第25話

「では、問いましょう、ユーリックブレヒト。あなたはアシュが、王族の血筋の影響で醜い争いに巻き込まれてもいいというのですか?」

 そう言うと、ユーリックブレヒトは激高したように立ち上がる。

 彼は怒りによる激情をその目に宿し、私を見下ろした。

「俺の話を聞いていなかったのか? セラ。俺はアシュバルムがそうならないように、今まで駆けずり回ってきたのだ!」

「なら、その選択に間違いはないと? 先程は、アシュと距離を取っていたことを後悔していたようですけど?」

「その点については、俺の不手際があったのは認めよう。だが、それがアシュバルムを守ることに繋がっていたと、そういう行動を俺は常に取ってきたと断言できる。だからこそ、今日アーングレフ公爵からラルヴァ男爵の話を聞いた時、俺は内心の怒りを堪えるのに必死だったのだ!」

 そう言ってユーリックブレヒトは、ここにはいないラルヴァ男爵を射殺す代わりだとでもいうように、空を睨みつける。

「社交界の場に出さなくてはならなかったとはいえ、貴族の連中の魔の手がアシュバルムに届かないよう、俺は今まで散々根回しをしてきたのだ。断腸の思いで息子との時間を削り、アシュバルムを余計な争いに巻き込まれないように立ち回ってきたというのに、奴はここに来てとんでもない隠し玉を出してきやがった!」

 怒りのためか、ユーリックブレヒトが握るボトルが砕けて割れた。

 中身のワインが地面に零れ落ち、その液体の中に朱の色が交じる。割れたガラス片で、ユーリックブレヒトが手を切ったのだ。

「ちょっと! 何してますのよ!」

「気にするな、セラ。皮膚の表面を薄く切っただけだ。すぐに血も止まる」

「気にしないのは無理がありますわよ!」

 そう言いながら、私は何かないかと、自分の服を叩いていく。

 やがて羽織ってきた上着にハンカチが入っているのに気づくと、それを片手に、もう片方の手をユーリックブレヒトへ差し出す。

「ほら、手を出してくださいな」

「だから、気にするなと――」

「だから、それは無理だと申し上げましたじゃありませんの? いいから、子供みたいな事言わずに、早くしてくださいな」

 そう言うとユーリックブレヒトは、渋々と言った様子でこちらに向かって手を差し出してくる。

 故郷の孤児院で子供の手当をしていた要領で、ユーリックブレヒトの手をハンカチで包んでいく。

 その作業をしながら、私は口を開いた。

「ユーリックブレヒトは、ラルヴァ男爵がアシュの実の父親を使って、何をしようと企んでいるのだとお考えで?」

「……恐らく、親権問題へ発展させるつもりなのだろう。アシュバルムの父親の件で王族に楯突けば、相手が大きすぎるので逆に消されかねない。だから標的を俺の方に定めるはずだ。っ!」

「はい、終わりましたわ」

 最後にハンカチをきつく縛ったので、ユーリックブレヒトが僅かに顔を歪めていた。

 ユーリックブレヒトは、私が手当を施した自分の手を一瞥する。

「手慣れたものだな。やはり、子供と接していた経験があると、アシュバルムもセラと一緒にいる方が安心するのだろう」

「でも、子供と接してこなかった経験を理由に、アシュがラルヴァ男爵の奸計に巻き込まれるのを無視はしませんのよね?」

「当たり前だ! あの子を権謀術数と欲望が渦巻く醜い世界になんて、連れて行かせるものか! そんな事、絶対にさせない! 俺の目の黒いうちは、絶対にだ!」

 その言葉で、私は確信した。

 ……この人となら、共有できますわ。

「でしたら、守りましょう? 愛しい息子を。私たちの手で」

 そう言って私は、今しがた自分で手当したユーリックブレヒトの手を、優しく握る。

 ユーリックブレヒトはそんな私の反応に、瞳を揺らした。

「俺たちで、アシュバルムを、守る?」

「ええ、そうです」

 そう言いながら、私はユーリックブレヒトの瞳を見つめた。

 灼熱の如き赤い瞳が夜空に照らされて、両の瞳が宝石のように輝く。

 ユーリックブレヒトには申し訳ないけれど、この瞳に見惚れたジメンドレ前婦人の気持ちが、今なら少しだけわかった。

「私を、愛してくれとは言いません。願いませんし、前婦人に強引にこの国に連れてこられたあなたに、無理に夫婦として信じあうことも求めません」

 でも――

「でも、アシュのためなら私たち、一緒に組めるのではないかしら?」

「組む、だと?」

 首を傾げるユーリックブレヒトへ、私はなおも言葉を紡いでいく。

「あなたが父親。私が母親。そういう、アシュを守るための、仮面夫婦としての同盟です」

 ユーリックブレヒトも私も、このクロッペンフーデ大王国という大国に振り回され、自分の人生を滅茶苦茶にされている。

 それでも今まで私たちがこの国で生きていけるのは、偏にアシュバルム・ハーバリストという存在がいたからだ。

 あの子と出会っていなければユーリックブレヒトはジメンドレ前婦人をただただ恨み、彼女が死んだ後、生きる希望もなくこの国の血の呪いに翻弄されていたのかもしれない。

 私の方は、もはや言わずもがな、だ。

「そんな私たちであっても、いいえ、私たちだからこそ、アシュのためなら、愛しい息子のためなら、手を取り合えるでしょう? それに、一人より、二人の方ができることは多いですわ。役割分担も出来ますし」

「……俺が外(貴族社会)を担当し、セラが内(アシュバルムの傍)を守る、と?」

「どうかしら?」

 私の言葉に、ユーリックブレヒトは僅かの間、目を伏せる。

 そして、次に瞼を開けた時には、もう彼の決意は決まっているようだった。

「いいだろう。その同盟、組むことにしよう、セラ」

 そう言ってユーリックブレヒトは、既に私が握っている手に、力を込める。

「家のこと(アシュバルムのこと)は、頼んだぞ、妻よ」

「もちろんです。では、お仕事(貴族社会)の方は、おまかせいたしますわよ? 旦那様」

 そう言って私も、自分の手に力を込める。

 かくして私は結婚式の初夜に、最愛の息子を守るため、仲間(夫)と同盟という契りを交わしたのだった。

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