第31話
オスコの、この世全てを呪い尽くさんばかりの憎悪に、私は一瞬たじろいだ。
……ど、どうして? どうしてラルヴァ男爵の名前が?
アーングレフ公爵から、ラルヴァ男爵がアシュの実の父親を確保したという話は聞いていた。
でも、それがどうしてアシュを引き取る話に繋がるのだろう?
困惑しながらも、私はメイドの悪意を真正面に受けつつ、どうにか口を開く。
「……あなたがユーリックブレヒトの前妻であるジメンドレを憎んでいるのは、理解しましたし、そんな気もしておりました」
それは以前、アーングレフ公爵の訪問を受けた時にも気づいていたことだ。
しかし――
「でも、だからといって、それでアシュをラルヴァ男爵へ引き渡そうとすとは何事ですか! あの子はユーリックブレヒトの子供なんですのよっ!」
そう言った私に向かい、オスコは盛大に溜息を吐いてみせる。
「何を言っているのですか? セラ様。あのクソガキの本当の父親がユーリックブレヒト様ではないと、私が知らないとでもお思いなのですか?」
嘲るように笑うオスコに対して、私は舌打ちをした。
ユーリックブレヒトは、私がユーリックブレヒトとアシュの血が繋がっていない事を知っているのに気づいた時、こう言っていた。
『それは王族と、そしてハーバリスト家でも一部の者しか知らない秘密のはず』
……その知っている一部というのに、オスコも含まれていましたのね。
「だからといって、あなたの行動が許されるはずありませんわ! たとえ血が繋がっていなかったとしても、ユーリックブレヒトは確かにアシュを自分の息子として愛していますのに!」
「ユーリックブレヒト様がお会いになった時、まだあのクソガキは赤子でしたからね。慈悲をかけられた分、あの方といえども多少感覚のズレが生じてしまったのでしょう。だからあれがユーリックブレヒト様のそばから離れさえすれば、全て元通りとなるに決まっております。そう、全て最初から間違っていたのですよ。ユーリックブレヒト様と、あのクソガキとの関係は」
確かにユーリックブレヒトは最初、オスコの言うようにアシュの事を憎んでいた。それこそ彼は、その手でアシュを殺してしまいそうな激情に駆られていたのだ。
……でも、私は知っていますわ。
彼が、ユーリックブレヒトがアシュを抱き上げた時の感情を。自分と同じく、アシュも血筋のせいで人生を振り回されてた犠牲者なのだと気づいたことを。そしてそれ故、ユーリックブレヒトはアシュを守ると心の底から誓っていることを。
だからオスコが言っていることは、全て間違いだ。
違うと、そう言いたかった。叫びたかった。
でも――
……今そんな言い争っている場合ではありませんわ!
オスコは、『男爵に引き渡そうとしている』と言っていた。
『引き渡した』ではない。
……なら、まだ間に合うかもしれません!
アシュの元へ向かうため、走り出そうと私は一歩を踏み出した。
そんな私の背後から、オスコが抱きついてくる。
「何をするんですの! 放しなさいっ!」
「させません! ようやく、ようやくこれで戻ってくるのです! 本当のユーリックブレヒト様が、私たちの英雄がっ!」
「何を、分けのわからないことをっ!」
必死にアシュが連れて行かれた控室の方へ向かおうと、私はオスコを引き剥がす。
その拍子に重心を崩し、私は二、三歩後ろへ下がった。
その隙にオスコは、私の進行方向へ向かい、こちらに向かって両手を広げる。その表情は、死んでも通さないとでも言っているかのようだ。
私の前に立ちはだかるオスコの姿を見て、忸怩たる思いに駆られる。
見くびっていた。元々オスコがユーリックブレヒトに対して盲信しているのは知っていたけれど、まさかこれ程までだったなんて。
あれではまるで、狂信者のようだ。自分の信じるもの全てのために命すら投げ出す覚悟を持ち、殉教者となるのすら今のオスコは厭わないだろう。
焦燥感を得ながら、私はどうにか相手に隙を作らせれないかと口を開く。
「どうしてなのです? どうしてそれほどまでに、オスコはオスコの中のユーリックブレヒトを信じられるのですか?」
隙を作らせるための質問だったが、その疑問は本当に私が知りたい内容だった。
どれだけ人を崇拝し、信奉し、礼賛していたとしても、今のオスコの様な振る舞いが果たしてできるだろうか?
……いいえ、出来ませんわよね。そんな事。
だからきっと、何かあるのだ。私の知らない、ユーリックブレヒトの一面が。
そんな私の考えを証明するかのように、オスコは余裕すら感じられるように、こちらを嘲笑した。
「所詮、連れ子をダシにしなければ何も出来なかった後妻ですか。やはりセラ様は、何もご存知ないのですね。ユーリックブレヒト様のことを。本当の、ユーリックブレヒト様のことを」
「……使用人にとっての英雄と、そう言っておりましたわね? それならば、言ってごらんなさい。ユーリックブレヒトのパートナーである私に、私の夫がどういう存在なのかを!」
私の言葉を、私の夫と聞いたオスコは、口を忌々しげに歪める。だがそれも一瞬。その分厚いメガネの位置を直して、口元に笑みを戻した。
「それでは教えて差し上げましょう。あの方が使用人たちにとって、英雄たる所以を。そして何より、私にとってどれだけ偉大なお方なのかということを」
私たちがいる通路に、観客たちの歓声が響いた。恐らく、新しい演目にでも移ったのだろう。
だが私は瞬きするより短い時間であっても、眼の前のオスコから目を離さず、彼女の言葉を受けて立つと決めていた。
……どんな事を言われても、私は動じませんわ!
やがてメイドはメガネを光らせながら、こちらに向かって口を開く。
「殺したのですよ、ユーリックブレヒト様は」
…………え?
「……殺し、た?」
どんな言葉であっても受けて立つと、そういう心づもりだった。
でも、それは想定外だ。
ユーリックブレヒトが、人を殺した?
「何を、誰を、ですの?」
「決まっているではありませんか、セラ様」
そう言ってまた、オスコは口角を更に釣り上げる。
「ユーリックブレヒト様は、使用人たちを虐げ、虐げ続けていた、あの忌まわしいジメンドレを毒殺してくださったのです。私たちを、私をお救いになるためにね!」
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