第22話

「しかし、よもやこれほどとは思わなかったぞ」

 アーングレフ公爵が、不機嫌そうにそう言った。

「ここまでくれば、愚図な貴様といえども、高貴なる俺様も称賛せざるを得んな。まさか、これほどまでに高貴なる俺様の従姉の遺した痕跡を消しているとは」

「たまたま、古くなったものを買い替えただけですよ、アーングレフ公爵様」

 こともなげにユーリックブレヒトはそう言ってのけるが、その顔にはかすかに疲労の色が見える。

 それもそのはず。先程からユーリックブレヒトは、アーングレフ公爵からずっとなじられていたのだ。

 きっかけは確か、庭園に向かう際窓から見えた、家の中に飾られている絵画だったと思う。

 以前ユーリックブレヒトと前妻ジメンドレが結婚式を挙げた際、あそこには従姉が選んだ絵が飾ってあったはずだと、アーングレフ公爵が気づいたのだ。

 そこからは、芋づる式だった。

 先程のアーングレフ公爵の言葉通り、やれあそこには従姉が作らせた壺が並んであったはずだとか、やれあの壁の色は従姉が選んだものとは変わっていると、庭園に向かう前にアーングレフ公爵による前妻ジメンドレの面影探しが始まってしまったのだ。

 その結果は、もうアーングレフ公爵が口にしている。

 使用人たちからも嫌われていたであろう前妻のジメンドレの面影が残っているものを、ユーリックブレヒトはこの家から徹底的に排除していたのだ。

 そしてその一つ一つをアーングレフ公爵が見つける度、彼はユーリックブレヒトに食ってかかった。

 だがユーリックブレヒトは、頑なにその事実を認めない。

 ……アーングレフ公爵の反感を買うのは目に見えているから、認めれるわけがないのですけれど。

 だからユーリックブレヒトは、今日何度も口にした言葉をまたも繰り返す。

「ジメンドレが亡くなったのは、もう六年も前になります。そして物は月日とともに劣化していくもの。それだけの月日が経てば、買い替えを行うのは自然なことだと思われますが」

「壁紙であればその言い訳もできようが、月日を重ねるごとに価値を増す調度品すら消えているのは、貴様の口にした道理に反するぞ? 愚図め!」

「これは異なことを。壁の配色や物の置き場が変われば、雰囲気も変わります。調度品も、それにあわせて変えるべきだと、この愚図めは愚考いたしますが」

「痴れごとを!」

 そういうものの、アーングレフ公爵はユーリックブレヒトと手をつなぐアシュの方へ視線を向けると、何か言いたそうにしながらも、鼻を鳴らしてそっぽを向いて歩き出す。

 どうやらアーングレフ公爵は、アシュに対しては強く出られないようだ。

 ……それは、多分血の影響よね。

 アーングレフ公爵の瞳の色と、アシュの瞳の色が同じであるという事実は、決して無関係ではないはずだ。

 

 後はその血が、どこから流れ込んだ血なのか? ということだけが問題だ。

 

 そんな事を考えている私の前で、アーングレフ公爵の足が止まっている。

 気づけば私たちは、当初の目的地の庭園の中にいた。

 アーングレフ公爵の菫色の瞳は、ある一点を見て細められている。

「いかに愚図な貴様であっても、ここだけは以前のままにしているようだな」

 それは美しい花々で出来ている、アーチだった。

 あのガーデンアーチの向こう側には茶会が開けるスペースがあり。

 ……そこで先日、私はユーリックブレヒトから敵意を向けられたのよね。

 

『アシュバルムは、この俺が守るっ!』

 

 あの晩見たユーリックブレヒトの激情を思い出しながら、私は夫の顔を盗み見る。

 アシュと手をつなぐユーリックブレヒトは、ガーデンアーチに目を向けるアーングレフ公爵を見つめていた。

 そのアーングレフ公爵はというと、結婚式会場を出てから初めて満足げな表情を浮かべている。

「いや、あの時以上と言ってもいい。高貴なる俺様が、直々に褒めてやろう。流石の愚図であっても、この高貴なる俺様の血統に連なるアシュバルムと、高貴なる俺様たちが初めて出会った場所なのだからな。よほど力を入れさせて手入れをさせているのだろう。ここだけは、文句なしにあの時以上の美しさだ」

