第35話

「あ、もしもしおやっさん? さっきはどーも。ところでおやっさんとこの患者さんに、二頭の黒い馬が茶色い荷台を引いている馬車を見た人がいないか、聞いてくんないかねー? 他の特徴? 一頭の馬には、頭に一本白い線入ってるみたいで、馬車の車輪は右前輪の方が塗装剥がれてるみてぇなんだけど。そうそう、診察後の患者さんがその馬車見つけたら、おやっさんとこにすぐに伝えるよう言っといてもらえないかなー。あ、お願いできる? それじゃーおやっさんのお弟子さんとこにも同じ話、とーしておいてくんない? OKOK、また飲もうねー。ほいじゃー何かわかったら、折返しお願いねー。あ、先せ、じゃなくて奥さんじゃーん! また私サボってそっち行く時お茶しよーねー。でさー、ちょっとお願いがあるんだけど、いいかなー? ちょっとある馬車を探しててー、今から特徴言うから、そっちの患者さん含めて見てないか聞いてくんないかなー?」

 眼の前のソルヒは受話器を握り、一体いつ息継ぎをしているのかわからない速度で喋り続けている。

 右手で持った電話が終わりそうなタイミングになると、彼女は顎で受話器を挟みながら左手を動かす。その指先は高速でダイヤルを回し、別の電話番号へ連絡をしていた。

 ……い、一体、私は何を見せられてますの?

 サボっていない証明をすると言ったソルヒはその後、私とショルミーズを引き連れて、文字通り通信局舎の扉を蹴り破った。

 そしてユーリックブレヒトの名前と、その夫人である私が火急の用で電話を使うと一方的に宣言。誰も何も言えない状態の中勝手に部屋の一室を乗っ取ると、あの調子で片っ端から電話をかけまくっているのだ。

 その宛先はというと――

 ……た、たしかに通信局舎はこの国の主要な業務を行う場所に、クロッペンフーデ大王国中の主要な病院にも建てられておりますけれど!

 この貴族社会で主要な病院というと、それはもう貴族たちが使う病院だ。そしてそこで務める医者は優秀な人材が集められており、当然そこには医療を学ぶために弟子たちが集まっている。そしてそんな弟子たちは、修行として貴族以外の患者、この国に住む一般市民たちを治療するために、全国へと散らばっていた。

 そして当然ながら散らばった弟子たちの元には、クロッペンフーデ大王国中の患者が集まってくるのだ。

 ……ソルヒは、今まで出入りしていた医師たちとのコネを使って、国中の患者からアシュを連れ去った馬車を見つけ出そうとしておりますのね!

 これは医者とその弟子の医者、そして患者を繋げた国を覆う巨大な監視網だ。

 馬車が走るということは道があり、そして道があるところには人がいる。そして生きていれば人は病にもかかるだろう。その病の重さも人それぞれで、重い病で病院を訪れる人もいれば、軽い風邪で訪れる人も、継続して同じ薬が欲しいだけの人や、それを口実に誰かと話したい人も病院へと訪れる。

 そんな中、自分のかかりつけの病院で聞くであろう医者が馬車を探しているという奇妙な話は、そうした人たちを通して他の人にもどんどん伝わっていくはずだ。

 それこそ、流行り病が国中に広がっていくように。

「た、只今、戻りましたぁ」

 部屋の扉を開けて、汗だくになったショルミーズが戻ってきた。彼にハンカチを差し出しながら、私は問いかける。

「あなたは、何をしておりましたの?」

「わ、私は、花の卸市場にいって、奥様がご覧になられた馬車を見たら伝えるよう、お願いしてきたんです」

「でも、それは今もソルヒが行っているのではなくって?」

「ソルヒがやっているのは、内の方ですよね? 私の方は、外の方ですよ」

 なんとか落ち着きを取り戻した彼に、私は更に首をひねる。

「内と、外、ですの? なんの内と外なのですか?」

「クロッペンフーデ大王国の、ですよ、奥様。ソルヒが電話で集めれるのは、あくまでこの国にいる患者まで。つまり、国内の監視しかできないんです」

 そう言われて、私はショルミーズに言われたセリフを思い出した。

「卸市場には、他の国まで買い付けに行く方もいらっしゃいますのよね?」

「ええ、そうです。これから国を出る業者や、逆に今から国に入ってくる業者もいるので、市場を経由して、そうした国外の出入りについて馬車の目撃情報を集めてもらっているんですよ。もし見つけたら、最寄りの病院まで連絡するように、って」

