第29話

 座長の言葉を聞いたアシュが、一瞬ぽかんとした表情を浮かべる。

 そして、たどたどしく口を開いた。

「僕が、ですか?」

「はぁい、その通りですお坊ちゃん」

 座長はそう言って、大げさに頷く。

「次のナイフ投げの演目ですが、ちょうどお坊ちゃんぐらいの身長の男の子のお客様を探しておりまして」

 その言葉に、アシュとグラルが互いに顔を見合わせる。確かに身長は、グラルよりアシュの方が高い。

「いかがでしょうか? 一生の思い出にもなりますし、是非とも――」

「あの、よろしいかしら」

 かなり前のめりで勧誘を続ける座長の言葉を、私は遮る。座長はここで初めて、私の方へと振り向いた。

「おお! お坊ちゃんのお母様でいらっしゃいますか? ご機嫌麗しゅう。是非ともこちらの利発そうなお坊ちゃんに、スマークス・サーカス団の演目のご協力を賜りたいと思うのですが」

「その協力する演目ですけれど、次の演目は、確かナイフ投げですわよね?」

 そう言って私は、僅かに眉をひそめる。ナイフ投げへの協力と言っても、色々あるはずだ。

 ……もし危ない内容でしたら、私が止めないといけませんわ。

 そう思っている私に向かい、座長は笑みを浮かべながら頷いた。

「はぁい、お母様。おっしゃる通りです」

「うちの子は、一体どういう協力をすることになるのです?」

「はぁい。スマークス・サーカス団のナイフ投げは、目隠しによる百発百中の投擲が売りでございまして。そのためにはやはり、的を置く高さが大事なのでございます。的となるのは、先程の演目でも使っていたリンゴになりますが」

「……それで?」

「はぁい、お母様。その的を置く高さが、ちょうどお坊ちゃんの身長とぴったりあっているのです」

「まさかうちのアシュを、的置きとして使うつもりですのっ!」

 アシュの頭の上にリンゴが置かれ、それに向かい目隠しをした演者がナイフを投擲する場面を想像してしまい、私の全身に怖気が走る。

 私は座長に向かい、全力で首を振りながら口を開いた。

「ダメダメ、ダメですわ! そんなの、危なすぎますわよっ!」

「はぁい、奥様。わかっておりますとも。皆様、そうおっしゃるんですから。ですが先程申し上げた通り、当サーカス団の演者は百発百中でして――」

「だとしても、もしものことがあります。危険すぎますわっ!」

「いいではありませんか」

 そう言って座長へ助け舟を出したのは、今まで一言も口を開かなかったメイドのオスコだった。

 彼女がここで口を挟んでくるとは思っていなかった私は、一瞬鼻白む。

 そんな私に向かって、オスコはメガネを光らせながら口を開いた。

「彼らも日々訓練をしているのでしょう。セラ公爵夫人様が考えられているような事態にはならないかと思いますが」

「百発百中と言っても、それは今までの実績でしょう? これからはわかりませわ」

「そんな事を言っていては、全てのことが何も出来なくなってしまいます。それに私といたしましては、演目に参加する可能性のあるアシュバルム様のご意見を、まだ拝聴出来ていないのが気になっているのですが」

 そう言われ、ハッとして私は隣のアシュへと目を向ける。

 愛する息子はというと、何も言わずに、ただただ私の方を見上げていた。

 美しい菫色の瞳いっぱいに、私の顔が映っている。

 その潤んだ瞳で私を見つめながら、アシュがポツリとこう呟いた。

 

「……お母様」

 

 ……ちょっとこれ、反則じゃありませんのっ!

 決して多くは語らず、しかし何を求めているのかは如実に息子の両目が語っている。

 全く、目は口よりも物を言うとはよく言ったものだ。そんな風に甘えられては、彼の望みを全て叶えてあげたくなる。

 ……私の息子は、将来相当の女泣かせになるんじゃありませんの?

 現実逃避気味にそんな事を考えてみるが、先程の一言以外何も言わず、ただただじっ、とこちらを見上げるアシュの視線に、もう私は耐えきれそうにない。

 ……万が一。万が一があったら危ない、と、そう、わかっておりますのにっ!

