第19話

 私の社交界デビューは、無事終わった。

 ……いえ、無事、といっていいものですの? これ。

 あの城から私は、どうやって帰ったのか、記憶にない。私の中にある最後の記憶は、あの衝撃的な事実を告げた後に口にした、アシュのこんな言葉だ。

 

『お父様が僕に冷たいのは、お父様が僕の本当のお父様じゃないからかな? でもでもね、お母様。僕、お父様のこと、好きなの。冷たいけど、何も言わずにすぐにどっかいっちゃおうとするけど、走って追いかけると、追いつけるように歩いてくれるの。だから僕、もっとお父様と仲良くしたいな。お父様とお母様にも、仲良くなってほしいの』

 

 ……本当に、子供ながらによく見てますわね、アシュ。

 いや、むしろ子供だからだろうか? 思い返してみれば、ユーリックブレヒトは私を放置して立ち去ろうとしたことは何度もあったけれども、追いかけたときに追いつけなかったことは、一度たりともなかった。

 子供のアシュにしてみれば、使用人たちは誰も遊び相手になってくれず、しかし家にいる時間は短く、冷たいながらも追えばそこにいてくれる父親の存在は、かなり大きかったのではないだろうか?

 ……でも、これで余計にわけがわからなくなりましたわ。

 公爵家の自分の部屋で、私は頭を抱える。

 この家の使用人たちがアシュに冷たいのは、ユーリックブレヒトと血がつながっていないということで、ある程度整理できる。主の本当の子供でないのなら、むしろ偶然どこかで致命傷を負ってもらったほうが、後々ユーリックブレヒトの血を引く正当な世継ぎが生まれた時、後継者争いなどを減らせるからだ。

 ……本当に、クソみたいな思考ですわね。

 でも、だとするとアシュの本当の両親とは、一体誰なのだろう? 流石にユーリックブレヒトの前妻とは血はつながっているのだろうし、でもそうすると、アシュの実の父親は、一体どこへ?

 ……って、そんな今はいない人のことを考えるより、今はユーリックブレヒトのことですわよ!

 本当に、ユーリックブレヒトのことがわからなくなった。アシュが彼の子供でないというのなら、むしろユーリックブレヒトは積極的に息子を、いや、血はつながっていないのだから、ユーリックブレヒトにとっても義理の息子になるのだけれど、ユーリックブレヒトはアシュを煩わしく感じるのではないだろうか?

 それとも、前妻の残した忘れ形見を大切にしている? それほどまでに前妻を愛していたから、後妻を王族に進められるまで娶らなかった?

 ……だから、無理やり嫁にねじ込まれた私にあんなに冷たいの? って、だから私のことは今はいいのですのよ!

 私とユーリックブレヒトの関係よりも大切なのは、アシュの気持ちだ。私とあの公爵で良好な関係を築くまでの道のりはかなり険しそうだが、ユーリックブレヒトとアシュについては、まだ芽はありそうに思える。

