第26話
ユーリックブレヒトと同盟を結んでから、一週間が経った。
同盟を結んだとしても、ユーリックブレヒトの私とアシュへの態度は相変わらず。
冷淡で冷血で冷徹な気配を振りまいてはいるものの、それでも彼とは目が合う回数が増えてきた。
……なんとなくですけど、少しだけユーリックブレヒトの事がわかってきましたわ。
ユーリックブレヒトは、興味があるものに対しては、他よりもほんの少しだけ目線を向けている時間が長い。
注意深く見ていると、明らかにアシュの方を見ている時間が長かった。
……以外に、わかりやすい方でしたのね。ユーリックブレヒトって。
そう思うものの、私はもう一つの変化した事象について、首を捻っていた。
……使用人たちからの嫌がらせ、減ってますわよね?
減っているというより、なくなっている、と言ったほうがいいかもしれない。
夫への変化への気づきと、アシュと遊ぶことに意識を割いていたため、そのことに気づくのが遅れていた。
もはや聞き慣れた陰口すら、最近では全く耳にしていない。
……ユーリックブレヒトが、何かしら口利きしてくださったのかしら?
そうは思うものの、公務で忙しいユーリックブレヒトと会話をする機会は少なく、そもそも実害がなくなったため、私としてもあまりこのことについて気にしなくなっていた。
そんな、ある日。
「いってらっしゃい、お父様!」
「忘れるなよ、アシュバルム。自分の役目を」
相変わらず、決定的に言葉が足りない助言を放ち、ユーリックブレヒトはトデンダーを連れて公務に出かけていく。
いつもなら少し寂しそうにその後姿を見送るアシュだが、今愛しい息子の顔は、満面の笑みで彩られていた。
「ねぇねぇ、お母様! 城下町には、いついくの?」
「お昼を食べてからよ、アシュ」
そう。今日は午後から、私とアシュは他の使用人たちも連れて、城下町に遊びに行く予定なのだ。
そしてアシュが上機嫌な理由は、それだけではない。
「ねぇ、オスコ? 今日は本当に、サーカスみられるの?」
「はい。サーカス団は今週の頭から週末にかけて、城下町に滞在しているようです」
「やったー!」
はしゃぎにはしゃぐアシュの姿に、思わず私の頬が緩んでいく。
普段はユーリックブレヒトにベッタリのオスコだが、今日はアシュが出かけるということで、彼女も一緒に城下町についてくることとなっていた。
……そもそも、アシュが興味を持ったサーカスの話は、彼女から聞いた話ですし。
私は、メガネをかけたメイドに近づいていく。
「どういう風の吹き回しなのかしら? オスコ」
「何がでしょう? セラ公爵夫人様」
正式に私がユーリックブレヒトと結婚式を挙げたからか、私の呼び方も初対面のときのように、公爵夫人呼びになっている。
敵意は直接向けられないものの、静かな冷たさをこちらに感じさせるようになったオスコに対して、私は更に口を開いた。
「だってオスコは、いつもユーリックブレヒトと一緒にいるでしょ?」
「今日は、そのユーリックブレヒト様のご子息であるアシュバルム様がお出かけになる日です。アシュバルム様に何かあってはいけないと、私の方からユーリックブレヒト様へこちらにご同行させて頂けるようご相談させて頂き、許可を頂いております」
「あなたが、自分からユーリックブレヒトに?」
オスコの言葉に、私は首をひねる。今まで感じていた彼女の印象から、そうした言葉が出てくるとは思わなかったからだ。
私は以前から、オスコを始め、使用人たちからアシュをないがしろにしているような、そんな雰囲気を感じていた。
実際、服のサイズも靴の大きさも間違われていたし、使用人たちは何より、ユーリックブレヒトの事を最重要視し、彼のために全身全霊を捧げているように感じていた。
それなのに――
……どうして突然、アシュの事を気にするようになったのかしら?
そう疑問に思う私の心中を読み取ったわけではないのだろうけれど、オスコがおずおずとこちらに向かって頭を下げる。
「長年ユーリックブレヒト様にお仕えしているからこそ、わかります。公爵様は、セラ公爵夫人様を本当のパートナーとしてお選びになったのだ、と」
「ほ、本当の、パートナー?」
「はい。雰囲気が、違いますから」
……確かに、アシュを守るために同盟を結んだけど、そんな大層な関係になったわけじゃないわよ!
