第44話

「どうして泣いてるの? お兄ぃちゃんのお母さん」

「あなたは確か、サーカスの時の」

「グラル!」

 顔を上げると、子供の名前を呼ぶスローと荷物を運ぶボルンの姿があった。

 アシュが誘拐されたスマークス・サーカス団で、偶然席が隣同士になった家族との再開に、私は面食らう。

 それは彼らも同じだったようで、スローが驚いたように自分の手を口元に当てた。

「あら? セラさんではありませんか」

「先日はどうも」

「いえ、こちらこそその節はありがとうございました」

 知り合いと突然の遭遇に驚いたのか、私の涙も引っ込んでいる。

 ハンカチで残りの涙を拭って、私は口を開いた。

「確か、サーカスの公演を途中で抜けられておられましたわね? あの後、お仕事はいかがでしたか?」

「おかげさまで、どうにかなりましたわ」

「それは良かったです。この後、皆さんは列車で移動されるんですか?」

 私の言葉に、スローが頷く。

「ええ、そうなんです。また別の国に観光と、また頼まれていた仕事をしに」

「ねぇねぇ、お兄ぃちゃんのお母さん。お兄ぃちゃんは、どこにいるのぉ?」

「それは……」

 グラルの真っ直ぐな瞳に、私は言いよどむ。

 まさかあの後アシュが誘拐され、それがきっかけでユーリックブレヒトに離婚を切り出され、今丁度家を追い出されたばかりだ、とは言えないし、言った所でグラルがその内容を理解できるとは思えない。

 何も言えないでいる私を一瞥し、スローとボルンは互いに顔を見合わせた。

 そして、何かしらこちらに事情があると察したのだろう。

 ボルンが、グラルの手を取った。

「グラル。一緒にお父さんと列車を見に行こう」

「でも僕、お兄ぃちゃんと会いたいよぉ」

「どうやらアシュバルムのお兄さんは、ここには来ていないみたいだよ」

「そぉなのぉ?」

 グラルが不思議そうにこちらを見上げるが、全て夫妻が話題を変えるために話してくれたデタラメな内容だった。

 だが、アシュがここにいない、というのも嘘ではない。

 ここは大人しく、スローたちが差し伸べてくれた手を取ることにする。

「……ええ、そうなの」

「そぉなんだぁ」

「ほら、それじゃお父さんと一緒に列車を見に行こう」

「うんっ! わかったぁ!」

 グラルは元気よく頷いて、ボルンと仲良く手をつなぎ、列車の方に向かって歩いていく。

 自分もあのようにアシュと一緒に歩いてたのかもしれないが、もう彼の手を私が引くことはない。

 アシュの手を引くのはこれからは別の女性で、それがとても腹立たしくもあり、そして言いようもないほど悔しかった。

「もしよろしければ、お話しませんか」

 そう言ってスローが、私の隣に腰を下ろす。

「全部ではないにしろ、誰かに抱えているものを話すことで、少しは気持ちが楽になることもありますよ。話すという行為は、自分の心の中を言語化する行為です。モヤモヤと抱えているものを言語化することで、そのモヤを少しは晴らせるかもしれませんから」

「……ですが、せっかく家族でご旅行中なのにご迷惑じゃ――」

「迷惑だなんて、とんでもありません。サーカスで隣同士になったのも、何かの縁です。私はそういったものを大切にしたいと思っていますし、何よりセラさんたちはうちのグラルと仲良くしてくださいました。その御礼みたいなものだと思っておいてください」

「お礼だなんて。うちのアシュの方こそ――」

 そこまで言って、私は言葉を続けられなくなる。

 もう、彼はうちの子ではないし、自分の息子でもない。

 それで何かに気づいたのか、スローが口を開いた。

「やっぱりセラさんのご様子がおかしいのは、アシュくんが原因なんですか?」

「……原因だなんて。悪いのは、全部私なんです。私が、全て悪いんです」

 そして私はポツポツと、スローたちと別れた後の話をし始めた。

 もちろん誘拐された話や、誘拐犯との死闘にオスコたち使用人の策謀については話していない。

 アシュが迷子になってしまい、本来であれば夫のユーリックブレヒトに話すべき所を彼を信じれず、独断で自分でどうにかしようとした、という形で誤魔化した。

 もちろん、アシュが本当に私の子ではないということや、王族の血を引いていることなども、秘密にして。

 考えながら喋っていたので、不整合がある所も多々あっただろう。

 しかし、結果として私がユーリックブレヒトを裏切った、という話は事実だった。

 そして、その私の軽率な行動で離婚をされて、今ここにいるということも。

 私のとりとめのない話を聞いた後、スローはゆっくりとした口調で、私に問いかけてくる。

「セラさんは、どうなさりたいと思っているのですか?」

「……もちろん、残りたいに決まっていますわ。夫と一緒にアシュのそばにいて、彼を守りながら成長を見守りたい。でも、私は夫を裏切ってしまいました。アシュを、危ない目にあわせてしまいましたの。私は、あの子の母親失格です」

 言いながら、自分自身が不甲斐なさ過ぎて、私は服の裾を握りしめる。

 それを見ていたスローは、ただ静かに頷いた。

「確かに、セラさんのお気持ちはわかりました。ですが、アシュくんの母親としては、いかがでしょうか?」

 言われている意味がわからず、私は一瞬きょとんとしてしまう。

 しかしすぐに、口を開いた。

「ですから、あの子を危険に晒してしまった私は、母親失格だと――」

「それは、あくまでセラさん個人の観点ですよね? 母親というのは、子供がいるから母親なのですよ」

 そう言って、自分もまた一人の母親であるスローが、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

「たった一日、それもサーカスの鑑賞を一緒にしていた間だけでしたけど、私にはセラさんとアシュくんが非常に仲が良さそうに見えていました。そんなアシュくんは、あなたと離れ離れになる事を望むでしょうか?」

 望まない、と、言い切りたかった。

 しかし、それは出来ないのだ。

 何故なら――

「アシュは、夫の説得に応じましたわ。『お父様の言うこともわかるから』と。アシュは私ではなく、夫の方を選んだのです」

 そう口にして、自分の中の虚無感の正体に気がついた。

 ……私は、ユーリックブレヒトだけでなく、アシュにも捨てられておりましたのね。

 知り合いもいない国に嫁いできて、しかも相手はバツイチのコブ付き。その使用人は意地が悪く、私は敵意をばら撒くことでどうにか自分を奮い立たせようとしていた。

 そんな私に、最初にこの国に来て良かったと思わせてくれたのは、アシュだった。

 あの子がいたから頑張れたし、あの子の笑顔の為ならなんだって出来た。

 でもそれは、あの子が私に微笑んでくれたからだ。

 そうでないのなら、私は完全に心の支えを失ってしまう。

 そして今、実際に失っていた。

 だから私はこんなにも辛くて、悲しい思いをしているのだ。

 ……それに気づいた所で、どうしようもありませんけれど。

 そう思っている私をよそに、スローは小首を傾げている。

「それが、私には良くわからないのです。アシュくんはセラさんに対して親しげにしておりましたし、非常に懐いているようにも見えました」

「……ですから、そうであったとしても、結局アシュは夫の方を選んだということですわ。あの子は、夫の言い分を聞き入れたのです」

 そう言った私の言葉に、更にスローが首をひねる。

 そして、こういったのだ。

 

「アシュくんは、セラさんの旦那さんと、一体どんなお話をされたのですか?」

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