第24話

 想像を絶する話だ。壮絶で凄絶で、絶句して二の句が継げなくなる。

 それと同時に、自分がもし、そうした公爵の元へ嫁がされていたらと思うと、震えが止まらなくなった。

 ここに嫁ぐ前に、私はどんな事を考えていた?

 多少無礼な扱いをしたところで、どうとも思われない?

 違う。レベルが、全く違っていた。

 文字通り、私は人間以下の家畜としてこの国に呼ばれていたのかもしれなかったのだ。

 自分の脊髄へ、強引に氷柱をねじ込まれたかのような悪寒に身震いしている私をよそに、ユーリックブレヒトの独白は続いていく。

「だが、俺の方はまだマシな方だった。アシュバルムの父親までは、使い物にならなくなっても薬で無理やりどうにか捺せられていたらしいからな。そのせいで精神をやられてしまい、最後にはどこかに捨てられた。今も生きているのは、幸か不幸かはわからんがな」

「……でも、何故ジメンドレ前婦人は、アシュを産んだのかしら?」

 話を聞く限り、ジメンドレ前婦人にとって子供は邪魔な存在でしかなかったように思える。

 それなのにアシュを産んだという事実に首を傾げていると、ユーリックブレヒトが自嘲気味に笑っていた。

「あの色情魔のことは、俺にもわからん。だが、ひょっとしたら、やつも最後に残したかったのかもしれないな」

「何をです?」

「自分の、血ってやつをさ」

 そう言ってまた、ユーリックブレヒトは酒をあおる。

「セラも言った通り、ジメンドレがアシュバルムを生むと決めた時、王族連中も慌てたらしい。なにせ、父親はもう捨てた後だったからな。だが奴らにとって丁度お誂え向きに、既にジメンドレは、次の奴隷を見定め終えていた」

 それが誰なのかを、あえて口にする必要はないだろう。

 アシュの父親役に充てがわれたのは、他でもないユーリックブレヒト自身なのだから。

「俺は元々、クグバディール火山伯国の生まれでな。この赤い目は、その国の出身者に多い瞳の色なんだ。そして、その瞳の色が一番綺麗だと、ジメンドレに見つかったのが俺の運の尽きだった。自分の両目を抉り出そうと考えたのは、一度や二度じゃ足りないぐらいだよ」

 その結果どうなったのかは、既にユーリックブレヒトは語り終えている。

「絶望の中、これから死ぬまでこの国で生きていかなくてはならないのかと、失意に暮れて失望した日々を送っていた。だが俺は、自らの破滅を決める結婚式のあの日に、一筋の希望の光を見つけたんだ」

 酔いが回ってきたのか、ユーリックブレヒトの言葉がより熱を持っていく。

「それは、俺を絶望の淵へと叩き込んだ相手の血を引いている存在だった。初めて会ったあの日、ジメンドレから抱きかかえるように言われた時は、首を絞め殺すか、地面に叩きつけて踏み殺してやりたいとすら思っていたよ!」

 激情に駆られるユーリックブレヒトが、誰のことを言っているのかは明白だった。

 でも、そうはなっていない。そうなっていたのであれば、私はアシュと出会えなかったからだ。

「でも、彼を抱き上げた時、アシュバルムが俺に笑いかけてくれた時、その全てが吹き飛んだ! 気づいたからだ。流れている血がどうであろうとも、アシュバルムには、なんの罪もない。そもそも、あの子には半分、俺の前に奴隷として連れてこられた被害者の血が流れている。同じだったんだ。アシュバルムは俺と同じ、ジメンドレの都合に振り回されてた、人生を血筋のせいでめちゃめちゃにされた、犠牲者なんだと」

 そう言ってユーリックブレヒトは、自分の両手でその顔を覆う。

「だから俺は、誓ったのだ。あの子だけは、自分と同じような思いはさせまいと。自分の血筋に翻弄されずに生きられるように、俺が守ると、そう誓ったのだ。ジメンドレが死んでからは、そこまで大きな問題もなく日常が続いていた。それなのに――」

 そう言ってユーリックブレヒトは、指の間から私の方を睨みつけてくる。

「また、王族の連中が、勝手に人を寄越してきた。誰の息の根がかかっているのか、分からない後妻をな」

「ちょっと! 私、この国でそんな人脈もなければ権謀術数に巻き込まれてもいませんわ!」

「わかっている! 今では、わかっているんだ。アシュバルムが、俺を本当の父親ではないとお前に伝えていたと知った、あの時から」

 そう言いながら、ユーリックブレヒトは自分の頭を掻きむしる。

「わかってはいるが、では、すぐに信じられるか? 血筋のために、平気で人の人生を捻じ曲げることがまかり通る、こんな国で。俺が一つ選択を間違えれば、アシュバルムが自分の血に翻弄されるかもしれないというのに」

 手にしたボトルを口につけ、ワインを嚥下した後に、ユーリックブレヒトは自分の心情を吐露する。

「お前が嫁いできて早々に、アシュバルムの信頼を勝ち得ているのを見て、俺は恐怖したよ。直接お前を遠ざけようとすれば、それはそれでお前を選んだ王族たちに目をつけられる。セラから距離を取るようにあの子にも助言をしたが、お前たちの仲は、どう見ても深まっているようにしか見えなかった」

 その言葉に、私は思わず首を傾げた。

 ……今までユーリックブレヒトの言葉を思い出してみても、そんな助言しているように思えませんわ。

 私の社交界デビューの時に、アシュへやたらと自分の役目を自覚するように言っていたが、それは王族の血筋ゆえ権謀術数に巻き込まれないよう、私を含めて周りを警戒しろという助言だったのだろうか?

 ……もしそうだとするなら、口下手にも程がありますわよ!

「だが、あの子が俺の言葉に耳を傾けようとしないのは、無理もないことなのかもしれないな。アシュバルムを守るために、貴族社会で力を付けるのを俺は優先した。そしてあの子がくだらん貴族社会のしがらみに捉えられないよう、不審がられない範囲で距離を取った。アシュバルムへ危害を及ばぬように配慮していたつもりだったが、あの子からも距離を取ったまま、気づけばあの子は、もう六歳になってしまった」

「一応、距離を取っている自覚はありましたのね?」

「生憎俺は、父親がいなくてな。父親というものが、どういうものかわからないのだ。だからあの子に父親らしいことをしてやれないと感じると、どうしようもない不甲斐なさを感じてしまうのさ」

 ……結婚式会場で感情を顕にしていたのは、そういう理由があったのですわね。

 そう思う私をよそに、自嘲気味に笑いながらユーリックブレヒトはまた酒を飲んだ。

 そこで思わず、私は口を挟む。

「ちょっと、飲み過ぎですわよ。ユーリックブレヒト」

「……どうした? 放っておけばいいだろう? 別にお前にとって、俺の存在はさほど重要ではあるまい」

「それはそうですけど、でも、あなたの気持ち、少しはわかるつもりでしてよ」

「……何?」

「だって、私だって子供を産んだことなんてありませんもの。私には幸い、両親はおりますが、自分の子供を持つなんて、これが初めての経験なんですから」

 ハーバリスト家へ嫁ぐように父から言われて、その相手がバツイチのコブ付きだと知った時、とてもじゃないが心中穏やかではいられなかったものだ。

 特に、いきなり自分に子供ができるという状況が、全く想像出来なかった。

「だから、同じですわ。私も、自分の子供への接し方というものが、最初はわかりませんでしたもの」

「しかし、お前は既に、アシュバルムからの信頼を得ているではないか。あの子から母親と、そう呼ばれているではないか」

「……はぁ?」

 ユーリックブレヒトの言葉に反応し、私は思わず立ち上がる。

「アシュが今日、アーングレフ公爵に対して、あなたの事をなんと言っていたのか、もう忘れましたの?」

 その言葉に、ユーリックブレヒトの瞳が揺れる。

「……だが、俺はあの子の本当の父親ではない。あまつさえ、今日も不甲斐なくあの子に庇われて――」

「ああ、もう! そういう事を言っているんじゃありませんわっ!」

 そう言って私は、ユーリックブレヒトの前に、仁王立ちするように向き合った。

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