私が戸惑っている間に、オスコが顔を上げる。
メガネが光ってその瞳の色をうかがい知る事はできないが、彼女の視線は私の方へとまっすぐに向けられていることだろう。
「ユーリックブレヒト様がお認めになられた方が、大切にされているお方です。私どもとしましても、今後はそのように振る舞わせて頂く所存です」
「……それなら、私が来る前から、いいえ、そもそもユーリックブレヒト一人だけの時から、そうしてもらいたかったわ」
「返す言葉もございません」
こちらの嫌味にも、本当に一言も反論をしてこないオスコに対して、私は肩透かしを食ったような気持ちになる。
……でも、いいですわ。アシュが大切にされているのであれば、私としては言うことはありませんもの。
そして昼食を取り終えた後、私たちは馬車で城下町へと向かっていく。
馬車の中で、我慢できずに窓の外を何度も何度も繰り返し見るアシュへちゃんと席に座るように再三注意している間に、私たちは目的地のサーカス団のテントまでやって来ていた。
馬車の扉から我先にと、アシュが飛び出す。そして、瞳を輝かせて顔を上へと向けた。
そこには赤、黄色とカラフルに彩られた、巨大なテントが立ち並んでいる。その脇には、忙しなく行き交う従業員の姿があった。
飼育係と思われる彼らは、巨大な檻を必死になって押している。中にいるのは、猛獣だ。
象が大きな鼻を動かして、飼育係から受け取ったリンゴをその口に運んでいる。
隣の檻に入っているライオンは、運ばれる衝撃で機嫌が悪いのか、辺りを見渡しながら唸り声を上げていた。
そんな彼らの脇を通るのは、道具を手にする青やピンクと派手な衣装に身を包んだ芸人たち。
ジャグリングに使うのか、ピンにボール、輪っかに巨大な綱とハシゴ。そして鉄の棒、ナイフに人を捉えるための金具と、彼らは様々な道具を持ち運んでいる。
それ以外にも顔を真っ白く塗りたくり、鼻に巨大な赤いボールを付けたピエロ。胸元が大きく開いたレオタードに身を包む女性に、途中のパフォーマンスで呼ばれるのかアシュよりも少し年上の子供の姿も見える。
そして私たちと同じく、サーカスを見に来た大勢の見物客の姿もあった。
「すごい。なんか、すごいよ、お母様……」
驚きすぎて、逆に声が小さくなるアシュに笑いかけつつ、私は彼の頭を撫でる。
「今日は、たくさん楽しみましょうね、アシュ」
「はい、お母様!」
「セラ公爵夫人様。アシュバルム様。お席はこちらとのことです」
オスコに案内され、私はアシュと手を繋いでテントの中に入っていく。
テントの中は開園前であるにもかかわらず、大勢の人々で賑わっていた。観客たちが口々にこれから見られるパフォーマンスの話題に花を咲かせ、興奮による熱気で外よりも気温が高く感じられる。
そんな人々の間を縫うように歩いて辿り着いたのは、ショーを最前列で観られる特等席だった。
「ここに座ってもいいの? お母様!」
「ええ、そうよ、アシュ」
「すごいすごいすごいっ!」
興奮して頬を赤くするアシュを席に座らせながら、私は僅かに手で口元を隠す。
……こういう時ぐらい、公爵夫人の特権を使ってもいいわよね?
ちゃんと正規の手続きを踏んでいるし、お金ももちろん収めている。
けれどもチケットを押さえる際、ハーバリスト家の名前を出したのも事実だった。
多少罪悪感を感じるものの、アシュの喜ぶ姿の前にそんなものは消し飛んでしまう。
そう思っている間に、アシュは自分の高ぶる感情をどう表現すればいいのかわからないのか、自分の座る席の上で、飛び跳ねるようにジャンプした。
当然、そんな事をすれば席は倒れるだろう。
それと同時に、席へ飛びかかったアシュ自身も。
「危ない!」
私は思わず、アシュの方へ身を乗り出した。
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