第2話

 昭和のころは、手積みと言い、自ら洗牌して牌を積んでいた。自ら積むために、積んだ山にどの牌がおかれているか分かっており、目端が利けば他人の山まで知ることが出来る。さらに、自分に有利になるような積み込み。牌をすり替えるエレベーター、配牌ごと入れ替えるツバメ返し、牌にしるしをつけて判別するガン牌等々、雀ゴロたちはこのような技術を競い合った。このころは記憶力と手先の器用さで圧倒的な強者がいた。しかし、時代は進み、平成になると全自動卓が席捲し、そして、手積麻雀は勝負の場から駆逐された。それは、古い雀ゴロたちが駆逐されることと同義であった。それからは、手先の器用さや、記憶力だけでは無く、打ち筋や読みが重要視された。 

 いかに早く、高く上がりに向かうか、そして他者をいかに上がらせないか。 全自動卓の普及とバブル景気により、マンション麻雀など、非合法の高レート麻雀は最盛期を迎えた。一晩でサラリーマンの年収など平気で吹っ飛ぶようなレートにもかかわらず、大手企業の会社員など素人が平気で出入りしていた狂乱の時代。一方で、健全な競技としての麻雀もはやり、ボケ防止、頭の体操として老人や主婦などすそ野の広いゲームになった。

 しかし、いかさまが出来た手詰みに比べ、全自動卓では安易に強者になることは出来なかった。そして、バブルは崩壊し、非合法の麻雀は減っていった。それは、賭博ではなく、競技としての麻雀に光が当たることになった。数多くの競技麻雀のプロ組織が設立され、エンターテーメントとしても、盛大な繁栄を迎た。

 時代は流れて、コンピュータが知的ゲームを行うようにり、それは一つの科学分野として認められ、高度化していった。将棋や、囲碁ではついにAIは人間に勝る様になってしまった。しかし、圧倒的とは言えないが、麻雀はまだ人間側のほうが高い勝率を得ていた。一時期は、機械にセンサー類を多く使用し、対戦者の視線や体温表情などから手配を裸にしようという試みもあったが、これらの変化が見られない機械との対戦は不公平だということで、純粋に、手配と捨て牌で最適な手順と対戦者の手配、手順の読みでの勝負となった。人間が多ければ、人間同士のクセや動きで機械に比べ情報量が多く、有利になる。しかし、機械が多ければ、同じ土俵で戦わないといけない。演算能力に勝り、機械学習により莫大な経験を積める機械は強かった。まずは、インターネット空間で人間を大きく上回る勝率をたたき出した。そして、その演算能力の差が、視覚的人間の情報の差を超え、ついにリアルの世界でも競技麻雀のプロリーグ戦で人間を負かし、機械が勝利するようになった。短期的な戦いであれば偶発的な勝利はあるが、長期的な勝負では、人間は機械に勝てなくなってしまった。プロが弱かった訳ではない、競技麻雀の性質上、機械との親和性が高かったのだ。競技麻雀は観戦者によって収益を得ている。それは観戦券やペーパービューであったり、多くの視聴者を必要とするスポンサーの広告であったりと、より多くの人に見てもらわ無ければ成り立たない。そのためには打ち方、打ち筋で観客を魅せるしかなかった。例えるなら、野球でファインプレーが続出するチームと、バントと敬遠で圧倒的に強いチームどちらが見たいかと言うことだ。その結果、競技麻雀のような綺麗な打ち方では、機械に勝ることは出来なかった。だが、興行でなく、真剣勝負の世界ではどうであろうか。強さが、強さのみが必要となる真剣勝負では。

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