第32話

 ……は? ユーリックブレヒトが、前妻のジメンドレを、殺した?

「そんな、馬鹿なこと――」

「ほら、だから言ったのです。何も、何もご存知ないと。あの方を本当に理解しているのは、私たち。あの方が本当に抱えられているものを一緒に支えられるのは、あなたではなく私なのです!」

 勝ち誇るように、オスコが哄笑する。

 そのメイドの姿を見ながら、私は困惑していた。

 ……確かにユーリックブレヒトから、ジメンドレは生前、彼がハーバリスト公爵家に連れてこられる前から、使用人たちへ傍若無人な振る舞いをしていたと聞いておりましたけど。

 しかし、だからといって、殺害までするだろうか?

 だが同時に私はユーリックブレヒトから、ジメンドレと比較すればあのアーングレフ公爵の方がまだマシに見えるという旨の話も聞いていた。

 ……それにユーリックブレヒトは、自分の両目を抉ろうとすら考えていたのでしたわね。

 その話を聞いただけでも、ユーリックブレヒトのジメンドレに対する恨みというのは推し量れるというものだろう。

 いや、そもそも、そのジメンドレに対する恨みがあったからこそ、ユーリックブレヒトは最初アシュを殺そうとすら思っていたはずなのだ。

 そこに加えて、使用人たちへの悪逆無道な振る舞いを見れば、自分だけでなく彼らも救えるという動機があったから、ユーリックブレヒトはその手を血に染めることを決意したのだろうか?

「いいえ。やはり、信じられません。ユーリックブレヒトが、あの人が殺人を犯すなど」

「……何を言い出すかと思えば」

 オスコが呆れたように、口を開く。

「どれだけあなたが信じられなくとも、真実は決して変えることは出来ないのですよ? セラ様。ユーリックブレヒト様の事はあなたよりも長くお時間を共有してきた私たちの方が理解しているのです。ユーリックブレヒト様がご自分のお屋敷にジメンドレの痕跡を残していないことからもそれは伺い知れるではありませんか。やはり、あなたではないのですよ。あのお方の隣に立つべき存在は。そんな記憶からも消し去りたいジメンドレからの残酷無比な扱いを受けてきた、同じ痛みを共有してきた、私の方こそあのお方のそばに相応しい!」

 そう言ってオスコは、かけている分厚いメガネに手をかける。

「セラ様であっても、これぐらいはユーリックブレヒト様の事をご存知なのではありませんか? あの方がジメンドレに見初められた、その理由ぐらいは」

「……ええ、もちろん知っております。ユーリックブレヒトの瞳が原因なのですわよね? クグバディール火山伯国の出身者に多い、灼熱のような赤い瞳が美しいからだと」

「ええ。だからこそ私は、同じ私だけが真にあの方のお心を理解できるのです」

 そう言ってオスコは、手をかけていたメガネを外した。

 そこにあったのは。

 赤い瞳だ。

 オスコの瞳が赤い色をしているのは、私が嫁いできた日に知っていた。だがそれから今まで、私はオスコの瞳を、その分厚いメガネ越しでしか見たことがなかった。

 だから、気づかなかったのだ。

 オスコの赤い瞳が。

 

 灼熱の業火のように燃え盛る炎のような、ユーリックブレヒトと全く同じ赤色をしていたという事に。

 

「まさか、あなたもクグバディール火山伯国出身でしたの?」

「ええ、そのまさかでございますよ、セラ様。そして自分の主人と同じ瞳を持った私の事を、ジメンドレは暴力を振るう対象として定めたのです。使用人ごときが自分の男と同じ瞳を持っているのだなんて許さないと、そう言って、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も私を殴ったのですよ! この眼をめがけてねっ! 私は何も悪くないのに! ただ生まれ、ユーリックブレヒト様がいらっしゃる前から使用人として勤めていただけなのにっ!」

 その時の事を思い出したのか、オスコの瞳に今は亡きジメンドレに対しての極大の憎悪が宿る。

「そんなに執拗に殴られたら、当然視力は下がります。私がメガネをかけなくてはならなくなった原因は、ジメンドレからの壮絶な暴力を振るわれた結果なのですよ。そして、その翌日でした。私がメガネをかけなければならなくなった、その翌日に、ジメンドレは死んだのですよ!」