 ……致命傷を負わせない。そのアシュに対するユーリックブレヒトの気遣いがあるのでしたら、二人の関係はもっと良くすることも可能ですわよね。

 ゼロに何をかけてもゼロになるし、一つずつ積み上げるのには時間がかかる。

 しかし、既にある程度積み上がっているものがあるのであれば、進んでいる関係なのであれば、後はそれにかけたり足したりする方がいい。

 だが、肝心のユーリックブレヒトの中にあるアシュに対する何かが、さっぱりわからない。

 それからしばらく唸りながら悩んでいたのだけれど、そんなにすぐにいい考えが浮かぶわけでもなく――

 ……煮詰まりましたわ。

 パーティー会場で多少なりとも、お酒を飲んだせいもあるだろう。頭が熱くて、かなわない。

 頭を冷やすために、私は少し散歩するために、庭園の方へ向かった。

 城でアシュと外に出たときとは違って、歩けないまでではないものの、今の夜風は少し肌寒い。

 ……何か、羽織るものを持ってきたほうがよかったですわね。

 そう思いながらも、私は明かりが灯された庭園を歩いて行く。やがて背の高い木々が生える植え込みのところまでやってきた。

 ……そういえば、あの日以来ですわね。ここに来るのも。

 アシュを庇って負った左腕の痛みが蘇ったような気がして、私は腕を少し擦る。アシュと庭園で遊ぶときには、この辺りを自然と避けていた。

 ……アシュも、私に傷を負わせた場所を、無意識に避けていたのかもしれませんわね。

 アシュを追っていたときとは違い、今は歩いて回る余裕がある。少し歩いてみるが夜風が身にしみて、私は両腕で自分の体を抱いた。

 ……もう、帰ろうかしら。

 そう思ったところで、私の目が、ある方向に吸い寄せられる。

 そこにあったのは、花のアーチだ。美しい花々がガーデンアーチに絡みつき、夜空を虹の如く彩っている。

 ……こんなに存在感があるのに、気づきませんでしたのね。

 それだけあの時は、必死になってアシュを追っていたのだろう。そのアーチの先まで見てから自分の部屋に戻ろうと決めて、私はそちらに向かって歩き始めた。

 ガーデンアーチに咲く花々は、赤や黄色、青にオレンジ紫と、見ていて飽きが来ない配置になっている。よく見れば花芽の姿も見えて、この芽が咲くところを見るのが、今から待ち遠しくなった。

 その花芽が絡むガーデンアーチの向こう側。花々の橋を潜った先に、白塗りのテーブルとイスが見えた。どうやら、この向こうには茶会が開けるようなスペースがあるらしい。

 ……公爵家に嫁いできて一ヶ月経ちますけれど、まだまだ知らないことがたくさんありますわね。

 そのもっともたるものが自分の義理の息子と、その義理の息子の義理の父親のことなのだけれど。

 そう思いながらガーデンアーチを潜った先で、私は物憂げな表情を浮かべている男性がイスに腰掛けているのに気が付いた。

「ユーリック、ブレヒト?」

「……セラ嬢か」

 思わず漏らしてしまった私の言葉に、アシュの義理の父親がこちらの方へ振り向く。よく見れば彼の手にはワインのボトルが握られていた。その中身は半分ほどなくなっていて、パーティー会場から屋敷に戻ってきてから、また飲んでいたらしい。

「……何をしていらっしゃいますの? こんな夜更けに、こんな場所で」

「その疑問は、俺の方こそ問いたいものだな、セラ嬢」

 視線をこちらに向けた後、ユーリックブレヒトはボトルを傾け、酒をあおる。だがかなり酔っているのか、その目にはいつもの鋭さはなく、頬も少し赤くなっており、胸元のボタンも開けられていた。

 ユーリックブレヒトはもう一口ワインを飲むと、口を開いた。

「ずいぶんと、子供の扱いに慣れているんだな。故郷で孤児を相手にしていた経験が役立ったか? いや、そのために孤児の相手をしていたのか?」

「……なんの話ですの?」

「上手くアシュバルムに取り入ったなと、そう言っている。だが、俺の目は誤魔化されんぞ」

 そう言ってボトルを傾けるユーリックブレヒトを見て、私は絶望感に襲われた。

 ……あなたまで、オスコと同じようなことを言うのですわね。

 そうなると、アシュが致命傷を負う可能性を放置していたメイドとユーリックブレヒトは、結局同じ考えだということになる。

 ……あなたとアシュだけは、良好な関係を築けると、そう思っていましたのに。

 それが不可能だと知ったときのアシュの悲しそうな顔を思い浮かべ、私は無力感に苛まれる。

 そんな私に向かって、ユーリックブレヒトは言葉を吐き捨てる。

「どんな国同士の取引があって王族からこの家にねじ込まれたのかはわからんが、俺の目の黒いうちは、お前の好きなようにはさせんぞ」

「……この国の王族なんて、関係ありません。私が考えているのは、いつだってアシュのことです」

「はっ! 何がアシュバルムのためだ。口ならなんとでも言える!」

 そう言ってユーリックブレヒトは苛立たし気に立ち上がり、私の方へ威圧するように歩いてきた。

「もう一度だけ言ってやる。俺の目の黒いうちは、お前の好きなようにはさせん」

「だから私は――」

「うるさい! 王族連中の思惑など、知ったことかっ!」

 そう言ってユーリックブレヒトは上着を脱ぎながら、こう言った。

 

「アシュバルムは、この俺が守るっ!」

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