「確認しますけど、どれだけ危ないのか、アシュは理解しておりますの?」

「はい、理解しています!」

「もしですわよ? あなたにもしものことがあれば、私は悔やんでも悔やみきれませんわ」

「大丈夫です、お母様! 危なければ、僕がナイフを避けますからっ!」

「っ! 座長さん。本当に、本当に大丈夫なんですわよね?」

「はぁい、もちろんでございますお母様。当サーカス団の演者が投げるナイフが、お坊ちゃんを傷つけることなんてありえません」

「……………………………………わかりましたわ」

 そう呟いた私の方へ、アシュが身を乗り出した。

「え? いいの? いいの! お母様っ!」

「……ええ、いいですわよ、アシュ。いいですか? 本当に危なくなったら――」

「やったぁっ!」

「やったねぇ、お兄ぃちゃんっ!」

 私の言葉なんてもはやその耳に届いていないのか、アシュはグラルと共にハイタッチ。席の上で飛び跳ねるようにはしゃいでいる。

 ……もう、この子ったら。仕方がありませんこと。

 そう思いながら、私は座長の方へ鋭い視線を向ける。

「わかっておりますわね? もし私のアシュの身に僅かでもナイフがかすりでもしたら、公爵家の全権力を使ってこのサーカス団を絶滅させますわっ!」

「ユーリックブレヒト様の悪評に繋がりかねない行動はお控えください、セラ公爵夫人様」

 オスコにそう言われるが、私が一にも二にも大切なのはアシュだし、その気持はユーリックブレヒトだって同じはずだ。

 ……でもそういう意味だと、この場でサーカスの演目に参加を許した私のほうがユーリックブレヒトに怒られそうですけど。

 同盟を結んだ相手の事を考えている間に、座長が他の団員を呼んでいた。

 それを横目に、オスコが口を開く。

「では、アシュバルム様はこちらに」

「……やっぱり私も一緒についていこうかしら」

「ご自重ください、セラ公爵夫人様。さ、アシュバルム様。控室の方へ」

 オスコにそう言われて、アシュは少し緊張した様子で席を立った。

 やがて通路から姿を現した団員の導きで、アシュはテントの奥の方へと連れられていった。行き先はオスコが言ったように、演者たちの控室へ向かったのだろう。

 ポッカリと空いた隣の席に一抹の寂しさを感じていると、スローが時計を取り出して少し困った様な表情を浮かべた。

「あらあら、もう出発しないといけない時間ね」

 その言葉に、私はボルンが演目の途中で抜けるという話をしていたことを思い出した。

 そんなスローの言葉に一番不満げな表情を浮かべたのは、彼女の息子のグラルだ。

「えぇー! 僕、お兄ぃちゃんが出るまで観てたいよぉ」

「でも、次の訪問先の時間もあるから」

「やだよぉ、お兄ぃちゃん観たいぃっ!」

「……あまりわがままを言うもんじゃないぞ、グラル。お母さんのお仕事もあるんだから」

 ボルンの言葉に、私は首を傾げた。

「あら? 純粋に観光にこの国へいらしたんじゃなくって?」

「そうなんですけど、ちょうどタイミング的にもいいからとお仕事も頼まれてしまったんです。その予定が、次に入っておりまして」

 スローがそう言ってグラルの頭を撫でる。だが撫でられた方はというと、その不満さを表すように頬を大きく膨らませるだけだった。

 苦笑いを浮かべながら、彼の母親は息子に語りかける。

「ごめんなさいね、グラル。私がダメな母親だから」

「……お母さんはぁ、ダメ、なんかじゃ、ないよぉ」

「ありがとう、グラル。本当に、あなたは私にもったいないぐらいのいい子ね」

「……もったいなく、ないよぉ。僕も、お母さんがお母さんでぇ、よかったよぉ」

「ありがとうね、グラル。なら、わかってくれるわよね?」

 僅かばかり間があったものの、やがてグラルはしっかりと頷いた。彼は母親の手を取って、席を立つ。

 スローが申し訳無さそうに、私の方へ振り向いた。

「それではセラさん。私たちはこちらで失礼します。うちのグラルと仲良くしてくださって、本当にありがとうございました」

「いえ、こちらこそありがとうございました。同年代の子とあんなに楽しそうにしていたアシュを見るのは、初めてです」

「そう言って頂けると、本当にこちらも嬉しいです。それでは縁があれば、またどこかで」

 そう言ってスロー親子は、席を後にした。それを見送っていると、やがてまたテントの中が暗くなる。

 舞台の中央がまた照らされ、座長が観客たちに向かって語りかけた。

「皆様、お待たせいたしました! ナイフ投げの準備が出来ました。果たして今日の演者は見事的を射抜くことが出来るのか? とくとご覧あれっ!」

 万雷の拍手が起こり、演目が進んでいく。

 最初はウォーミングアップなのか、目隠しなしの投擲だ。

 机の上に並べられているリンゴにナイフが刺さり、歓声が上がる。

 次は移動する的への投擲だ。ピエロたちが投げるリンゴへナイフが刺さり、大きな拍手が鳴った。

 そしてついに、演者の目元が布で覆われる。その状態で、また机に並ぶリンゴに向かってナイフが投げられた。

 命中する度、観客たちの熱量が上がっていく。だが私の方はというと、アシュのことが気になって気になって、それどころではなかった。

 的を置く物体が、机からレオタードを着た女性に変わったのだ。

 ……これは、もうすぐアシュの出番ですわっ!

 最初の一投目が、見事女性の頭上にあるリンゴを射抜く。喝采が起こる中、更にリンゴを頭上に乗せた女性たちがやってきた。

 だがしかし。

 いつまで待っても。

 アシュの出番は、やってこなかった。

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