 オスコは体をくの字に折り曲げ、くくくっ、と引き笑いをした。

「わかりますか? セラ様。この意味が! あの方は、ユーリックブレヒト様は、私がメガネをかけなくてはならないほど暴力を振るわれていたのがきっかけで、あの女を、ジメンドレを毒殺したんです! 私がきっかけ! 同郷で同じ瞳の色をしたが故にあの地獄を味わった、私なんです! 私が、私なんですよ! 私のためにユーリックブレヒト様はジメンドレを殺す覚悟をしてくださったんです! そして、私を含めた使用人たちを救ったっ!」

 熱に浮かされたように笑うオスコの言葉に呼応するように、テントの外からひときわ大きな馬の嘶きが聞こえてくる。

 その音に、オスコはメガネを再度かけながらこう呟いた。

「どうやら、ラルヴァ男爵のお迎えがいらっしゃったようですね」

 その言葉に、私は弾かれたように走り出す。

 向かうのはサーカス団の演者の控室ではなく、このテントの出口に向かってだ。

 走る私の背中に、勝者の笑みを浮かべるオスコが言葉を投げかけてくる。

「無駄ですよ、セラ様。この場所から向かったとしても、間に合いっこありませんから。ああ、でも馬車のお見送りぐらいは出来るかもしれませんので、頑張ってくださいね」

 それに言い返す余裕すらなく、私はスカートを捲りあげ、全速力で走っていく。

 走りながらも、私は自分への不甲斐なさに苛立っていた。

 ……オスコに、してやられましたわっ!

 全部、時間稼ぎをするためだ。

 早くアシュの元へ向かわなくてはいけないとわかっていたのに、ユーリックブレヒトがジメンドレを殺したと聞き、そちらに意識が向いてしまった。

 それ以前の行動もそうだ。席に戻るように促された押し問答は露骨に時間を稼ぐためのものだし、そもそも私たちが座っていた席からだと控室が遠すぎる。

 ラルヴァ男爵とオスコが内通しており、このサーカスでアシュの受け渡しを計画していたということは、完全にこのサーカス団もグルだ。恐らく、男爵の息がかかったものたちなのだろう。

 それならこのテントの設営時に、私たちの座席を彼らの企みにとって都合のいい場所に設定することだって簡単に出来る。

 それ以前に、私が今日『最前列』の特等席のチケットを取ることは簡単に予測出来ていただろう。オスコはいつものように、私がアシュを溺愛しているのを見ていたのだから。

 そこまでわかっていて、オスコは今日のサーカスの話をしたのだ。アシュが自分の話に、興味を持つことまでわかったうえで。

 それが全てわかった上で、オスコは今日ユーリックブレヒトに同行しなかったのだ。逆に言うと、その業務調整が可能だった。

 ユーリックブレヒトの公務には常にトデンダーが付き従い、オスコがそばに控えている。だとすると、オスコがいなくても公務に支障が出ないようトデンダーがオスコがいない分のサポートすることになる。彼らが第一で考えるのはユーリックブレヒトのことなので、彼の評判が公務で下がらないように手は尽くすはず。

 そうすると、トデンダーもオスコと手を組んでいると考えていい。ユーリックブレヒトとアシュの血が繋がっていないという事は、ハーバリスト家の一部の者は知っているのだから。

 ……全部、全部最初から計算ずくでしたのね!

 そう思うものの、悔やむのは後だ。今はとにかく、アシュを見つけることが先決。

 ようやくテントの外に出て、私は叫んだ。

「アシュ! どこにいますの? アシュ? アシュ!」

 言いながら、私は辺りへ鋭く視線を向ける。馬が走れるような、馬車が通れるほど面積がある場所を探していく。

 その時、また馬の嘶きが聞こえてきた。

「アシュ! どこにいますの? アシュ! 聞こえていたら、返事をしてくださいっ!」

 すると。

 

「お母様っ!」

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