第18話
「僕、ちょっと疲れちゃったな」
あれからも他の貴族連中に追い回されるように、会話攻めにあった。私も疲れているのだから、子供のアシュはもっと疲れているだろう。
私はアシュの頭を、優しく撫でる。
「それじゃあ、一緒に少し夜風にでもあたって来ましょうか」
「うん、そうする!」
「アシュバルム」
連れ立って外に出ようとする私たちに向かって、ユーリックブレヒトの鋭い視線が向けられた。
「忘れるなよ。自分の役目を」
「……いいではありませんか、少し休むぐらい! 無理して無理がたたる方が問題なんじゃなくって? それとも、アシュが倒れるぐらい無茶をさせるのがあなたのやり方、って、最後まで聞いていきなさいな!」
こちらの話を聞き流すように立ち去るユーリックブレヒトの背中を威嚇するように見送って、私はアシュの方へ顔を向ける。
「それじゃあ、行きましょうか」
「はい、お母様!」
小さなアシュの手を引いて、バルコニーへと歩いていく。扉を開けると夜風が舞い込み、私とアシュの頬を優しく撫でた。
石畳のバルコニーを歩きながら、私はアシュと一緒に手すりの方へと近づいていく。そこから見えるのは、広大な庭園だ。王族の庭園ともなれば、その素晴らしさを語り尽くすのは、吟遊詩人でも容易ではないだろう。
……と言っても、この時間帯で全てを見渡そうとするのは、不可能ですけれどもね。
ユーリックブレヒトの公爵家の庭園ですら、かなりの面積を誇っている。それが王族の城ともなれば、もはや管理された森林に近しいものになっていた。
城や噴水、屋敷間の移動のために敷かれた道の脇には明かりが灯っているが、それ以外の美しい緑林は、この闇夜では十分には楽しめない。
でもその代わり、ぼんやりと灯る光が目に優しくて、この光景はこの光景で美しいと、私は思った。
「ねぇ、アッシュ?」
「どうしたの? お母様」
そう言ってアシュが、愛らしく小首をかしげる。私はそれを愛おしいと思いながら周りを見回し、自分たち以外この場にいないことを確認して、口にする単語を頭の中でこねくり回しながら、言葉を紡いだ。
「どうでしたの? 私が来る前の、公爵家での生活は」
「どう、って?」
「楽しかったですの?」
私がそう言うと、アシュが寂しそうに笑う。そこで私は、自分の失策に気がついた。
「やっぱり、お母様から見ても、変なのかな? 僕とお父様と、そして、オスコたち使用人との関係って」
……聡い子ですわね。母親としては嬉しいですけど、それ故気づいてしまって傷つくのは、やるせないですわ。
先程パーティー会場で感じた通り、貴族の親子関係は気持ち悪さを感じるぐらいにおかしいと、私には感じてしまう。
でもそれ以上に、ユーリックブレヒトとアシュ、そしてユーリックブレヒトに使える使用人たちとアシュの関係は、変だ。
ユーリックブレヒトのアシュに対しての態度は、他の貴族が子供に対して行っているように、人ではなく道具というか、何かしらの機能のように扱っている部分がある。
……でもその一方で、アシュのことを心配しているようにも見えますわ。
そう思いながら、私は左腕に怪我を負ったときのことを思い出す。
あの時、ユーリックブレヒトと言い合いになったし、彼の言うことは理路整然としすぎていて人間味が薄い部分はあるけれども、改めて考えてみれば、それでもアシュに致命傷を負わせないという配慮が見られたような気がした。
そのアンバランスさが、公爵家の使用人たちとアシュの関係の歪さに直結する。
……ユーリックブレヒトが他の貴族同様に自分の子供に接しているのだとするのなら、オスコたち使用人もその主の意向に従うように振る舞いますわよね。
その傾向は、私がやってくるまでアシュのいたずらを放置していたり、私ともども余計な振る舞いを禁じるような節々の発言から感じ取ることが出来る。
……でもそれは、アシュがユーリックブレヒトの道具や機能として使えることが大前提ですのよ?
それなのに、怪我をしていないか確認するためにアシュの腕を強く引っ張ったり、あまつさえアシュを着飾る靴の大きさで間違いを犯すだろうか?
……そういえばアシュの着るもののサイズが違うのは、今日の靴のサイズだけではありませんでしたわね。
アシュが私のことを最初に母と呼んでくれた、あの晩。彼は既にぶかぶかの寝間着を着させられていた。実際その日、彼は私の部屋で転びかけている。
……いくらなんでも、アシュのことを蔑ろにしすぎていますのよ。
転ぶぐらいなら、ユーリックブレヒトの外聞は傷つかない。でも、打ちどころが悪ければアシュは取り返しのきかない怪我を負う可能性もある。
……それはユーリックブレヒトが排除しようとしていた、致命傷に他なりませんわ。
これは明らかに、主であるユーリックブレヒトの意向と、矛盾している。
だから私は、彼らの関係が変だと思ったのだ。
「アシュ。教えて下さいませんか? ひょっとして私は、まだあなたたちのことで、知らないことがあるんじゃありませんの?」
「……うん、そう。あの、あのね、お母様。今から言うことは、ぜったいに、ぜったいに、ないしょにしてくれる?」
「ええ、約束しますわ」
「本当? あのね。お父様やお爺ちゃんたちから、絶対に言うなって言われてるから、本当に、本当にないしょだよ?」
「ええ、秘密にいたします。私とアシュの、二人だけの秘密ですわ」
「よかった!」
そう言ってアシュは嬉しそうに笑うと、あのねあのね、と私の耳元へ、小さな口を近づける。
そして、彼はこう言ったのだ。
「僕、本当はお父様の子供じゃないの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます