第28話

 スローたちと一緒に喋っていると、突然サーカス団のテントの中が急に真っ暗になった。

 話に夢中になっていたので気づかなかったが、もうサーカスの開演時間となったようだ。

 近くからはチラホラと、開演を楽しみにした人たちの歓声が上がる。私の隣に座るアシュも、心なしか頬を紅潮させていた。

 愛する息子が見つめるその舞台の中央に、スポットライトが照らされる。

 暗闇の中から現れたのは、タキシード姿のふくよかな男性だった。恐らく、このサーカスの座長だろう。

「皆様、お待たせいたしました。また、お忙しいところ足を運んで頂き、大変ありがとうございます。ただいまより、スマークス・サーカス団の開催となります!」

 その掛け声に合わせるようにファンファーレが鳴り、舞台が一気に明るくなる。青やピンクと派手な衣装に身を包んだ芸人たちにレオタードを着た女性たちが、舞台上に登場した。

 テントの中が割れんばかりの拍手で溢れかえり、芸人たちがオープニングダンスを始めた。

 耳が痛くなるほどの音と周りの熱気で、高揚感が一気に引き上げられる。

 夢中で手を叩くアシュに向かって、私は口を開いた。

「あまり興奮しすぎて、暴れてはダメですわよ? アシュ」

「え? なんて言ったの? お母様」

 周りの喧騒のせいで一度ではアシュが聞き取れず、私は息子の耳元で叫んだ。

「だから、暴れてはダメですわよっ!」

「わかったよ、お母様っ!」

 顔にワクワクと書かれているアシュを見て、私は思わずクスリと笑ってしまう。

 ふと視線を上げると、私と同じ様に息子に注意をしていたのか、グラルの耳元から顔を上げるスローと目があった。

 ……どうやらどの国の母親でも、考えることは同じみたいですわね。

 そう思い、互いに笑い合っている間に、演目は次の項目へと移っている。

 ピンを持ったピエロがやってきて、ジャグリングが始まった。

 赤い帽子を被ったそのピエロが、三つのピンを両手で交互に宙に投げては受け取っている。

 その間に、別の青い帽子のピエロがボールに乗って登場した。

 青い帽子のピエロは自分が乗るボールを足で操りながら、お手玉をするように三つの輪っかを宙に回している。

 そこに、黄色い帽子を被った小柄のピエロが走り込んできた。その手には赤い帽子のピエロが回しているピンより一回り大きいものが三つと、青い帽子のピエロが持つ輪よりも一回り小さい輪っかを三つ手にしている。

「黄色い帽子のピエロ、何するのかなぁ? お兄ぃちゃん」

「きっと、赤い帽子と青い帽子のピエロにピンと輪っかを渡すんだよ」

 期待に瞳を輝かせながら身を乗り出すグラルとアシュの姿に、私の心が温かくなる。息子のこんな姿を見れただけでも、このサーカスに彼を連れてきた甲斐があったというものだ。

 ……オスコには、後で改めてお礼を言っておかないといけませんわね。

 微笑みながら、私も視線を舞台の方へと戻す。

 するとアシュの予想通り、黄色い帽子のピエロが赤い帽子のピエロの方へ、手にしているピンを一つずつ放り投げていく。

 赤い帽子は危うげなくそのピンを受け取り、操るピンが三つから四つへと増えて、拍手と喝采が起こった。

 その喝采は、黄色い帽子のピエロがピンを赤い帽子のピエロへ更に一つ、二つと渡される度、大きなものとなっていく。

 全てのピンを受け取った赤い帽子のピエロは舞台の中央へ移動しながら、ジャグリングを継続。一方黄色い帽子のピエロはドヤ顔をしながら、客席に向かって一礼した。

 それを見ていた息子たちが、手を叩きながら話し合う。

「ピンの大きさが違うのにぃ、凄いねぇ! お兄ぃちゃんっ!」

「そうだね! しかも見てよ。赤い帽子のピエロが回しているピンのサイズ、最初に持っていたピンと黄色い帽子のピエロが受け取った大きいピンで交互になってるよ、グラル!」

「本当だぁ! よく気づいたね、お兄ぃちゃんっ!」

 きゃっきゃきゃっきゃ言い合う息子たちにほんわかしながら、しかし私は僅かな懸念と共に舞台の方へと視線を向ける。その先にいたのはボールを転がしながら移動している青い帽子のピエロと、その近くにいる黄色い帽子のピエロだった。

 ……ちょっとあの二人、近づきすぎじゃありませんの?

 舞台中央へ移動した赤い帽子のピエロは、他のピエロと距離を取っている。

 だがそのためか、残り二人のピエロたちの距離がかなり近づいていたのだ。

 しかも、黄色い帽子のピエロの身長は低め。ボールの上で輪っかをお手玉している青い帽子のピエロからは、その足元のピエロの姿は随分と見えづらいはずだ。

 ……なんだか、嫌な予感がしますわね。

 そう思った直後、その嫌な考えが現実のものとなる。ドヤ顔をしていた黄色い帽子を被るピエロと青い帽子のピエロが乗るボールが、ぶつかったのだ。

 青い帽子のピエロとボールの総量は黄色い帽子のピエロより重いため、当然ぶつかった黄色い帽子のピエロの方が吹き飛ばされる。しかもそのピエロが向かったのは、よりにもよって舞台の中央。赤い帽子のピエロがジャグリングを続ける場所だ。

 一方ボールの上に乗っていた青い帽子のピエロの方も、馬から振り落とされるように落下。そのピエロの持っていた三つの輪っかも、宙に高らかに放り投げられた。乗っていたボールはというと明後日の方向へ飛んでいき、他の演者が回収している。

 テントの中は歓声の代わりに、悲鳴で満たされた。

 グラルは絶句して口元を両手で押さえ、アシュは顔を蒼白にさせながら両手で頭を抱える。

 この場にいる誰もが不慮の事故が発生したと、そう思っていた。

 幸いと言うべきか、青い帽子のピエロは無事に着地できたようだ。そのピエロの頭上に、先程手放した三つの輪っかが存在している。

 そちらは、まだいい。問題は、もう一方だ。

 前転するように赤い帽子のピエロの方へ転がる黄色い帽子のピエロの姿を見て、さらなる悲劇の予感を感じた観客から絶叫に近いうめき声が上がる。

 だが、そうはならなかった。

 赤い帽子のピエロは自分の方へ転がってくるピエロの方を向くと、黄色い帽子のピエロを蹴り上げる。

 すると、二人のピエロの足裏と足裏がピッタリとあい、黄色い帽子を被る体の小さいピエロは小さめの三つの輪を手にしたまま、宙へと放物線を描いて跳んだ。

 その方角には、青い帽子を被るピエロが立っている。そのピエロは、待ってましたとでも言うように、その場で身をかがめた。

 青い帽子のピエロの肩に、黄色い帽子のピエロの足が引っかかり、慣性で少し上体が揺れたものの、なんと肩車が完成。それに合わせて黄色い帽子を被ったピエロは、手にしていた輪を真上へと放り投げる。

 それに合わせるように落ちてきたのは、先程青い帽子のピエロが手放した三つの輪っかだ。

 それを黄色い帽子のピエロが、予めわかっていたとでも言うようにその手で受け止め、間髪入れずにお手玉を開始。した直後に、そのピエロが放り投げた小さめの三つの輪っかも落ちてくる。

 大小あるその六つの輪っかを、さも当然とでもいうかのように、黄色い帽子を被ったピエロは赤い帽子のピエロと同じ様に宙で回し始めた。

 ……まさか、ボールにぶつかった事故に見せかけたのは、わざとでしたの!

 今まで見せられていた内容が全て演技だと全ての観客が気づき、悲鳴が一瞬にして大歓声へと変わった。

「凄いぃ! 凄い凄い凄い凄いよぉ、お兄ぃちゃんっ!」

「うん、凄い! 凄すぎる! 凄いよ! 凄い凄い凄い凄いっ!」

 手を真っ赤にするほど強く、グラルとアシュは手を叩き続ける。私も息子たちと同じ様に、最高のパフォーマンスを見せてくれたピエロたちに拍手を送った。

 その後の演目も、非常に興奮しながら観ることが出来た。

 空中ブランコは下に網が張ってあると気づいていたのに落下しそうな演技にハラハラさせられたし、ライオンが猛獣使いが鳴らす鞭の音で火の輪をくぐる芸には、普段観ることが出来ない独自の世界観だと感じた。

 必然的に私もアシュたちと同様、サーカスの世界に引き込まれていく。

 そして今行われているのは、象による曲芸だ。猛獣使いがリンゴを二つ放り投げると、象はその鼻を使ってそれらを起用に受け止める。先程投げたリンゴの数は一つのだったので、次投げるリンゴは三つになるだろう。

 そしてその予想通り、三つのリンゴが猛獣使いのそばに用意されていた。だが、猛獣使いの隣には別の影が立っている。

 それは、観客の中から選ばれた、ゲストの子供だった。

 アシュと年が同じぐらいの男の子が緊張と興奮で顔を震わせながら、猛獣使いから何かを話しかけられている。

 それを見て、グラルがアシュの方へ口を開いた。

「あれはぁ、きっとリンゴを投げるタイミングの打ち合わせだよねぇ? お兄ぃちゃん」

「うん、たぶんね」

 そう言ったアシュの目は、今丁度象の方へリンゴを投げた少年の方へと向けられている。

「……いいなぁ」

 羨望の眼差しと共に、アシュから溜息のような言葉が零れ落ちる。

 アシュはそこまでわがままを言うタイプではないので、そう言われては何が何でもサーカスの演目のゲストに息子をねじ込めないかと、私は考えてしまう。

 ……ですが、流石にこればっかりは運ですもの。私でも難しいですわ。

 そう考えている間に、象の曲芸も終わりを告げた。

 すると舞台が明るくなり、その中央にまた座長がやってくる。

「さて、続いての演目はナイフ投げとなります! 準備のため舞台を片付けますので、今暫くお待ちくださいませ」

 その言葉に、休憩時間が来たのだと悟った観客たちが今眼前で繰り広げられていた幻想的な世界から現実へと戻ってきた。

 今までの演目についての感想を語り合う姿も見えるし、席を立つ人の姿が見える。外の空気を吸うためテントの外へ向かったり、お手洗いへ行っているのだろう。

 ……私も、少し外の空気を吸ってこようかしら。

 そう思っていると、どういうわけか舞台に立っていた座長が、最前列の私たちの席へとやってきた。

 そしてこちらに一礼すると、座長は私たちに向かって一礼し、口を開く。

 

「申し訳ありません、お客様。次の演目にご協力頂ける方を探しておりまして。是非そちらの、菫色の瞳のお坊ちゃんにご足労頂きたいと思っているのですが、いかがですかな?」

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