第20話

「だから人の話を……え? 今、なんと言って――」

 その疑問は、突如私に覆いかぶさってきた布によって遮られる。

「それはそうと、薄着で夜中に出歩くな。風邪を引いたらどうする? アシュバルムにうつすきか?」

「え? あ、服、ありがとう、ございますわ」

 その言葉を聞き終える前に、ユーリックブレヒトは自分の上着を私に被せて、足早にガーデンアーチを潜って視界から消え去った。

 今から追えば、アシュの言う通り、彼は私が追いつけるように歩いてくれるのかもしれない。

 でも――

 ……今、アシュを守るって、そう言いましたわよね?

 だが彼は、あのオスコたちと同じく、アシュに致命傷を負ってもらったほうがいいと考えていたのではないのだろうか?

 ……どういう、ことですの?

 そもそも、何故ユーリックブレヒトは、私がアシュに対して危害を加えるのを前提として話をしていたのだろう?

「……どういう、ことですの?」

 先程の疑問を口にしたところで、それに答えれる人物は、既にこの場から去っている。

 でも、いくら考えたって――

 ……ユーリックブレヒトは、アシュのことを大切に思っているの、ですわよね?

 私をアシュにとって害ある存在だと盛大に誤認しているのは業腹だが、今しがた向けられた敵意もアシュのためだというのであれば、納得できる。

 ……それに、風邪をアシュにうつさないように上着もかしてくださいましたし。

 せっかくなので、肩からかけるようにそれを羽織る。当たり前だが男性用なのでサイズは大きく、私にはぶかぶかで、夜風を防ぐための分厚さ故か、私には少し重く感じられた。

 それだけでなく、まだユーリックブレヒトの体温が残っていて、先程まで飲んでいたワインの香りに、社交界用につけていたのか香の匂いが鼻腔をくすぐり、落ち着かない。

 ……結局、ユーリックブレヒトとオスカたちがアシュに対して向ける感情が違う理由もわかりませんでしたし。

 恐らく、まだあるのだ。私の知らない、この家の、公爵家の秘密が。

 ……そしてそれを解き明かすことが、きっとアシュのためになりますわね!

 それは単に、私の直感に過ぎなかった。

 けれども今は、それだけでいい。

 私は嫁いできた先の旦那を愛せるとは全く思っていないし、逆に夫からも愛されるとは微塵も思えない。

 けれども。

 ……愛するアシュを守りたいという思いは、きっと共有できますわよね?

 それだけわかれば今日は十分だと、私は自分の部屋に戻ると、ベッドに入った瞬間に爆睡した。社交界の疲れもあったのだろう。

 でも、それから一ヶ月。私は落ち着ける間もなく、アシュと遊ぶ時間も削られ、当然ユーリックブレヒトと会話する時間すら設けることが出来なかった。

 その理由は、たった一つ。

 ……先延ばしにしていた結婚式が、ついにユーリックブレヒトの屋敷で決行されますの!

 おかげで、まだお前は公爵夫人ではないと私に突っかかってきたオスコは露骨に機嫌を悪くし、執事のトデンダーは結婚式のためにユーリックブレヒトの公務の調整を行い、メイドのソルヒは来賓者に失礼のないよう屋敷の飾付けや食事の手配に走って、庭師のショルミーズは結婚式用に庭園の花々を全て入れ替えたりと、使用人たちも慌ただしい。

 もちろん私とアシュは、自分たちで着る礼服などを社交界のときと同様に用意するのだけれども、使用人たちの準備や気合があの時以上。ここで本当に手抜かりがあれば、全てユーリックブレヒトの評価に影響してくる。みすぼらしい結婚式をあげようものなら、もはや社交の場には出られないだろう。

 多忙中の多忙を極め、突貫工事中の突貫工事を進めた末、なんとか全ての準備を済ませて、結婚式当日を迎えることが出来ていた。

 ……本当に、忙しすぎましたわ。

 自分の結婚式なのに、まさかこんなに振り回されるとは思わなかった。

 そもそも通常の結婚式というのは、もっと時間に余裕をもって式当日までの準備をするものだ。それに参列する人数によっても、準備期間は異なるというもの。

 そして公爵家の結婚式ともなれば、来賓者の格も段違いに上がるものだし、それこそ爵位の高い相手に失礼があれば貴族として致命傷を負いかねない。

 ……だからこそ、そうならないように、準備の時間に余裕をもたせるものだといいますのにっ!