 そうなれば国内外についてアシュを連れ去った馬車の情報が、最終的にソルヒが作った監視網に乗ってこの場所まで届けられることになる。

 そう思っている私のそばで、ショルミーズが自信なさげに笑った。

「とはいえ、ラルヴァ男爵の差金なのであれば国外に出る可能性は少なそうですが、念のため」

「……あなたたち、まさか有事の際に備えて、こうした監視網を作るために定期的に屋敷の外へ?」

「いや、たまたまですよ。たまたま、自分の仕事で何か旦那様に恩返しができないか? って考えて動いていたら、今みたいな状況に偶然役立っている、ってだけでして。ソルヒに至ってはどちらかというと、仕事をサボってお茶したりお酒飲んだりする口実の方に比重が重く、え? 奥様に余計なこと言うなって? それはもう今更なんじゃないかな?」

 見れば電話をかけながら、ソルヒがハンドサインでショルミーズと会話を行っていた。当然、私にはソルヒが作る手の形の意味がわからない。

「……あなたたち、まさか有事の際に備えて、そうした練習も?」

「これは、アーングレフ公爵を始めお屋敷に私たちでは面と向かって何かしら言いづらい方がいらっしゃった時のための会話用に、ソルヒが作ったものですね。え? だから今更だってソルヒ。むしろ、それで今まで猫被ってたつもりだったのに驚くよ」

 どうやら我が家の使用人たちは、私が思う以上にたくましいらしい。

 そう思っていると、眼の前のショルミーズが苦笑いを浮かべている。

「ソルヒから、これで私たちのことを信じてくれるか聞いて欲しい、と言われておりますが」

「……これだけのことをしてくれている方を信じないなんて、私それほど恥知らずではありませんことよ」

 そう言うとソルヒがウインクをしながら、こちらにサムズアップをする。

「でも、ユーリックブレヒトのためというのなら、どうしてあなたたちはオスコと共謀していないのかしら? 確かオスコも、彼のためにアシュをユーリックブレヒトから引き離そうとしていると言っていたのですけれど」

「そいつはまぁ、考え方の違い、ってやつですかね」

 すべての連絡先に電話をし終えたのか、ソルヒが受話器を戻してこちらにやってくる。

「旦那様のお屋敷で働いてる使用人たちは、たいがい他の国から出稼ぎに来たか、売られて来た身のやつらがほとんどですからねぇ。それで前の奥様は、あんな感じだったわけですよ。相当大変でしたが、旦那様はそれとなく私たちのことを守ってくださってましたから。流石にそれに気づかないほど、私たちは愚鈍じゃねーです。ですから旦那様には、大なり小なり皆恩義を感じてますよ。そして、それを返したい、ともねぇ」

「それは、やっぱりユーリックブレヒトが前妻のジメンドレを殺したから?」

「オスコはそう言って、それを信じてるやつらも多いのは事実ですがねー。まぁ、旦那様は肯定も否定もしてないんで、信じてるやつらはそれを信じて命まで捧げよう、って感じになっちゃってますが」

「……そうした使用人の筆頭がオスコであり、トデンダーというわけですわね」

「旦那様を盲信すればするほど、あの方のそばで働きたい、という動機になりますから。それが仕事の姿勢にも現れてるんでしょう。とはいえ、かくいう私もその気持がわからなくはないのです。まぁ、だから私とソルヒ以外の使用人に今頼れないのが、非常に辛いのですけれどね」

 ショルミーズがそう言い終える前に、部屋の電話が鳴る。

 素早くソルヒが電話に出て、その内容を聞くと、険しい目をこちらに向けてきた。そして素早く、手を動かす。それを見たショルミーズが、早口で私に言葉を紡いだ。

「馬車の居場所が、判明したようです。町外れの川沿い、そこの倉庫前に止まっているみたいです。恐らくそこに――」

「アシュもおりますのね!」

「急ぎましょう!」

「でも、ソルヒはどうしますの?」

 また電話をかけ始めた彼女へ振り向くも、ショルミーズは首をふる。

「今まで連絡した方々へのお礼の連絡と、応援を呼んでくれるようです。先に私たちはそちらに向かいましょう」

「わかりましたわ!」

 そう言って私たちは、足早に通信局舎を後にした。

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