第41話

 屋敷に戻った時には、もう日が明けようとしていた。空は雲ひとつなく、朝日が昇りきれば、きれいな晴天となるだろう。

 そんな晴れやかな日中が訪れるはずの朝空の下、私たちの屋敷は重々しい雰囲気に包まれていた。

 ユーリックブレヒトが指揮する憲兵たちが屋敷の中を闊歩し、使用人たちを駆り立てる。駆り立てるといっても、屋敷の前に並ぶよう求めているだけだ。

 しかし、思い当たるフシがある使用人たちは、それだけで炙り出される人も出てくる。

 表情に出た使用人たちを、憲兵は別の列へと並ばせた。観念した表情を浮かべるものもいるが、中には無実を訴える人たちも出てくる。

「どうして自分たちがこんな扱いを?」

「なにかの間違いです、ユーリックブレヒト公爵様!」

「私たちはあなたのために今まで懸命にはたらいてきたじゃありませんか!」

「そうです! こんな扱いあんまりです!」

 しかしそこに無事な私とアシュが現れると、絶望した表情を浮かべて膝をついた。

「そんな、まだあの売女が生きている……」

「あのジメンドレの血を引く鬼子がまだ生きているなんて!」

「せっかくユーリックブレヒト公爵様が正気に戻るチャンスだったのに!」

「なんのためにあんな男と手を組んだんだ!」

 あまりの身勝手なセリフの応酬に、私は耳が腐り落ちるのではないかと錯覚したほどだ。

 だが私以上に不快な思いをしているのは、アシュ以外にいないだろう。

 子は、自分の母親を選べない。彼の実の母親がどれだけ非道な人間であったとしても、非人道的な人物であったとしても、それは彼の責任ではないのだ。

 私はたまらず、叫んでいた。

「あなたたちの尊厳を貶めたのは、この子ではなく前妻のジメンドレではなくって? そしてそのジメンドレは、もうこの世におりませんのよ? それなのに、あなたたちはこれ以上アシュに何を求めようと言うのですか!」

「突然王族に充てがわれただけの女が、偉そうに!」

「お前にあの時の僕らの苦痛がわかってたまるか!」

「あの時つけられた心の傷は、まだ膿んだように痛むのよ! この痛みを消すには、もうこの世からジメンドレの存在を消すしかないの!」

「そのジメンドレをこの世から消し去ってくれたのは、我らが英雄ユーリックブレヒト公爵様だ! その栄誉を汚すような忌み子に魔女は、早く業火に焼かれて消え去るがいい!」

「……連れて行け」

 その英雄であるユーリックブレヒトの冷たい声で、憲兵たちがラルヴァ男爵と通じていたと思われる使用人たちを連行していく。

 断罪すべき咎人たちを次々に捕らえながらも、彼の表情は極寒の湖に出来る分厚い氷のように変わらない。

 と、以前の私なら思っていたはずだ。でも、今なら彼の表情の違いがわかる。

 表情が変わらないように見えるのは、その心で感じている痛みをこらえているからだ。その激痛に耐えるために、ユーリックブレヒトは表情が変わらないほど強く歯を噛み締めているのだ。

 ……その証拠に、顎から喉元にかけて、筋肉がこわばっておりますわね。

 同じだ。さっきと。

 アシュが誘拐されたと聞いた時。そして私が捨て身でアシュを逃がそうとしていると、知った時と。

 彼はきっと、ずっとこうして生きてきたのだ。アシュを守るため、痛みを見せないようにするために。付け入る隙を与えないようにするために。

 ……そんなこと、わかっていたはずでしたのに。

 そうでなければ、アシュが彼になつくはずがない。

 痛みに耐えるユーリックブレヒトの元に今すぐ駆けより、痛みに強ばる彼を抱きしめてあげたかった。そしてもう、一人で抱え込まなくてもいいと伝えたかった。

 だが、今はできない。逆上した使用人が既に何人か、暴力に訴えて憲兵たちに抵抗している。あの中に私とアシュが出向いても、足手まといにしかならない。

「ユーリックブレヒト公爵様。アシュバルム様誘拐の首謀者と思われる二人、オスコ・ハゼプシールとトデンダー・クラウドコールの姿が今だ確認できておりません!」

「報告ではオスコ・ハゼプシールはスマークス・サーカス団から、トデンダー・クラウドコールはユーリックブレヒト公爵様の公務先から姿を消した後、この屋敷に戻ってきたと報告を受けているのですが」

