第17話

 会場の扉を開けると、視界いっぱいに絢爛豪華という単語に相応しい景色が飛び込んできた。

 煌々と人々を照らすシャンデリアには、それ自体に金が使われており、天井に等間隔に並ぶそれらの存在感といったらない。だがその光を地面で受ける大理石の床には塵一つ落ちておらず、その石の色合いは白と黒が交互に配置されていて、石同士がワルツを踊っているようにも見える。まるで、おとぎ話の世界みたいだ。

 会場の脇ではBGMを奏でるオーケストラの音が響き渡り、幻想的な雰囲気を作るのに一役買っている。だがその音色は決して人々の会話のじゃまにならず、けれども存在感を消さない、ギリギリのラインで演奏を続けていた。

 それらの響きの間を縫うように人々が手にした陶器の食器や貴金属でできたナイフやフォーク、そしてガラスのグラスがぶつかって出す打音が聞こえてきて、童話の世界と見まごうこの空間に、現実の人が存在してもいいのだと教えてくれる。

 その幻想と現実が入り交じるような会場の中で、私は内心ため息を吐いていた。

「いやはや、ユーリックブレヒト公爵様におかれましては、ご機嫌麗しゅう」

「先日の外交の手腕は、素晴らしかったと聞き及んでおりますぞ!」

「あれは確か、ピクサーリーフ幸国との関税についてでしたかな?」

「いやいや、ブーラレジア海洋領邦との軍事練習の事案だったと記憶しておりますが?」

「何れにせよ、ユーリックブレヒト公爵がおられる間は、このクロッペンフーデ大王国も安泰ですな!」

 ……一体いつ途切れるのですか? ユーリックブレヒトへの、簡単な挨拶というものは。

 ユーリックブレヒトと連れ立ち、アッシュと共に会場に入ってから、ずっとこんな調子だ。ユーリックブレヒトにひと目でもお目通り願いたい貴族連中が、長蛇の列を作っている。

 あまり話しすぎると、逆にユーリックブレヒトに対して心証が悪くなるとわきまえているのか、おおよそ三分四分ぐらいで各々離れていくのだけれど、いかんせん人数が多い。

 隣りにいるユーリックブレヒトを一瞥すると、彼は相変わらずの表情を浮かべている。

「こちらこそ、ご挨拶いただき僭越至極」

「まだ若輩ゆえ、今後とも皆様からのご教授承りたい」

「関税の件は、カルカサルト自由連合との取り決めのことでしょう」

「ブーラレジア海洋領邦の海産物は、この国での需要も高い。皆様の食卓を継続して彩れるよう、今後とも尽力する所存」

 矢継ぎ早にかわされる会話を、冷静沈着にさばいていくユーリックブレヒトを、私はこの時初めて同情した。

 ……あなたも、苦労してたんですわね。

 だが、返答の端々にユーリックブレヒトと、彼に取り入ろうとする貴族たちの間での壁を感じる。

 ……正確には、格、爵位、でしょうか?

 今ユーリックブレヒトに群がっているのは、その多くが男爵や子爵たち。どうにか公爵家とのつながりを持とうと、皆が皆必死。話題がなくなり、言葉が途切れた瞬間に他の貴族が会話をねじ込んでくるので、元々ユーリックブレヒトとつながりが薄い貴族は、直近で彼が上げた功績を称賛するところから会話の糸口を見つけようと、懸命に口を動かしている。

 だが、これだけ人がいては会話の内容も似たようなものが続き、存在感を発揮できない。

 そのためこうして、彼らが話題を変えるために、私の方にも流れ弾が飛んでくるのだった。

「おお、こちらがこの度お迎えになられる、ハーバリスト夫人ですかな?」

「いや、まだ式は上げていないと聞いていたが?」

「では、婚約者というのが正しいので?」

「細かいことはいいではありませんか、皆様。彼女の美貌の前では、そのようなこと全て瑣末事ですぞ」

 ……こうなることは予想できていましたけれど、本当に鬱陶しいですわね!

 だが、そうした苛立ちを表に出す訳にはいかない。心の中で私は高速で、『アシュのためアシュのためですわ』と十回唱えると、ドレスの裾を持ち上げて、恭しくお辞儀をする。

「お初にお目にかかります。セラ・ハーバリストと申します。以後お見知りおきを」

 その動作に、周りから感嘆のため息が漏れる。立ち振舞についてはオスコから口酸っぱく言われてきたし、これでも私は一応ミルレンノーラ共和国の国家元首の息女。こういう場での礼儀作法は一通り覚えている。ただ故郷では使わなかっただけだ。

