第40話

「そうだな。俺の不徳が招いた事態だ」

「……違います! 悪いのは今回の事件を仕組んだ、ラルヴァ男爵とオスコたちですわ!」

 心臓が、握りつぶされたと錯覚するような悪寒を感じた。少しでも口を開くのが遅ければ、もう全部取り返しのつかなくなってしまう、そんな状況な気がする。

 ぐちゃぐちゃな内心を塗りつぶすように、私は口を開いた。つまり、話題をそらそうとしたのだ。

「あなたを責めるような言い方は、私が悪かったですわ。そうです。こんなに私たちの話がこじれているのも、全部アシュを狙うあいつらが悪いのです。そういえば、オスコたちの処遇は――」

「今は、俺たち夫婦の話をしている」

 何故だろう? 言葉を遮られ、自分の思惑通り会話を上手く誘導できなかったのに。

 ユーリックブレヒトに夫婦と言われたことが、とてつもなく甘く、そして私の何かを痺れさせた。

 ……何? どうしたというのです? 私は?

「どうした? セラ。顔が赤いが。まさか、傷が痛むのか? 待っていろ。すぐにアシュバルムを診ているソルヒを――」

「だ、大丈夫ですわ! 傷は痛みますけれど、最悪骨が折れている程度でしょうし。でも動かせはできますから、そこまで悪くはないと思いま――」

「オスコか」

 私の心の底を覗き込むように、ユーリックブレヒトの赤い瞳がこちらを見つめる。

「お前が俺に連絡をしなかったのは、オスコが原因だな」

 断定的に言い切るユーリックブレヒトに、どういうわけだか私は内心冷や汗をかく。

「な、何を言っておりますの? そもそも私は――」

「お前のこの国での行動原理は、基本的にアシュバルムが軸になっている。あの子の幸せになるのか否かが、お前の判断軸であり、行動基準だ」

「それは、あなたもでしょ?」

「そうだ。から俺たちは同盟を結べたんだ。だがお前は、今日オスコと行動を共にした結果、その俺をアシュバルムから遠ざけようとした。そう考えると、結論は一つしかない」

 そう言ってユーリックブレヒトは、諦めたようにため息をつく。

「聞いたんだな? 俺がジメンドレを殺した、と。確かに俺も、殺人犯をあの子に近づけたくない気持ちはわかる」

「……でも、殺してはいないんですわよね? アシュを誘拐したあいつらに対しても、冷静に対応しておりましたし」

 

 バキッ、と、馬車の中で音がした。

 

「冷静? 俺が、か?」

 ユーリックブレヒトの拳から、彼が素手で握り潰した窓枠の破片がこぼれ落ちる。

「お前が同盟相手に選んだ相手は、家族があんな目にあわされているのを見て、何も感じない男だと?」

 その言葉に、私は自分の発言を恥じる。

「ごめんなさい。そうですわよね。アシュがあんな目にあわされて、私だって冷静ではいられませんで――」

「もう、いい」

 そう言い捨てて、ユーリックブレヒトは馬車から降りる。

「傷の手当をしておけ。アシュバルムが問題ないことが分かれば、すぐにソルヒをこちらに回す」

「あ、待ってください!」

「……いや、問題ないのなら、アシュバルムも一緒に連れてくるべきだな。お前には、その方がいいだろう。息子だけがいれば」

「ユーリックブレヒト!」

 私の言葉に振り返ることなく、ユーリックブレヒトは馬車を後にした。

 追いかけるべきだと、心のなかではわかっている。しかし、なんと声をかけたらいいのか、全くわからない。

 やがてユーリックブレヒトが言った通り、アシュとソルヒがこの馬車にやってきた。

「お母様!」

「アシュ!」

 そこまで長い時間離れていたわけではないけれど、一度は死別を覚悟したのだ。抱きしめる愛する息子の体温は、やはり何ものにも代え難い。

 たとえ自分の中で、とてつもない問題を抱えていたのだとしても。

「久々の再開を喜んでいるところ悪いんですが、私としちゃー奥様の傷を先に診させてもらいたいんですがねぇ」

「あ、そうだった! ごめんなさい、お母様っ!」

「いいのよ、アシュ。でも私、そこまで酷くないと思いますの」

「そーゆー素人診断はいいんで、ちょいと失礼しますよ」

 アシュが私の向かいの席に座り、ソルヒが私の隣、右側に座りなおす。

 彼女は私の腕を何箇所か触って私の反応を見た後、服の上から腕の外側と内側に添え木を入れた。そして包帯を巻いて、ホッとしたようにため息をつく。

「右上腕骨の骨折ですねー。思ったより酷くないみたいなんで、もとに戻るまでそこまで時間はかからないんじゃないかと思いますよー」

「……よかった、そこまで大変なことにならなくて」

 涙を浮かべるアシュを愛おしく思い、私は彼の頭を撫でる。

「もう、大げさですわよ? アシュ。蹴られた後も私、右手はちゃんと動かせたではありませんの」

「でも、あの後ひどいめにあったかもしれないでしょ? 本当に大丈夫なの? お母様」

「それは、確かにその可能性もありますけれど、私は本当に大丈夫ですわよ」

 いつになく心配そうな表情を浮かべるアシュに違和感を覚え、私は彼に問いかける。

「どうしましたの? アシュ。何か、私がひどい目にあうと、確信しているような言い方ですけれど」

「だって、ねぇ?」

「そうですねー」

 アシュとソルヒは互いに顔を見合わせて、二人で納得したようにうなずいている。

 この中で状況がわからないのは、どうやら私だけのようだ。

「ちょっと、私にもわかるように説明してくださらないかしら?」

「お父様がね、すごかったの」

「ユーリックブレヒトが? どういうことですの?」

「いえね? ボッチャンがさらわれたって聞いたときも、旦那様は凄い表情でしたけど」

「お母様の命が危ないって聞いて、倉庫の入り口を見た時のお父様、怖かったから……」

「怖、かった?」

「うん。あんなお父様、僕、始めてみた」

 その時のことを思い出したのか、アシュは両手で自分の肩を抱きながら震わせてた。

 ……アシュを守ろうとしていたユーリックブレヒトが、アシュを怖がらせるほど怒っていた?

 それがどういう意味を持つのかは、流石の私も理解している。彼は、私の身を案じてくれていたのだ。

 

 アシュと同じく、私を一人の家族として。

 

 ……ユーリックブレヒトっ!

 もう一度彼と話がしたくて、私は馬車の中から彼の姿を探す。

 しかしどれだけ探しても、誘拐犯たちを連行する憲兵たちの姿しか見えない。結局、彼の姿を見つけることはできなかった。

 やがて憲兵の一人が馬車にやってくる。今から馬車を、屋敷に向かわせるらしい。

 すでに屋敷に戻っているというユーリックブレヒトを追うように、私たちを乗せた馬車は出発した。

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