 憤慨するが、私一人の感情でこの理不尽を覆せるものなら、覆せている。ユーリックブレヒト公爵の夫人である私の意見が通らない厄介な相手の意向が、私の結婚式に絡んでいるのだ。

「来たぞ、セラ嬢」

「……わかりましたわ」

 ユーリックブレヒトの言葉に促され、私は今回の主役であるにもかかわらず、自分の方から挨拶に向かうべく、ウェディングドレスのまま玄関の方へと歩いていく。その厄介な相手が乗った馬車が、この屋敷に到着したのだ。

 私は隣を歩くユーリックブレヒトに向かって、口を開く。

「それはそうと、いつまでセラ嬢とお呼びになるのです? 私、一応今日あなたの正式な妻になるのですわよ?」

「君も出会った初日に、俺のことをユーリックブレヒト・ハーバリスト公爵様と呼んでいただろう?」

「すぐにユーリックブレヒトと呼ぶようになったではありませんか?」

「そうだったな。では俺は今後、君をどう呼べばいい?」

「他の貴族たちに、特にこれからお会いする方に笑われない言い方であればよろしいじゃありませんこと?」

「……ならば今後は、君のことをセラと呼ぼう」

「お好きになさってくださいませ」

 その会話が一段落したところで、私たちは屋敷の玄関に到着。するも、勝手に扉を開け放ち、まるで自分の家であるかのように、その厄介な相手は屋敷の中に踏み込んでいる。

「遅い! この俺様を待たせるとは、一体どういう了見なのだ? この家の主は、よほど礼儀作法を知らんとみえる」

 そのセリフを聞いていたオスコが一瞬表情に怒気を表すが、すぐに顔を伏せてそれを隠し通した。この場に今、傍若無人に振る舞う緋色の髪の男を止めれる人物はいない。

 ユーリックブレヒトが彼の元へ近づき、深く頭を垂れる。私もそれに、すぐに習った。

「これはこれは、大変お待たせいたしました。アーングレフ公爵様」

「大変申し訳ございません。どうか平に、平にご容赦いただきたく」

「ふんっ! 主が愚図なら、その嫁は愚鈍だな! 許すか許さんかは、貴様らの意見なんぞ聞かん。俺様の意見は、全てこの高貴なる俺様の一存によって決まるのだからなっ!」

 百を超える罵詈雑言をぶつけてやりたくなるが、それをすることは出来ない。何故なら私の嫁ぐことになるクロッペンフーデ大王国は貴族社会であり、爵位の高さが全てにものをいうからだ。

 そういう意味でいうと、アーングレフの爵位はユーリックブレヒトと同じく公爵だ。だが、アーングレフにはあって、ユーリックブレヒトにはないものがあった。

 それは、血だ。

 アーングレフは遠縁ではあるものの、王族の血筋に連なっているものなのだ。

 それはつまり、この男にものを言える存在は、この国では王族以外にいないということになる。

「まぁいいだろう。今日はこの俺様が直々に足を向けた、俺様による、俺様のための式だからな! この海よりも広く、山よりも高い、寛大な俺様の心に平伏して感謝するがいいっ!」

「ありがとうございます、アーングレフ公爵様」

 頭を下げるユーリックブレヒトを見て、オスコだけでなく、他の使用人たちからも怒りの感情がその体から滲み出る。だが、それを表に出す訳にはいかない。出したらもう、この国では生きていけなくなる。

 この場の全ての支配権を持った男は、菫色の瞳で私たち全てを睥睨した。

「さぁ、この俺様による俺様のための式が始まるまで、俺様の控室に、俺様を案内する栄誉を許す! この俺様から直々に栄誉を賜われるのだ。先祖末代までの語り継ぐがいい!」

 この世全てがまるで自分のものであるかのように振る舞うこの男の名前は、アーングレフ・スタルギソン。

 私の愛するアシュと同じ色の瞳をした、この傲慢不遜であり、慇懃無礼な男は。

 ユーリックブレヒトの前妻である、ジメンドレ・ハーバリストの従弟なのだ。

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