 その言葉に、私は自分の中に生じていた疑問の一つが解決したことを知る。

 ……やっぱり、アシュは王族の血を引いていたのね。

 だからアーングレフ公爵は、アシュに対しては一定の敬意を払っていたのだ。自分の血と同格なのであれば、彼も強くは出られない。

 でも、それ以上に今の発言に、気になることがあった。

 だから私は、口を開く。

「アーングレフ公爵様も、ここでアシュと初めてお会いになられたのですか? ユーリックブレヒトと一緒に?」

「ああ、その通りだ。高貴なる俺様の従甥の、育ての母となる愚鈍よ」

 その言葉に、私は驚き、目を見張る。

 たった今、アシュがどこから王族の血を引いているのか、明らかになったからだ。

 ……そして、ユーリックブレヒトの前妻のジメンドレが、あれほど使用人たちから嫌われていたのかも。

 そう思う私の他にも、この場に驚きの声を上げる存在がいた。

 それは、アシュだ。

「ここが、僕がお父様と、初めて出会った、場所?」

「その通りだ、高貴なる俺様の従甥よ。あれは六年前の、高貴なる俺様の従姉が死ぬ前だったな? 愚図よ」

「……もう、十分ではありませんか?」

 アーングレフ公爵の問には答えず、ユーリックブレヒトは公爵を睨む。

「アーングレフ公爵様と同じく、王族の血を引くジメンドレのことをあなたが大切に思う気持ちは理解できます。その子供であるアシュバルムに、目をかけている理由も」

 その言葉に、内心私はうなずきを返す。

 ユーリックブレヒトが言った通り、アシュが王族の血を引いているのは、母親のジメンドレが王族の血を引いていたからだ。

 アシュの、そしてアーングレフ公爵の菫色の瞳は、王族の血を引くものの特徴なのかもしれない。

 そう思っている私をよそに、ユーリックブレヒトは口を開く。

「だからこそ、今日アーングレフ公爵様がこちらにいらしたのは、アシュバルムに関係があるのではないのですか?」

「やはり愚図は愚図だな。この高貴なる俺様に聞きたいことがあるのなら、より簡潔に述べるがいい」

 そう言いながら、アーングレフ公爵は辺りに人影がないことを確認した後で、ガーデンアーチを潜っていく。

 私たちも、アーングレフ公爵の背中を追ってアーチを潜った。

 アーングレフ公爵は用意されているイスに腰掛け、王座から下々を見下ろす王のごとく、こちらを一瞥する。

 その視線を受けて、一度こちらへ視線を向けた後、ユーリックブレヒトは口を開いた。

「王族からの伝言ですよ、アーングレフ公爵様。血筋を重んじるあなたが、直々にこの家にやってきた。なら、その要件も血筋に関係するのではないのですか?」

「その通りだ、愚図よ」

 そう言ってアーングレフ公爵は、視線を鋭くする。

「聞け、愚図よ。高貴なる俺様の血統に連なる従甥、アシュバルムに流れるもう半分の汚れたちを持つ男の身柄を、ラルヴァとかいう男爵風情が確保しているらしい」

 その言葉に、アシュは手をつなぐ私の手を、ぎゅっと握りしめた。

「僕の、本当のお父様?」

 アシュの言葉に、アーングレフ公爵は不快げに顔をゆがめる。

「あんな男を、自分の父親なんぞと呼ぶ必要はない、高貴なる俺様の従甥よ。あの男はジメンドレが遊びすぎて、もう壊れてしまっているからな。言葉を交わしたとしても、幼児と話しているかのような有様だ」

「……それより、何故アシュバルムの父親を、ラルヴァ男爵が? そもそも、どうして男爵はそんなことを?」

「流石に高貴なる俺様であっても、わかることとわからんことぐらいはある。だが、どこかしらから情報が漏れたのは確かなはずだ」

 それは以前、アシュが私に打ち明けてくれた秘密だ。

 

『僕、本当はお父様の子供じゃないの』

 

 ユーリックブレヒトが、小さく呻く。

「それは王族と、そしてハーバリスト家でも一部の者しか知らない秘密のはず」

「だから先程、高貴なる俺様が言っただろ? どこかに内通者がいるのだろうよ。そしてそれはもちろん、王族とは考えにくい。使えなくなった父親を放り出して別の男を充てがわせているだなんて、外聞が悪いにも程があるからな」

 アーングレフ公爵の言葉を聞き、ユーリックブレヒトが私の方を振り向く。

「アシュバルムが俺の実の子供ではないと教えていなかったはずだが、随分落ち着いているな」

「……ひょっとして、私のことを疑ってますの?」

「お母様は悪くないよ、お父様!」

 そう言ってアシュは、私に抱きついてくる。

「僕が言ったんだ! 僕が、お母様に言ったんだよ! だから、悪いのは僕なんだよ、お父様!」

 その言葉に、ユーリックブレヒトの顔が歪み、アーングレフ公爵は愉悦の表情を浮かべる。

「高貴なる俺様の従甥は、育ての母の方に懐いているみたいだな」

「……たとえそうであったとしても、俺のやることに変わりはありません」

「当たり前だ、愚図が」

 そう言ってアーングレフ公爵は立ち上がり、ユーリックブレヒトの傍までやって来る。

「有象無象が何を考えているのか何ぞ、高貴なる俺様には興味がない。だが、件の男爵風情が高貴なる俺様の従甥の血を半分汚した男を使って何か良からぬことを考えているのは事実だ」

 そしてアーングレフ公爵は、険しい表情を浮かべているユーリックブレヒトの肩に手を置き、鬼の形相を浮かべて睨みつけた。

「もしこれで高貴なる俺様の血統に連なるアシュバルムに、何かあってみろ? この俺様が直々に貴様の首を刎ねてやる!」

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