本格的に降り始めたね」
緑子は半身店内に置いて空を覗くように見上げた。両手で自分の上腕を擦るのは、長袖ティシャツ一枚の上半身なら当然だろう。
「由亀、送り狼になるなよ」
薄着な姉御は念を押すことを忘れない。
「ならんわ!」
「その子、任せてもいいな?」
「もちろんですよ」
そう言って店のドアを閉めた緑子の、由亀に送った視線の柔らかさを未果は見逃さなかった。
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