第45話

 スローの言葉に、私は一瞬虚を突かれる。

 だがすぐに、私は言葉を紡いだ。

「ど、んな、って、そんなの、決まっているではありませんか。私と夫が離婚することについて、賛成するか否かですわ」

「それは、離婚という結果ですよね? ですが、如何に本人以外の要素が関係するとは言え、結婚はセラさんと旦那さんの二人をつなぐ関係性のお話です。その関係を切るというのであれば、それ相応の理由や過程が必要になると思うのですけれど」

 スローの言葉を聞きながら、私はどうしようもない焦燥感に襲われる。

 何か、重大な見落としをしているかのように思えてしかたない。

 だからそれが何なのか確かめるように、スローの問に答えていく。

「離婚の理由、というのであれば、アシュを危険に晒した、というのが立派な理由になりませんの?」

「ですが、それはあくまで迷子になった結果ですよね?」

 スローには誘拐の事をアシュが迷子になったと説明しているので、彼女の認識違いは仕方がない。

 しかし次に語られる内容に、私は耳を傾けざるを得なかった。

「その結果危険な目にあったとしても、あのアシュくんが、そう簡単にセラさんと離れ離れになる選択をするでしょうか?」

「どういう、意味ですの?」

「そのままの意味ですよ。だって、アシュくんはセラさんのことが大好きだったじゃないですか。それこそ、誘拐されでもしなければ離れないぐらいにべったりだったように私には見えたんですけど」

 その言葉に、私はハンマーで全力で殴られたかのような衝撃を得た。

 ……確かに、あの子は受け入れてくれましたわ。私のことを。

 最初はおばさんと呼ばれていたが、すぐに私のことをお母様と呼んでくれるようになった。

 実の母親でないにもかかわらず、あの子は私に抱きついてくれたり、手を握ってくれたりして、甘えてくれた。

「私の目には、アシュくんがセラさんをとても大切に思っているように見えました。それはきっと、セラさんがアシュくんにたっぷりの愛情を注いでいるからではないでしょうか?」

「アシュに、私が愛情を注いでいる?」

 その問いの答えを、私は断言することが出来る。

「もちろんですわ。私はあの愛しい息子を、誰よりも愛しておりますもの」

 当然だった。アシュを愛するというのは、私にとって呼吸をするぐらいに自然に行えるものであり、そして生きていくのに必要なものでもある。

 あの子の存在がなければ今の私は存在せず、あの子の笑顔がない生活なんて考えられなかった。

 そう思っている私に向かって、スローは大きく頷いた。

「でしたら、私の見立ては間違っていないでしょう。セラさんがアシュくんを愛していたように、アシュくんもセラさんのことを大切に思い、愛していたのです」

「で、でしたら、どうしてですの? どうしてアシュは、私よりも夫を選んだというのですか? あの子は私のせいで危険な目にあったとしても私と一緒にいたいと思ってくれているのであれば、私と夫の離婚を受け入れたりしないのではありませんの?」

「多分、そこなんだと思いますよ、セラさん」

 そう言ってスローは、私の両眼を見つめる。

「お話をうかがっていると、迷子になったアシュくんが危険な目にあった、という事はわかりました。そこで一つ疑問があるのですが、聞いてもいいでしょうか?」

「もちろんですわ」

 そう言うとスローは、こちらに一つの問いかけをする。

 それは――

 

「ひょっとして、アシュくんと一緒に、セラさんも危険な目にあったのではないでしょうか?」

 

 その通りだった。

 誘拐されたアシュを追い、私は誘拐犯たちの元へと乗り込んだ。

 その誘拐犯たちは、オスコの依頼で私を殺そうとしていたのだ。

 何かが、自分の中で繋がった気がした。

 その私の考えを言語化するように、スローが言葉を紡いでいく。

「私の考えは、こうです。アシュくんが危険な目にあった結果、セラさんも危険な目にあわせてしまった。だからこれ以上セラさんに危険な目にあって欲しくなくて、遠ざけようとした。だってアシュくんは、あなたのことをとっても愛しているから」

「ま、待ってください。そ、そうなると、『お父様の言うこともわかるから』と言っていた意味は――」

「はい。セラさんの旦那様に、そのように説得されたのでしょう。つまり、旦那様はセラさんの身を案じた結果、離婚という結論を出した。後これは私の勘なのですが、アシュくんが危険な目にあったのは、セラさんが直接の原因ではないのではないでしょうか?」

 正解だった。

 あの誘拐を引き起こした犯人はラルヴァ男爵であり、そしてそれに内通していたオスコたちだ。

 ユーリックブレヒトにも言ったが、悪いのは全てあいつらだ。

 私が進んでアシュを危険な目にあわせるわけがないし、ユーリックブレヒトも言わずもがなである。

 しかし、今考えるべきは、別のことであった。

 ……ユーリックブレヒトとアシュが、もう私が危険な目にあわないよう、国外に逃がそうとしている、ということですのね?

 確かにそうなれば、この血に縛られた権謀術数渦巻くクロッペンフーデ大王国の貴族のいざこざに巻き込まれることはない。

 アシュがすんなり私との別れを受け入れた理由も、納得できる。

 ならば、あのガーデンアーチで交わしたユーリックブレヒトの言葉は、演技だったのだろうか?

 ……いいえ、一部は、本心からの言葉ですわよね。

 彼を信じきれなかった私を非難する言葉は、少なくとも本心だったはずだ。

 しかしユーリックブレヒトは、私を逃がすことを選んだ。

 その事実に、今まで枯れ果てていたような私の心が熱を取り戻す。

 スローと会話したおかげか、頭が回ってくる。

 ……そうですわ。そもそもユーリックブレヒトが本当にアシュを危険に晒した事で私を責めるのであれば、離婚する以外にも選択肢がありますもの。

 一番簡単なのは、屋敷に閉じ込めておくことだ。

 アシュは私が出ていかないのでユーリックブレヒトは息子から反感を買うこともないし、王族から信頼できない女をまた後妻としてよこされることもない。

 少なくとも同盟が組める時点で、ユーリックブレヒトは私がアシュに害を加えるような相手ではないと、信じてくれている。

 だったら誰の息がかかっているのかわからない相手を屋敷に向かえ、アシュのそばに置くよりも、アシュを大切に思っている私を軟禁した方がユーリックブレヒトにとって有用だ。

 ……ああ、どうしてそこまで思考が及ばなかったのですの? 私はっ!

 誘拐犯との死闘に、オスコたちの捕縛劇に、突然切り出された離婚話で、気が動転していたのだろう。

 ここが駅のホームでなければ、自分の不甲斐さに叫びだしていたはずだ。

 だが、それ以上に言いたいことがある。

 

 ……だったら、何で最初からそう言ってくださらないのですか、ユーリックブレヒト!

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