 ……でも今は、アシュがおりますものね。

 横目で愛しい息子を見て精神を回復しようとするが、すぐに貴族たちが私の前に出てくる。

「おお、なんと美しい動作なのか!」

「お怪我をされていたと伺っておりましたが、いやはやそれは嘘だったのですかな?」

「ユーリックブレヒトの後妻選びは、正解と言わざるを得ませんな」

「然り。しばらく頑なに後妻の話は避けられておられましたが、これはなかなか掘り出し物ですぞ」

「流石、王族の方々のご推薦。いやはや、新しい世継ぎが生まれるのが、今から楽しみですな!」

 愛する息子のことを思えば、貴族連中からのデリカシーに欠ける煩わしい問いかけや、男性連中から向けられる粘着く視線も、女性陣、恐らくニヤける男どもの妻か娘だろう、から向けられう鋭い嫉妬の目線も、全て無視できる。

 私は引きつりそうになる頬を息子のことを考えることでどうにか軌道修正。完璧な笑顔を浮かべて、再度周りに笑いかけた。

「不束者ではありますが、これからもユーリックブレヒト共々、よろしくお願いいたしますわ」

「そうそう、世継ぎと言えば、アシュバルム様もずいぶんと大きくなられましたな!」

 どこかの貴族が、突然そんなことを言い始めた。

 周りの視線が私とユーリックブレヒトの目線よりも下、そこにいるアシュへ、一斉に向けられる。

 突然大衆の目に晒されたアシュは、一瞬怯えたような表情をしたものの、毅然とした表情でそれを受け止めた。だが、震えるその手は私のスカートを握っている。

 ……誰ですの、アシュが怯えるきっかけを作った大馬鹿者はっ!

 その大馬鹿者は、ヘラヘラと笑いながら、ユーリックブレヒトに話しかける。

「アシュバルム様は、おいくつになられたのかな? ユーリックブレヒト・ハーバリスト公爵」

「この間、六つになったばかりだ。ラルヴァ・リエスカ・アッタクヤ男爵」

「なんと、もうそんなになられましたか! 吾輩にもこのような可愛らしく利発な息子がいたら良かったのですが、いやはや、羨ましい限りですな!」

 ……あら? アシュのいいところを分かっているだなんて、この方結構いい人なのかしら?

 そう思い、片眼鏡のラルヴァ男爵を盗み見る。男爵は口元を隠しながら、アシュの方へ一瞬鋭い視線を向けた。

「本当に、本当に、羨ましいですぞ」

 その視線の意味を問いただす前に、別の貴族がラルヴァ男爵を後ろに追いやるようにして、前に出てくる。

「確かに、ラルヴァ男爵の言う通りですな!」

「ユーリックブレヒト公爵様のご教育を受けているという時点で、将来が約束されているようなものです」

「どうでしょう? 今日は私の息子、レルドテを連れてきております。歳もお近いことですし、大人同士ではなく子供同士で少しお話されては?」

「それなら私のヴォブレックが適任でしょう。公爵家のご子息と交友を深めるに値するだけの教育は施しているつもりです」

「いやいや、男同士ではあまりに味気ない。うちのスルレスタをお貸ししましょう。そろそろご子息も、そういうことに興味を持たれる時期では?」

「そんな、はしたないですぞ! その点、孫のフィルカには淑女としての嗜みは心得させております。ゆっくり二人で話せるようこちらで部屋も用意しておりますから、アシュバルム様もそちらでお休みになられては?」

 ……こいつら、正気ですの?

 アシュのことだけでなく、自分の子供や孫すら自分の出世のための道具としてしか扱っていないその現実に、私は自分の息子が置かれている状況を、甘く見過ぎていたと自覚した。

 こうも露骨に、露発に、露悪的にアシュへ自らのむき出しにした欲望を露出させるだなんて、気持ちが悪すぎる。こんな親の元で育てられる子供たちは、それこそ彼らの願望を実現させるためだけに動く、操り人形みたいにしかならないのではないだろうか?

 そしてその人形を操る糸は、今もアシュを捕らえようと、すぐそばまで迫っているに違いない。それを直感的に感じているからか、私のドレスを握るアシュの手に、力がこもる。

 ……そんな奴らに、私の大切な息子を任せられるわけありませんわっ!

 拒絶の声をあげようとした私よりも早く、貴族たちを制する声がした。

「失礼。不肖の息子故、皆様のご子息ご息女には釣り合うまい」

「ですがーー」

「俺が、釣り合わないと言ったのだが?」

 ユーリックブレヒトのその一言で、騒ぎ立てていた貴族たちが黙り込む。カカシのようになった彼らを視線だけで押しのけて、ユーリックブレヒトはその場を立ち去っていく。

「あ、待って! お父様!」

 動き出したアシュにつられて、私も弾かれたように歩き始めた。遅れてやってきた私を待っていたアシュと手をつなぎ、更にユーリックブレヒトの背中を追う。すぐに追いつくことが出来たその大きな背中を見ながら、私は先程のやり取りを反芻していた。

 あの貴族共を黙らせたのはよかったのだけれどもーー

 ……不肖の息子って、どういうことですのよ!

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