「探せ。誘拐に関わっていた使用人たちが、共謀していたラルヴァ男爵の元へは行かず、ほとんどこの屋敷に残っている。それは彼らを取りまとめている、あの二人がこの屋敷にいるからだ。必ずどこかにいる。隠し部屋を探すためなら、多少屋敷を壊そうとも構わない。徹底的に探すんだ」

「その必要はございませんわ、ユーリックブレヒト様」

 そう言ってオスコは、トデンダーとともに、まるで今も自分たちの居場所はここなのだと主張するかのごとく、平然とした表情で屋敷の中から姿を現した。

 そして自らの主の前で、うやうやしく頭を下げる。

「昨日ぶりでございます、ユーリックブレヒト様」

「お疲れのご様子。本日の予定はいくつかキャンセルし、その分お休みになられるのがよろしいでしょう」

「俺の疲労の原因を作った、お前たちがそれを言うのか?」

「心苦しさは確かにありましたが、これも全てユーリックブレヒト様のため」

「わたくしたちは、わたくしたちの主のために、真に必要だと思われる行動をしたまででございます」

「たとえ今はご理解なさることはなくとも、聡明なユーリックブレヒト様であれば、いつか必ずお気づきになられるでしょう」

「わたくしたちのこの行動こそ、真に正しかったのだと。あなた様があるべきなのは、どのような状態なのか。それに気づかれる日が訪れるのは、そう遠くない未来になるはずです。いえ、なります」

「……もう、いい。これ以上、お前たちの妄想に付き合う気はない」

「お言葉ではございますが、私たちの言葉は妄想ではございません、ユーリックブレヒト様。あなた様は――」

「連れて行け!」

 まるで血を吐き出すかのように、ユーリックブレヒトはそう言い捨てる。それはこらえきれなくなった痛みを、必死に誤魔化しているように痛々しい叫びだった。

 憲兵に連れられたオスコとトデンダーが、私たちの脇を通り過ぎる。

 その瞬間、オスコは私を見て。

 

 勝ち誇ったように、笑った。

 

「セラ。この後少しいいか?」

 その怖気が走る気色悪い笑みの意味を問う前に、ユーリックブレヒトから呼ばれた私は、アシュとともにそちらへ向かう。

 アシュの姿を見て、ユーリックブレヒトは少し口元の緊張を解いた。

「悪いな、アシュバルム。今から俺は、セラと大切な話があるんだ。悪いが、少しの間ソルヒと一緒にいてくれるか?」

「大事な、お話?」

 昨晩から続く騒動もあり、もうアシュの体力は限界そうだ。屋敷に戻ってくるまでの間馬車で眠っていたのだけれど、彼のまぶたはもう重力に抗えなくなっている。

 そんなアシュの手を、ソルヒが優しく握りしめた。彼女は私に許可を求めるよう、視線を向けてくる。

「そーゆーわけらしいんですが、ボッチャンを一時的に私に預けさせてもらえませんかね? 私としても、旦那様からのご命令なんで。おい、ショルミーズ! お前もこいっ!」

「えぇ! なんでさ!」

「私一人でボッチャン抱えたら、途中で落っことしちまうかもしれねぇだろうが! そうなったらお前のせいだぞっ!」

「横暴すぎだよ!」

 あれよあれよという間に、アシュは二人に自分の部屋へと連れて行かれる。

 その姿をユーリックブレヒトとともに見送りながら、私は彼の視線を真正面から受け止めた。

「ついてこい」

 それだけ言われて、私は何も言わず、ユーリックブレヒトの背中を追う。彼の歩みは庭園の方へと向かっており、そして予想通り、私たちはあのガーデンアーチの元へとたどり着いた。

 草花は朝日を浴びて暖かそうに輝いているのに、どういうわけか私の鼻孔は何かが朽ち果てる、終わりの香りを嗅ぎ取っていた。

 やがて茶会が開けそうなスペースまでたどり着くと、ユーリックブレヒトは私の方を振り向いて、宣言するように口を開く。

 そして、こう言った。

 

「俺と別れろ、セラ」

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