第21話

 ユーリックブレヒトの前妻であるジメンドレ・ハーバリストの話は、不自然なほどこの家では話題に上ることはない。

 それは故人に対する配慮というより、どちらかと言えばユーリックブレヒト家の人々が、彼女の話題を避けているようだった。

 ……そこからなんとなく、好かれてはいなかったのだと、そう想像していたのですけれど。

「なんだ? この酒は。この高貴な俺様が飲むには、温すぎるぞ! 俺様が口にするに値するスパーリングワインを今すぐ持って来い!」

「……申し訳、ございません。今すぐにご用意いたします」

 オスコが平伏せんばかりに頭を下げ、歯を噛み締めて歯ぎしりをする。

 私とユーリックブレヒトの結婚式が始まってからアーングレフ公爵が開けたワインのボトルの数は、実に十にのぼる。そしてその間あの公爵が傾けたグラスの回数も丁度十だった。

 つまりアーングレフ公爵は、一口ごとにボトルを開けているということだ。

 ……従弟の振る舞いを見ると、その血縁の前妻のジメンドレは、好かれていなかったどころではなかったみたいですわね。

 結婚式会場の高砂に座りながら、私はそんなことを考えていた。

 私の隣には黒のタキシードを着たアシュが椅子にちょこんと腰掛け、コップからジュースを飲んでいる。その愛らしい姿だけを見続けて現実逃避したかった、のだけれど、愛する息子の向こう側にアシュと同じくタキシードに身を包むユーリックブレヒトの姿が見えてしまう。

「どうした? セラ。何か不服でも?」

「不服しかありませんわ、ユーリックブレヒト」

 人生で初めて着るウェディングドレスも、我が物顔で振る舞うアーングレフ公爵のせいで台無しだ。

 オスコだけでなく、他の使用人たちはあの公爵の相手で手一杯。

 もちろん結婚式なので、他の来賓たる貴族たちの姿もこの場には存在する。

 本来であれば、彼らはいつぞやのパーティー会場のようにユーリックブレヒトへ取り入ろうと、おべっかとあの気持ち悪い薄ら笑いを浮かべて私たちの周りに集まっていたはずだった。

 しかしそんな彼らは、今は海底で嵐が通り過ぎるのを待つ貝のように、だんまりを決め込んでいる。変に目立って、アーングレフ公爵の機嫌を損ねるのが嫌だからだ。

 自分の結婚式であるにもかかわらず、その主導権は私たちではなく強引にやって来たアーングレフ公爵にある。更に来賓客たちは私たちを祝福するよりも、傍若無人の権化のような公爵の存在を恐れて、祝いの言葉も満足にこちらに投げかけてこない。

 断言できる。私が挙げているこの結婚式は、この世界でも史上最悪の一つと言えるだろう。

 この場全てを掌握しているようなアーングレフ公爵を一瞥しつつ、私は彼に聞こえない音量でユーリックブレヒトに問いかけた。

「無理だとわかっていて聞きますけれど、どうにか出来ませんの?」

「無理だとわかっているのなら、聞く意味がないな、セラ。王族の血の力は、この国では絶対だ。それに――」

 そう言ってユーリックブレヒトは、一瞬口元を歪めた。

「奴は、その王族からの伝言を預かっていると言っている」

 それはつまり、アーングレフ公爵の言葉は王族の言葉と同義ということだ。王族の血筋に連なるあの公爵の機嫌を損ねるのは、このハーバリスト家の危機を招き、引いてはそれは私の愛するアシュの危機ということになる。むしろ、それがわかっているからこそ、アーングレフ公爵もあれほど無茶な要求を私たちに突きつけているのだ。

 そこまで考えて、私はふと首を傾げた。

 ……あれ? 本当に、そうなのかしら?

「おお、ここにいたのか! 高貴なる俺様の従甥よ!」

 私の疑問を吹き飛ばすように、この結婚式を史上最低のものとしている元凶がこちらに向かってやって来る。

 しかも、アーングレフ公爵の眼差しは、寄りにも寄ってアシュの方へと注がれていた。

「そんな愚図と愚鈍の間に挟まれていないで、この高貴なる俺様の方へと来るがいい!」

「差し出がましいようで恐縮ですが、アーングレフ公爵様。アシュバルムは――」

「……高貴なる俺様は、今高貴なる俺様の従甥と話しているのだ」

 そう言うとアーングレフ公爵は、ユーリックブレヒトを射殺さんばかりに睨む。

「誰が貴様に喋る許可を与えた? 気安く高貴なる俺様たちの間に入ってくるな!ただ顔だけで高貴なる俺様の従姉に選ばれただけの下賎な存在が、不敬罪で殺すぞ!」

 その言葉に、ハーバリスト家の使用人たちが殺気立つ。流石に彼らも、主であるユーリックブレヒトの身が脅かされるのは許容できないのだろう。

 私としても、こんな危ないやつをアシュに近づけるのは我慢ならなかった。

 思わず立ち上がろうとした所で、私よりも先に行動した存在が、この会場に存在していた。

 それは――

 

