第42話

「理由を、うかがっても?」

 震える声で、どうにか私はそう返す。

 質問しているが、ユーリックブレヒトが何故先程の言葉を言うに至ったのか、その理由は想像出来ていた。

 彼は燃えるような赤い瞳で、私を冷淡に見つめている。

「決まっている。お前は、アシュバルムを危険に晒した。俺があの子をどれだけ大切に思っているのか知っていながら、な。それだけで、別れを切り出す理由には十分過ぎる」

 その通りだった。

 ユーリックブレヒトの気持ちを知っていながら、私はアシュの危機を彼に伝えず、独断でどうにかしようとしてしまった。

 彼の言い分はもっともで、同盟を結んだ相手と私の間にはとてつもない溝を自分が作ってしまった事も自覚している。

 だからどうにかその溝を埋められないかと、私は懸命に口を開いた。

「ですが、私とあなたとの結婚は、クロッペンフーデ大王国の王族が決めたことなのですわよね? 勝手に離婚を決めたら、ユーリックブレヒトの立場も悪くなるのではなくって?」

「……なるほど。俺の立場が悪くなれば、貴族社会で息子のアシュバルムを守る力が削がれると、それを心配しているのか」

「違いますわ!」

 いや、違わなかった。

 自分の言葉は、ユーリックブレヒトが忌み嫌っているこの国の貴族社会というしがらみを盾に、私たちの結婚関係を維持しようとするような発言にほかならない。

 溝を埋めようと紡いだ言葉は、しかし彼と私の距離をただ遠ざけるものでしかなかった。

 ユーリックブレヒトは私を一瞥して、冷淡に笑う。

「心配せずとも、その辺りの対応については検討済みだ。奇しくもその策は、今回セラが作ってくれたのだがな」

「私が、ですの?」

「そうだ。お前は今回、王族の血に連なるアシュバルムを危険に晒した。そんな女を、あいつらはいつまでもアシュバルムのそばに置いておきたいとは考えない。俺とお前の離婚は、簡単に受理されるはずだ」

「そ、んな……」

 そう言いながら、ユーリックブレヒトの言葉の通りになるだろうということを、私は理解していた。

 それこそ、血統を重視するアーングレフ公爵あたりも出張ってきて、私との離婚に賛成するだろう。

 しかし、私としてもここで引くわけにはいかなかった。

「で、でも、アシュバルムの事はどういたしますの? あなたが外(貴族社会)を担当し、私が内(アシュの傍)を守るという同盟は――」

「何を言っている。お前はもう、この家とは無関係になるのだ。当然その同盟も破棄されるし、そしてアシュバルムの安全については、部外者のお前にはもう何の関係もない話になる」

「そんな、横暴な! 私はあの子を大切な自分の息子だと――」

「その、大切な息子を危険に晒したのは、誰だ?」

 その言葉に、私は何も言えなくなる。

 それを見て、ユーリックブレヒトは溜息を吐いた。

 その溜息は冷めきっていて、この庭園の草花全てを枯れ果てさせてしまいそうな温度だった。

「昨晩も言ったが、アシュバルムに殺人犯を近づけたくないというお前の気持ちはわかる。だが、それであの子が危険な目にあうというのであれば、それはもはや本末転倒でしかない」

「……あなたを信じることが出来なかった事は、謝ります」

 ユーリックブレヒトの声で、身がすくむ。

 しかし、私もここで引き下がるわけにはいかない。

「ですが、だとしたらこれから先、あなた一人で守りきれるというのですか? 私と同盟を組む前に、言っていたではありませんか。王族の血筋ゆえ権謀術数に巻き込まれないように動き回っていた、と。それでアシュとの距離を取っていて、そのせいであなたは父親らしいことをしてやれなかったんだ、と。また、あの頃に戻るおつもりですの?」

「そうせざるを得ないだろう」

 ユーリックブレヒトの言葉が、胸に刺さる。

 その痛みに耐えかねて、私は口を開いた。

「ですが、私を追い出したとしても、きっと王族はまたどこかの国から新しい女を寄越すだけですわよ? それでまた、誰の息がかかっているのかわからない相手と結婚するんですの? イタチごっこですわよ」

 そう言いながら、私はその未来を想像してしまう。

 ユーリックブレヒトの隣にはアシュがいて、右手で彼の手を握っている。

 そして左手では、女性の手を握っていた。

 アシュはその相手に、嬉しそうに笑いかける。女性もアシュを見て、笑っていた。

 仲睦まじい、家族の光景。

 でもアシュが笑いかけたのは、ユーリックブレヒトの妻は、私ではない。

 それを意識した瞬間、私は吐き気を催した。

 ……何なんですの? この虫酸が走る光景は。

 その嘔気を堪えるように、ユーリックブレヒトを見上げる。

 彼は私を淡々と見つめていた。

「わかっているさ、そんな事は。きっと俺は、生涯女を疑いながら生きていくしかないのだろう。家の外だけでなく、内の妻を疑いながら生活していくしかない」

「そんな未来で、アシュが幸せになれると本気でお思いですの?」

「だが、不幸にはならない。危険に晒されるよりは、ずっといい。俺の生涯は、これからアシュバルムを守るためだけに捧げる」

 そう言って、ユーリックブレヒトは寂しそうに、笑った。

「君となら、そういう未来を終わらせると、そう思っていたんだがな」

 その笑みは、両親との約束を反故にされた子供が、仕方がないね、と言って全てを諦めるような笑みに似ている。

 彼は私のことを、アシュと同じく自分の家族として思ってくれていた。

 だから何の憂いもなく、これからのアシュの幸せのため、二人で協力して生きていけると、そう思っていてくれたのだ。

 二人で、一緒に生きて。

 ユーリックブレヒトの笑みに、自分の胸が締め付けられる。

 彼をどうにかしてあげたいという思いと、しかしその表情を作らせてしまったのは自分自身だという自責の念が、私の心の中で渦を巻く。

 そんな私を切り捨てるように、ユーリックブレヒトは口を開いた。

「アシュバルムを危険に晒したとはいえ、夫婦の縁を結んだ仲だ。セラが自分の国に戻っても不利にならないよう、取り計らってやろう」

「待って、ユーリックブレヒト! 私はまだ――」

「話は終わりだ。俺とお前が離婚することについては、俺の方からアシュバルムに伝えておく。君はもう、何もしなくていい。わかったな? セラ嬢(・)」

 出会った直後の名前で呼ばれ、私は硬直してその場を動けなくなる。

 だから私は身動きがとれないまま、ユーリックブレヒトがガーデンアーチをくぐり、こちらの視界から消えるのを黙って見ていることしか出来なかった。

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