「ダメだよ、おじ様」

 

 そう言ったのは、他の誰でもない。

 私の隣に座る、アシュだった。

 愛する息子は公爵と同じ菫色の瞳をアーングレフ公爵に向け、毅然とした表情で、再度口を開く。

「おじ様がえらい人なのは、もちろん知ってるよ。でも、ダメだよ。今日は、お父様とお母様が、僕の家族になる日なんだから」

 見れば、コップを握るアシュの手は震えている。

 それでも、アシュは最後まで自分の主張を言い切った。

「だから、ダメだよ。僕の家族を壊そうとするのは、ダメだ」

「ほぅ」

 そう言って、アーングレフ公爵は目を細める。そしてアシュと同じ色の瞳で、息子を見下ろした。

 全身に悪寒が走り、私はすぐにアシュへ飛びつく。

「申し訳ありません、アーングレフ公爵様! ですが、この子はまだ子供です。どうか平に、平にご容赦を!」

 自分の会話を遮った相手を殺そうとする人物が、更にユーリックブレヒトとの会話に割り込んだアシュをどう扱うのかが分からず、私は恐怖で全身が震える。

「私はどうなっても構いません! ですが、この子は、アシュだけは、どうか――」

「よい」

「……え?」

 呆けたように顔を上げる私、ではなく、その私に抱かれているアシュへ相変わらず視線を向けながら、アーングレフ公爵は満足気に笑う。

「高貴なる俺様相手にも引かず、他人を思いやれる言葉を発せるとは、流石は高貴なる俺様の従甥だ」

「他人じゃ、ありません」

 アシュの言葉に、アーングレフ公爵は小さく頷く。

「そうか。家族、であったな」

 先程までユーリックブレヒトへ向けていた殺意はどこへ行ったのか、アーングレフ公爵は涼し気な表情で高砂から離れていった。

 ……何? どういう、ことなんですの?

 わけが分からず、私はユーリックブレヒトの方へ視線を向ける。すると彼には珍しく、感情を表情に顕にしていた。

 悔しさに歯噛みし、その両手を握りしめていたのだ。

 ……どういう、ことなんですの?

 息子であるアシュに庇われたのが悔しかったのだろうか? でもあの悔しがりようから、どうにもそれだけではないように思えて、仕方がない。

 新たな疑問に首をひねる私をよそに、アーングレフ公爵はアシュとのやり取りがよほど痛快だったのか、声を上げて笑っている。

 そして突然、こんなことをいい始めた。

「どうだ? 高貴なる俺様の従甥よ。高貴なる俺様と共に、庭園を見て回らないか? 久々に高貴なる俺様の従姉の園でも眺めながら、預かっているものの話でもしよう」

 その言葉に、私とユーリックブレヒトは互いに顔を見合わせる。

 アーングレフ公爵が言った預かっているというものは、きっと王族からの伝言に他ならない。

 ……でも、アシュ一人だけで行かせるなんて。

 そう思う私よりも早く、アシュが口を開いている。

「いいですよ。おじ様」

「おお、そうか! なら、高貴なる俺様と二人で――」

「でも、僕の家族も一緒に、です」

 そう言うとアシュは、私とユーリックブレヒトの手を、ぎゅっと握りしめた。

 それを見たアーングレフ公爵は、忌々しげに私たちを睨むが、最後には首を振った。

「……いいだろう。だが高貴なる俺様も条件を出そう」

「なんですか? おじ様」

「その愚図と愚鈍が、高貴なる俺様の機嫌を損ねないことだ!」

 そう言い捨てて、アーングレフ公爵は先に庭園の方へと向かっていく。

 私たち三人は、その公爵の後を追ってその場を後にする。

 かくして結婚式会場は、主役に混沌を生み出した張本人がいなくなり、一気に閑散とした有様となっていた。

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